野球殿堂博物館(東京都文京区)は13日、今年の野球殿堂顕彰者3人を発表しました。元プロ野球選手が対象となる競技者表彰のうち「プレーヤー表彰」では、海外から日本のプロ野球に移籍した外国人選手として初の2000安打を達成した前DeNA監督のアレックス・ラミレス氏(48)を選出しました。

写真は産経新聞より。


野球殿堂は日本野球の発展に大きく貢献した人たちの功績をたたえ、顕彰するため59年に創設。この日、東京都内の野球殿堂博物館で通知式が開かれ、博物館の榊原定征理事長(プロ野球コミッショナー)からラミレス氏らに殿堂入り通知書が手渡された。殿堂入りは計215人(競技者表彰102人、特別表彰113人)になりました。昨年は高津監督もプレーヤー表彰で殿堂入りしていますね。


ベネズエラ出身のラミレスは大リーグのインディアンス、パイレーツを経て、2001年にヤクルト入団。08年に巨人、12年にDeNA移籍。「アイーン」「ゲッツ」など芸人のパフォーマンスでも人気を集めました。首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度、最多安打3度、ベストナイン4度。07年に外国人として、また右打者で史上初のシーズン200安打を達成し、08、09年に連続MVP。13年4月6日のヤクルト戦で、外国人初の通算2000安打を達成しました。NPBでの通算成績は1744試合で打率.301、380本塁打。通算2017安打、1272打点はともに歴代外国人最多。13年に退団後、14年からルートインBCリーグ群馬のコーチ兼選手、オリックスの巡回アドバイザーを経て16年~20年にDeNA監督を務め、チームを日本シリーズ進出にも導きました。15年に日本人女性と結婚し、19年には日本国籍を取得しています。


ラミレスは、NPBでの13シーズンの思い出を問われると「13年間、選手としてプレーし続けて、いろいろなことがありましたが、1つ素晴らしかったことは最初のチームがヤクルトスワローズだったことです。私にとって特別なことでした。最初のシーズン(01年)、序盤はかなり苦戦して打つことできなかったんですが、若松監督が我慢して起用してくれたことで結果を出すことができました。ヤクルトでなければ、今こうして、ここに座って殿堂入りすることはなかったと思います」と最初に在籍したヤクルトと、若松監督への感謝の気持ちも述べていました。


また「ゲッツ!」「アイーン」「ラミちゃん、ペッ!」などのパフォーマンスでよくファンを喜ばせていたことについては「最初の沖縄キャンプ初日、何人かの選手がパフォーマンスを教えてくれた。最初、何が面白いか分からなかったが、それを球場の外でやってみるとすごく受けて喜んでくれた。初日からファンの方々が受け入れてくれたのが大きかったかなと思います」と振り返り、会見を終えると、出口で満面の笑みを浮かべながら「ヨロコンデ!ゲッツ!」と言いながらポーズを繰り出し、フレームアウトのパフォーマンスで退室していきました。

写真はスポニチより。


やはりヤクルトファンにとって、ラミレスは思い入れのある選手なんですよね。私が初めて神宮でヤクルト戦を観戦したのが2001年。この時は全国から集結した大勢のヤクルトファンの仲間たちと一緒に観戦し、その時に観戦仲間から借りて初めてレプリカユニフォームを着たんですが、そのユニがラミレスでした。その試合は残念ながら敗れましたけどね。この試合は巨人戦で、少し前に松井秀喜のホームランが飛び込んできたのも覚えています。ただ初の神宮観戦に興奮したのを思い出しますね。この時のラミレスは1年目でしたが、かなり粗いバッティングだったし、ここまでの選手になるとは正直なところ思いませんでした。今後は「新しい世代の子どもたちの手助けに貢献できれば」と競技人口の減少という野球界の課題の解決に取り組みたい考えもありみたいですね。今後も日本の野球界を盛り上げることに力を貸して欲しいです。


また監督、コーチ経験者や引退から21年以上経過した選手が対象の「エキスパート表彰」には、阪神で2度の三冠王に輝いたランディ・バース氏(68)が選ばれました。アメリカ出身のバース氏は1985、86年に2年連続で3冠王となり、85年に阪神の球団初の日本一に貢献した。ラミレス、バース両氏ともに、大リーグを経てプロ野球で活躍し、殿堂入りを果たした初のケースになりました。


アマチュア野球関係者などが対象の特別表彰では、夏の全国高校野球選手権大会の歌「栄冠は君に輝く」や阪神の球団歌「六甲おろし」など野球界に残る数々の名曲を手がけた作曲家の古関裕而氏(89年に死去)が殿堂入りを果たしました。作曲家としては初めて。野球の普及に寄与した文化人としては、俳人、歌人の正岡子規が2002年に殿堂入りしています。