かずとのたびのブログ いい出会いと記憶 田舎爺の人生

かずとのたびのブログ いい出会いと記憶 田舎爺の人生

「画像はほとんど拝借です」
爺の故郷は山の裾 トンボも蝶チョも飛んでいた
過ぎ来し方を振り返り 明るく生きて参ります
孫の成長楽しみに いつか旅立つその日まで

 

唐津城天守台には、エレベーターで昇った。
大阪城に設置されているようなエレベーターが外付けされたのかと思っていましたが、
なんと、城がある山の麓から山の斜面に沿って作られた、
斜めのトンネルをケーブルカーが登っていくような造りのエレベーターでした。
トンネル式ですから、エレベーターから外の景色は見えませんでした。
 

この辺の近くにエレベーターから出て来たと思います。
 

私は小倉(北九州市)に住んでいるので小倉城は馴染みがありますが、
唐津城は、小倉城にあまり引けを取らず、
唐津という人口のそれほど多くない都市の城としては、立派なものだと改めて思いました。
 
妻と私が唐津城天守閣を見上げていると、娘が妻に、
「前来た時と、何か変わった感じ?」と聞きました。
妻が「いや、この前来た時と同じ、変わってないと思うよ」と答えたので、
 娘「この前は、いつ頃来たの?」
 妻「父さんと付き合ってた時だから50年前かな」
 娘「ええっつ、50年前のことを、ついこの前のように言わないでよ!!!」
と、言い合っていました。
 

 
 

娘が、天守閣の中の売店でアイスキャンディーを買って食べると、
なんとそれが当たりで、もう一本もらってくると、また天守閣の中に入って行ったので、
妻と息子と私は、城山から周囲を見物しながら待っていました。
 

鏡山です。
 

(続きます)
 

博多拉麺で腹ごしらえをした私達は、次に唐津城に向かいました。
唐津城は、妻と付き合っていた時に、一度連れて来た思い出の場所です。
 

唐津城に上る前に、母校の校門を覗いて見ました。
校門までの上り坂はそのままでしたが(アンツーカーになっていた)、
幕末藩校時代からの歴史的な校門は、もうありませんでした。
 

これは、唐津城天守閣から母校を上から見たところですが、
校舎の位置、運動場、テニス場などの配置は変わっていませんでした。
3年になると、校舎の屋上に出て、弁当を食べたのが懐かしいです。
 
校舎は3階建てで、教室は、一階は一年生、二階は二年生、三階が三年生だったので、
三年生にならないと、屋上で弁当は難しかったのです。
 

唐津城の大手門から道路を挟んで駐車場がありました。
駐車場から大手門まで地下道が続いていましたが、
唐津くんちの山車の陶板が地下道の壁に飾ってありました。
 
一番山 赤獅子
 

三番山 浦島太郎
 

5番山 鯛
 

十三番山 鯱
 
本来、大手門から階段を登って天守台に出るのですが、
エレベーターがあるというので、校舎の裏道に沿って、少し歩きました。
 
すると・・・
 

佐賀県立唐津東高校だったはずなのに、
「早稲田佐賀中学校・高等学校」になっていました。
いつか、地元の同級生が、早稲田が出て来て、唐津東は場所が移った、と言っていたのを思い出しました。
伝統ある校門も、新しい地に移されたのでしょう、さっき見ても、無かったはずです・・・
 
それにしても、なぜ早稲田「唐津」中学校・高等学校ではなくて、
「佐賀」中学校・高等学校なのでしょうか、???
 
同じ佐賀県ですが、唐津市は、江戸幕府譜代の地です。
天保の改革の水野忠邦などは、唐津から浜松に所領を変えてもらって、老中になったはずです。
 
佐賀藩は鍋島で、外様です。
ですから、同じ佐賀県でも、唐津と佐賀は仲は良くありません(そのはず?)
だから、唐津に近い人間としては、
唐津の地なのに、佐賀中学校・高等学校と名づけたのが、まったく、理解できないのです・・・
 
 

 
鏡山の話は、
実は、鏡山は本当はもっと高い山だったのだ、という話です。
鏡山は、かがんでいるので低いのだというのです。
 
昔むかし、まだ国が、九州と関西以西しかなかった頃の話ですが、
山々が背い比べをしました。
そして、鏡山と、もう一つ関西の山のどちらかが一番高い山だろうということになりました。
決着をつけないと面白くないという神様が居て、決着をつけることになりました。
神様は、鏡山とその関西の山の頂上から頂上に、樋をかけ渡しました。
そしてその樋の真ん中に水を流したのです。
当然樋の水は、低い山の方へ流れるので、どちらが高いか分かるという理屈です。
ジャジャーン。
神様が樋に流した水は、関西の山の方に流れ出しました。
すると怒った関西の山は、鏡山のお腹を蹴ったのでした。
鏡山は蹴られた痛さに耐えかねてかがみ込んでしまい、
水は逆流してかがみ込んで低くなった鏡山の方へ流れて行きました。
こうして、関西の山の方が高いということになったのでした。
それから、鏡山は「かがみ山」と呼ばれるようになったということです。
 

