かずとのたびのブログ いい出会いと記憶 田舎爺の人生

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「画像はほとんど拝借です」
爺の故郷は山の裾 トンボも蝶チョも飛んでいた
過ぎ来し方を振り返り 明るく生きて参ります
孫の成長楽しみに いつか旅立つその日まで

(画像はXからの拝借です)

 
北九州市小倉は
 

 
今日は朝から雨です
 

 
春が来たと思っても
 

 
なかなか暖かくならないものですね
 

 
 

 
一昨日の午後3時頃から抗癌剤の点滴を開始して
昨日、今日と三日目ですが、
46時間経過する午後1時頃、終了の予定です。
 

 
いうならば、今、全身に抗癌剤が行き渡ったということで、
その効き目は、これから発揮されてくるということなのでしょう。
 
ですから、今日から数日は身体がだるく辛くなるのだと思います。
ただ、私の場合、その程度が軽いようで、有難いことだと思っています。
 

 

今日の血圧ですが、

  0715  138~81 起床後

  0850  127~68 朝食後

  1020  131~75

  1120  132~82

  1230  149~80 買い物帰り

  1330  133~72 昼食後

  1430  138~87

という推移です。

 

朝食後、昼食後に低いのは食後低血圧が少し出ていると思いますが、

午前午後とも、その後、明らかな上昇はないので、抗癌剤による血圧低下だと思われます。

 

買い物に行くなどの運動をすれば、血圧が上昇しますが、室内で安静にしていれば、

私にすれば、嬉しくなるような低い数値なので、

これはむしろ嬉しい効果ではないかと思ったりしています。

 

こんな状況なので、もらっている血圧の薬を飲む必要がなく、

一か月分が、数か月分にもなってしまうのでした。

 

今後は、何日経過後に、血圧低下の影響がなくなるかの確認をしようと思います。

 

 
 

 
今日は、カミさんに頼まれて(指示されて)、医療費控除のための病院代の計算をしました。
卓上計算機?がなく、スマホの計算機機能を使っての計算の上に、
抗癌剤の副作用で手の指先の動きが悪く(ボタンが上手くできない程度)、
随分と時間が掛かってしまいました。
 
現役の時は、卓上計算機というか、数字ボタンを押下するタイプを使っていましたので、
平面の数字を押していくのは、押し漏れが生じやすく、苦労しました。
 

 

昨日から抗癌剤の点滴が始まったので、血圧を時々、計ってみました。

   0630   140~80  起床後

   1340   132~79  昼食後

   1630   134~77  随時

   1940   143~85  夕食後

 

 起床後の数値は、私にしては良好で、これは昨日は降圧剤を半錠服用したことと、昨日から開始した抗癌剤点滴が影響しているのだと思います。

 朝食後は計るのを忘れてしまいましたが、昼食後の13時40分の数値は、昼間の活動時間帯にしては、かなり低めの数値です。これで、もし、今朝も降圧剤を服用していれば、かなりな低血圧になったのではないかと思います。

 夕食後の19時40分の数値は、降圧剤服用中の水準のものだと思います。

 

 血圧測定を継続すれば、抗癌剤による食後低血圧がどれくらい続くのがはっきりすると思いますが、これまで、抗癌剤点滴の二週間周期で、終わりの4、5日は本来の私の高血圧状態に戻っていましたので、そんなものだろうと思っています。

 

 
 

 
虹が見たいですね。
 

 
それと、この半年間強、体重回復のため、ご飯やら麺類やら炭水化物を増やしていたら、血糖値が「100」になってしまいました。上限は109なので、そろそろ炭水化物を減らした方がよさそうです。
 

 
 

 


今日の検査結果も、特に悪化しているところはなかった。


指先のジンジンについて医者先生に聞かれた時、説明が上手くできなかった。
寒くて身体が冷えている時、温かいお風呂に入ると、血管が広がり、血流が戻ってジンジンする感じですと言えば良かったなあ。






クレアチニンが、少し高くなっていた。パルススクワットで太腿の筋肉を鍛えているせいかなあと思った。
次回は、前日と前々日、二日間、運動を休んで検査を受けてみようと思う。




(画像はXからの拝借です)

