神社仏閣巡り&撮影日記

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過去の yahooブログ 引越しの際 形式が違い文字列が乱れています

大量のため 申し訳ございませんが、修正していません(過去記録用保存)

戦人塚に行きました  (愛知県豊明市) 

 

 

桶狭間古戦場伝説地から、東へ1.3km先 

名鉄名古屋本線で、1駅先です 近いので歩いて移動しました走る人


住宅街にひっそりとあり わかりにくい場所にあります
 

 

 

 

 

 

 

●国指定史跡  戦人塚

 

 

桶狭間の戦死者たちが眠る場所 桶狭間の戦いの

戦死者約2500人を供養した塚。450年以上経った

現在でも曹源寺の住職が供養を続けています。
桶狭間古戦場とともに、(1937年 昭和12年12月)国の史跡として指定されています

 

 

 

 

 

階段をのぼった上にあります   🌸桜が咲いてました桜

 

 

 

 

 

●標柱: 史蹟戦人塚

 

 

今川義元は、約2万5000人の軍勢を率いて

永禄3年(1560年)に駿府(静岡)を出発し,

岡崎,沓掛城に入り、尾張大攻撃の準備をしました


織田信長は、5月19日未明 清洲城出陣に際し、

幸若舞の敦盛を舞い、馬上の人となった。清洲を出る時には主従わずかに6騎、途中輪乗りをかけて

人数を待ち、熱田神宮に戦勝祈願をした頃には、1000人余りとなり、合戦の時には軍勢3000人


今川軍は、難なく丸根・鷲津を攻め落とし、本陣は桶狭間の松林に休憩して、戦況を聞きつつ昼食をとっていたが、天候が急変して夕立となり狼狽する

義元勢をめがけ、太子ヶ根に待機していました

 

信長は一挙に本陣めがけて切り込み、信長の家臣

服部小平太が、槍で義元を刺し、毛利新助が後ろから組み付いて首を取った  
 

この戦いの死者は、今川軍2500人織田軍830人 

要した時間は2時間という一瞬の出来事でした

 

 

 

 

 

●桶狭間古戦場伝説地  附 戦人塚 (国指定史跡)

 

 

 

 

 

●説明と注意 文部省    昭和16年 10月

 

 

 

 

●戦人塚 石碑

 

曹源寺(知多四国霊場 第1番札所)の快翁龍喜和尚が明窓に命じ、戦死者の屍を集めて葬った塚で、昔は「駿河塚」と呼んでいたと伝えられています。現在に至るまで代々の住職が、回向供養をしています


 

 

 

 

 

 

 

 

塚上の碑は、元文4年 (1739年)、180回忌の供養祭に

建碑されたものといわれています   (高さ 約1mほど)

 

 

 

 

 

 

🌸桜が満開でした桜         令和8年4月6日撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

桶狭間の戦いは、正確な位置には諸説あります
豊明市には、今川義元の墓があるため古戦場伝説地が有力ですが桶狭間の地名が残されている

名古屋市緑区も古戦場とされる地があり,戦場が何処かはまだ決定的な物証が残されていません
謎のままです!! 今度は緑区に行ってみます

 

 

 

戦人塚 (国指定史跡)

住所  愛知県豊明市前後町戦人塚1737
定休日 なし
入場料 無料
駐車場 なし
トイレ なし
最寄り 名鉄名古屋本線 前後駅
    豊明市観光協会HP