私達は鏡山を降りて、ふもとのラーメン屋でお昼を食べました。
妻と娘と私は、全部乗せというやつにしました。息子は違う辛い奴に。
このラーメン屋は博多の流れらしく、博多拉麺と店の名がついていました。
 

ラーメンを食べて腹ごしらえをした私達は、次に唐津城に向かったのでした・・・

 

(続きます)

 
 

曲がりくねった登山道?を登って(車で)、とうとう鏡山に着きました。
 

鏡山は、唐津城の麓にある母校から約8キロで、高校の遠足はここでした。
高校の遠足では、東の浜を歩いて、虹の松原の中ほどで登山道に入り、学校から2時間ほどで頂上に着きました。
今回は車で登ったので、すぐでした。でも運転している息子は、道が曲がりくねっているねえ、と、少し驚いていました。
 

頂上の広場には「松浦佐用姫」の像がありました。
私が高校生の時にはまだ無かったと思います。
 
朝鮮征伐に向かった大和朝廷の将軍と恋仲になった佐用姫が、別れを悲しんでこの山の上から、恋人が乗る船に向かって領巾を振ったのですが、そのことが万葉集に歌として残っています。
 
 遠つ人 松浦佐用姫 つま恋に 領巾振りしより 負える山の名
(万葉集868 大伴旅人?)
 

私が高校生の頃、5月ころは、菜の花畑と蓮華畑が広がっていて、
海の方から、青い海、白い波、やや黄色い砂浜、緑の松原、そして菜の花畑と蓮華畑が
七色の虹のように連なっていました・・・
 
で、ですね、妻が「鏡山は本当は、もっと高い山だったんだよ」と言い出しました。
私が妻や子供達に話して聞かせたことがある松浦地方地元民話のことなのですが、
息子と娘は、小さい頃に話して聞かせた話なので、もう覚えてはいないようでした。
 
(続きます)
 

 

昨日、久々に、ぎっくり腰になりました。

痛くて、動けない、歩けない。

トイレに行くのも大変・・・

 

それが、背骨伸ばしの、壁ピタストレッチのことを、

この一年は、癌のことばかりに頭が行ってて、すっかり忘れていました。

 

今朝、急に、その壁ピタのことを思い出して、少しずつやっています。

一年も忘れていたので、思うように身体が、背骨が伸びません。

明日は、もう少しきちんとした壁ピタが出来たらいいなあと思っています。

 

昨日は布団に横になるのも恐る恐るでしたが、

今日は少し良くなっているので、そこまでは無いと思います。

 

 

 

 

今日は(7月29日)、抗癌剤治療の血液検査の日でした。

結果は、予想通り、少し悪くなっていました。

 

主治医さんは、特に慌ててもいませんでした。

今日は検査項目が少ない日なので、癌マーカーの推移は分かりません。

 

でも、LDHが442と、昨年8月に抗癌剤治療を開始して最初の血液検査と2回目の血液検査の、

中間くらいの数値に戻っていました。

そのほかの肝機能項目の数値が、ほぼ前回と同水準なのが不思議です。

高感度CRPも0.299と、順調?に高くなって(悪化して)いました。

 

クレアチニンのことを考えて、運動やプロテイン摂取を少なめにしたりしていましたが、

とりあえず、癌の症状安定が最優先と思いますので、

それを少し改めてこの二週間を過ごしたいと思います。

 

次回の通院で、ちょうど一年経過するので、抗癌剤の効き目が無くなるかどうかも、

間もなく分かって来ると思います。

 

効き目が無くなって来ての治療内容に特段の変更が無ければ、

イ〇〇メ〇〇ンの出番が来るのかなあと思い始めました。

 

 

 

 

 
 

 
 

毎日、いろいろな記念の日があって、楽しい日々が続きます。
 
古賀SAで一休みして、唐津に向けて出発しました。
朝の10時くらいだったでしょうか。
 
九州縦貫道をしばらく行って福岡のICで、福岡都市高速に乗りました。
 
そうそう、私達の車はETCカードは使えません。なので、ETCサポートを利用しました。
料金所を通過するたびにETCサポートに並びましたが、必ずサポートがありました。
 