 
最近、小説十八史略というのを読んでいます。
若い時は、宮城谷昌光の中国古代歴史ものを読みましたが、
今はそれほどの気力はありません。
 
ちょうど、「四面楚歌」のところですが、時間というものに不思議な気持ちになります。
史記などの歴史書が残っているということは、事実なのでしょう。
 
時間を遡れば、中国大陸だけでなく、ギリシャで、ローマで、中東で、知らない土地で、
いろいろな歴史があり、英雄たちが、そして一般庶民たちが生きていたのだと思います。
 

 

私は、自分が生きて来た、自分の周囲の70有余年のことしか経験していませんが、

世界というのか地球というのか、世の中は広く、

 

今年になってさえ、パレスチナで、ベネズエラで、イランで、

その地に住む多数の人たちが巻き込まれて命を落としていく出来事が起こり続けています。

 

不思議でなりません。

この世の中というものが、本当に分かりません。

 

誰が正しいのか、何が正しいのか、

いや、正しいということがあるのかさえ、分からないと思ってしまいます。

 

 

今年は、私のことで大変なせいか、カミさんがお雛様を出す余裕がなく、

我が家では、お雛様が出ていない三月三日になりました。

 

 

今日の起床後の血圧は144~90でした。

明日はまた抗癌剤点滴の日ですから、

二週間サイクルの最終日にしては血圧が落ち着いています。

グッスリ眠ることが出来たのかも知れません。

 

そのお陰か、何となく気分が良くて、

カミさんの出勤を見送った後、一番に、忘れないうちに、お風呂掃除を済ませました。

 

月、木、金のゴミ出しはだいたい以前のようにするようになりましたが、

癌闘病開始後は、風呂掃除だけは失念するというか、まあいいか、という気持ちが強いので、

今日、それが出来たのは、ちょっと嬉しい気持ちです。

 

 
 

 

小人閑居して不善を為す、ではありませんが、

ただ、カミさんと手を取り合って、命が尽きるまで生きるしかないのだろうと思っています。

 

 

出来るだけ、カミさんを泣かせずに過ごせたらいいなと思います。

 
 

 
灯りを点けましょ雪洞に・・・
 

 
 

 
先日、暖パンから普通のジーパンにしたばかりでしたが、
今日は、思ったより寒い感じがして、また、暖パンを出して着ました。
 
その前に、副作用の肌乾燥対策で、もらっている肌クリームとローションを塗りました。
背中の方も、この半年で、結構手が届く感じになりました。
 
お風呂のあとは、背中はカミさんに塗ってもらっていますが、
朝はカミさんが忙しいので、背中も、出来るだけ自分で塗るようにしています。
 

 
食卓に座ると、テレビで、山吹の活け花の場面で、七重八重花は咲けども、と言うので、
太田道灌の話だねと、私が言うと、その通りでした。
 
 七重八重 花は咲けども 山吹の
      実のひとつだに なきぞ悲しき (兼明親王)
 
カミさんが、なぜ知っているの?と聞くので、
言いようがないので、
うーん、この歌と太田道灌の話は、ある程度、一般知識に近いと思うよと、答えました。
 
  昔、太田道灌という旧江戸城?の城主が家来と狩りに出たときに雨に降られ、
 近くの農家をおとずれ、蓑を貸してくれるように頼んだところ、
 娘さんが出て来て、黙って山吹の花の一枝を差し出したという話ですね。
  話が分からない道灌が、これは何の謎解きだと家来の人に尋ねたところ、
 家来がこの和歌を伝え、
 「お貸ししたいが蓑がありません」と、婉曲に伝えたのですよと、説明を受けました。
  道灌はその後、恥じ入って、和歌の勉強に身を入れたということですね。 
 

 
仕事に出かけるカミさんをベランダから見送った後、
中学3年同組生グループラインに、お菓子の画像をアップしました。
 

 
 

 
 

 
糖尿病で、甘いものに気を付けている男子メンバーから、
「勘弁してくれ」と、ちょっと小泣きが入りましたが、
悪く思うな、気持ちだけ食べた気になってくれと、誤魔化しました。
 

 
 

 
 

 
また、水曜日が近づいて来ました。
 

 
(写真はXから拝借)

 
高校の新学期が始まると春の遠足があった。
5月の連休がくる前くらいの時期だったと思う。
 

 
唐津城の麓にある校舎から鏡山まで徒歩で登るのだった。
 

 
松浦川に架かる松浦橋を渡って東の浜に出て、
鏡山の登山口の近くまで東の浜の海辺を歩いた。
 

 
寄せては返す波と海の色は、高校生の私達には不思議だった。
 
  果てなく広ごる真理の海に
  抜き手をきりつつ浪また浪を
  こえ行く我らは松浦の浜の
  力の学徒
  力 力 力の学徒
  (校歌「天日かがやき」二番 下村湖人作詞)
 
私達は、
 光の学徒、であり、(一番)
 力の学徒、であり、(二番)
 希望(のぞみ)の学徒であった。(三番)
  

 
それから、浜辺から虹の松原に入り、
 

 
松原を横切って抜けて登山口に至り、鏡山を登った。
 

 
鏡山の頂上には、松浦佐用姫の銅像が立っている。
(高校生当時は無かった💦)
 

 
 

これは松浦佐用姫の出身地「厳木の里」に建てられている、
松浦佐姫の巨像です。
ゆっくりとグルグル回っています。
(夜中も回っているのかどうかは知りません💦)
 

 
鏡山からの唐津湾の眺望は綺麗でした。
 

 
羊羹色の海から
白い波が打ち寄せ(波打ち際は白くキラキラ輝いていた)
極淡黄色の砂浜が広がり
緑の松原が続き
 さらに
蓮華色の蓮華畑と
黄色の菜の花畑が広がっていました
 
本当に多色の「虹の松原」だなあと思ったものでした。
 
今はもう、蓮華畑や菜の花畑は見かけなくなったようですね。
 
そういえば、松原の傍に家がある生徒もいたなあ。
 
歩いて学校に戻り、鞄を取って、唐津駅から汽車で家に帰りました。
 
 

 
 

 
このところ、ブログ掲載の画像については、Xから借用していますが、
毎日、Xを見ながら、ニュース的なものではなく、
このような画像を見ていくのは、絵本を見ているようで、けっこう楽しいです。
もちろん、画像を見ながら、自分の頭の中で想像、変換が必要ですが・・・
 

 

二週間というのは結構早いもので、今回も、先週水曜日から抗癌剤の点滴をして、

今日はもう土曜日で、先週水曜日から数えて、11日目です。

 

で、医者の先生たちに説明するのに、食後低血圧がどんな具合かなあと思っていますが、

昨日は朝食後40分くらいで計ってみたら、起床後156~91が137~77と、

明らかに低下していました。

 

こんな具合なので、血圧の医者先生のいうとおりに疑問なく薬を服用したら、

低血圧が過ぎて、だるさ(抗癌剤副作用)にだるさ(降圧剤効果)が重なってしまうので、

用心しないといけないと思っています。

 

でも、今日は起床後148~92だったが、朝食後30分、45分、60分と計ったら、

いずれもむしろ若干上昇していて、当たり前の血圧の変化に戻っていました。

 

明日は、本来体質の、降圧剤を服用した方がよい高い血圧に戻っているのだろうと思います。

 

それにしても、血圧の先生は、

常時上が130以下になるように降圧剤を飲まないといけませんと言われるので、

70をいくつも過ぎた私としては、

それは行き過ぎじゃないですかと言いたくなるのです。

(いうことを聞いていませんけど・・・)

 

 

あと、ポリ手袋のお陰で治っていた右手指先のアカギレが、

先週水曜の抗癌剤点滴から、再発しました。

 

水が沁みるというよりも、何気ない刺激に痛みが走るのが少し辛かったのですが、

(痛くて我慢できないというまでではないのですが)、

先ほど思いついて、アカギレの所を押したり曲げたりして、

逆に刺激し、痛みに慣れたらどうだろうかと、やってみました。

 

結果は、成功でした。

これから、一日に何度か逆刺激をやって、痛みにならそうと思います。

 

 
夜空に浮かぶイルカ。
 
絵本でも、作ってみたい気分になりますね。
この絵が表紙で、
タイトルは「夜空のイルカ」、または「星になったイルカ」
 
でも、私の想像力は、そこまでです汗
 

 
 

 
 

 
明日から三月。
春はすぐそこですね。
 

 
小倉は、今日は雨です。
 
小学生の時、母に長靴を買ってもらった。
男の子用の黒の長靴が無くて、母は緑色の長靴を買って来てくれた。
 
保育園の時、白いハンカチが無かったのと同じ流れだ。
クラスの友達、いや、同じクラスではあるが、仲の良い人はいなかったので、友達ではないな、
そのような場合、何と言えばいいのだろうか、同じクラスの人?
 