妻から助手席の私がお金を受け取り、運転手の息子に渡し、
息子が受け取ったお釣りを私が受けて妻に渡すという何とかリレー方式で対応しました。
 
福岡市西区で、福岡都市高速が終わったので地上の唐津街道沿いの、
自動車専用道路に乗りました。
ナビは、鏡山に設定していました。
 
糸島市を過ぎる辺りから、二丈浜玉道路、愛称「カモメロード」に乗りました。
この二丈町は、神功皇后が三韓征伐の際、
応神天皇のご出産を伸ばすため懐に入れられていたという「鎮懐石」を
お祀りした八幡神社があるらしいのですが、
妻や息子、娘は、あまり興味は無いだろうと思い、余計なことは言わず、黙って乗っていました。
 
やがて道路は佐賀県に入り、標識に鏡山の表示が現れました。
 

(続きます)
 

 
 

 
 

 
 

唐津城が見えますか?
 

 
夕焼け小焼けの赤トンボで、「姉や」は15でお嫁に行って、
やがて、お里への便りも絶え果てたのだそうですが、
それは、野菊の墓の「民子さん」のことなのか、などと、ずーっと思っていました。
違うようですね・・・
 
 
息子の運転で、妻と私、三人は、小倉駅の新幹線口側(北口になります)の、
そう伝えれば娘に分かる、コンビニの近くで車を停めて待っていました。
 
娘が乗って来た新幹線は予定通り着いたのですが、なかなか娘が降りてきません。
車の中で、どうしたのかなあと、言い合いながら待っていると、妻が言いました。
 
娘からラインが来て、今、帰りの新幹線の切符を買っているとのことでした。
娘は岡山からのぞみに乗って来たのですが、
自由席で来たので、小倉に着くまでまったく座れず、疲れてしまったそうです。
帰りもそうだと、帰った後の家事に影響するので、帰りは座ろうと、指定席を取ったとのことでした。
 
そんなことで、思ったより少し小倉出発が遅くなりましたが、
小倉駅北から北九州都市高速に乗りました。
 
後部座席では、妻と娘があーじゃ、こーじゃ言っていましたが、
無事、八幡で、都市高速から九州自動車道に乗りました。
 
私は、もう15年近く運転していないし、妻は高速は走らないので、
本当に久しぶりの高速道路で、懐かしい道行でした。
息子に運転してもらうので、私は本当に楽ちんでした。
ちなみに我が家の車の保険は、35歳以上を対象にした保険なので、
別居の息子、娘も、保険の対象なので、そこは安心でした。

 

 
そして、1時間ほどで、古賀SAに着き、ここで一休みしました。
 
 
(やっと古賀に着きました、続きます)

 

息子は、新幹線まで出るのに時間が掛かるので当日では遅くなるというので、

午後から半休をとったのだろう、前日17日の夕方、小倉にやって来た。

妻は仕事なので、そして私は免許返納してもう何年も経つので、迎えにはいかず、

路線バスできてもらうことにして、家で息子を待った。

 

妻は、息子の好物の寿司をスーパーで買ってきた。

私は、ノンアルビールを買って冷蔵庫に入れていた。

息子は、結婚して暫くして酒を止めていた。

私は癌で去年6月から飲酒をやめ、8月からは医者から禁止されているので、

アルコールなしの夕飯で、なんとなくペースがあった。

 

食事のあとは、三人でダイヤモンドゲームをした。

やはり、妻がダントツで勝った。

 

そのあと、どんなコースで唐津に行くかという話をしたが、

やはり福岡までは九州縦貫道を通り、福岡からは唐津街道沿いに行こうということになった。

もし、長崎縦貫道の佐賀経由で行くのなら、基山SAでうどんを食べたかったが、

それは無いということになった。

 

話が決まると、翌朝は、8時半に家を出て、娘を小倉駅に迎えに行くというので、

みんな早めに寝た。

 

(続く)

 

 

この7月19日~20日で唐津嬉野の旅行に行ってきました。
その記事です。
 
去年の8月、私が癌になって、これから抗癌剤治療を受けることにしたと子供に話した時、
息子が「父さん、どこか行きたいところは無いの?」と聞いて来た。
 
今回の旅行でいろいろ話して分かったのだが、息子は私のことを、もう危ないのじゃないかと
思っていたのだという。
 
それで私は唐津城に行きたいと話したのだが、
息子が早くその旅行に連れて行こうと少し気持ちが急いたのは、
そんなに時間の余裕がないと思ったかららしい。
 
実は息子の嫁さんのお父さんが、数年前、癌で亡くなっており、
息子にはそのことが頭にあったらしい。
 
幸い、私は抗癌剤治療が効果があって、自分でも驚くほど回復したので、
私が「今は無理して旅行に行くよりも、せっかく抗癌剤治療の効果が出ているので、
治療の方を優先したい」と息子に説明して、先延ばしにしてもらっていたのだった。
 
(続く)