同じタイミングで下校することになる同じクラスの人からは、
女の子みたいな長靴だとからかわれた。
でも、私は、その緑の長靴が嫌ではなかった、むしろ気に入っていた方だと思う。
 
少し大きくなって、次に買ってもらったときは、普通の黒の長靴だった。
 
 

雨が降ると、何だか嬉しいなあ
 

傘がいっぱい
 

舞い上がる傘
小さい頃の自分の夢のようだ
 

傘は、使った後は干すものだと、カミさんが教えてくれた
母にはそこまで教えてもらわなかったなあ
 

 
 

舞い上がれ、どこまでも
 

 
 

シマエナガは仲良しだね
 

 
 

 
 

アイスクリームが乗ったソーダ水
 
故郷には、こんな上品なものが売っている店はなかったなあ
 

雀は母の生まれ変わり
 
私は何に生まれ変わろうか
やっぱり母と一緒の雀がいいなあ
 
カミさんはどうするのだろう
一度聞いておかないといけないなあ

昔、私が高校生くらいまで(昭和45年くらいまで)は、

佐賀県では、バスでラジオが流れていた。

なので、バスに乗っていても、ニュースや天気予報を聞くことが出来た。

バスには、時計も付いていたので、腕時計を持たない子供でも、

今は、何時何分だなということが分かった。

 

東京大阪などの大都会ではどうだったのだろうか。

 

さすがに、汽車(国鉄)ではそんなことはなかった。

 

一番記憶に残っているのが、原爆被害者数の人数のニュースだ。

夏休みになると、嬉野の祖母に連れられて、

長崎県の波佐見(だったと思う)に墓参りに行った。

 

祖母は、佐賀県の山瀬村の出身だが、木を買いに来た材木商の祖父に見初められて、

長崎県の波佐見に嫁に行ったということだ。

 

だが、祖父が事業に失敗して、波佐見の地元に居ることが出来なくなり、

祖母の実家を頼って、佐賀県厳木町本山まで移り住んだということだった。

ちなみに祖母の実家も材木商で、20年ほど前までは、嬉野の伯母に連れられて、

祖母の実家への挨拶について行ったりした。

 

で、祖父祖母一家は、逃げるようにして地元を出たので、墓はそのまま、

親戚に頼んで、波佐見に置いたままになっていた。

それで、夏休みの盆前になると、祖母が墓参りに行くのだが、

私は、高校3年の夏まで、祖母の墓参りについていった。

 

その時期が、広島原爆や長崎原爆の日の前後になるので、

バスのラジオのニュースで、被爆者死亡者名簿が毎年更新されており、

今年は何千何百何人の追加で、合計何十万何千何百何人になりました、と、

毎年、放送されていたのでした。

 

誰も話す人がいないバスの中に、ラジオのニュースだけが流れているのは、

今思い出しても不思議な世界だったと思います。

 

 

 

仲良しこよし
いっしょに水浴びしましょうね
 

僕も仲間に入れてほしい
 

仲良しは羨ましいな
 

美味しいお菓子も分けてたべるのかな
 

ちょっと疲れたよ
少しお休み、そしたらまた元気になるよ
 

いい陽射しだね

ポカポカして気持ちいい

 
 

小学校の校庭に埋めてあったタイヤで
跳び箱したのが懐かしい
 

誰か来ないかなあ
 

夜道は大変だけど
お月様はついて来てくれるよ
頑張って隣町まで行ってみようよ
 

春はそこまで来ているよ
 
 
昨日履き替えたギーパンだけど
頑張って食べたお陰のウエスト太りでお腹周りがきついので
32インチにしないといけないなあ