かずとのたびのブログ いい出会いと記憶 田舎爺の人生

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「画像はほとんど拝借です」
爺の故郷は山の裾 トンボも蝶チョも飛んでいた
過ぎ来し方を振り返り 明るく生きて参ります
孫の成長楽しみに いつか旅立つその日まで

 

 
「背水の陣」といえば、もう後がなくて、勝つしかない、という意気込みで、
戦うことかと思っていましたが、そうじゃなくて、
実際に、水つまり川を背にして戦ったことをいうらしいですね。
 

 

孫子の兵法か何かに載っていた兵法かと思いましたが、実際には、

漢楚抗争の中で、漢の韓信が、把握しきれていない将兵を率いて戦う時に、

将兵の逃げ道が無い、全面の敵と戦うしかない陣を敷いて、

将兵の必死さを呼び起こして勝利した陣形だということです。

 

もちろん、陣形以外にもいろいろな策略も併用したようですが。

 

背水の陣を思いついた韓信は兵法の才能があったのでしょう。

 
 

 
そんな韓信でも、漢帝国開始後は、劉邦に謀反で滅ぼされてしまいました。
韓信だけでなく、布衣の劉邦と一緒に秦滅亡後の時代を駆け抜けた英雄たちには、
自分も劉邦のようになれると、思えたのかも知れませんね。
 
でも、独立を許せば、漢帝国は成立出来ませんから、
劉邦も、泣く泣く有能な将軍たち、仲の良かった将軍たちを滅ぼすしかなかったのでしょう。
 

 
背水の陣のような戦いにならないように、したいと思いまね。
 

 
 

 

新書漢文大系17 唐詩選より

 

越中懐古  李白

 

 越王勾践 呉を破って帰る

 義士家に還るに ことごとく錦衣す

 宮女は花の如く 春殿に満つ

 只今 唯だ鷓鴣(シャコ)の飛ぶ有るのみ

 

  越王勾践が呉を破って凱旋したとき、

  兵士は恩賞の錦の衣服で着飾っていた

  越では、花のような宮女が宮廷に溢れていた

  だが今は、ただ、山うずらが飛び回っているだけだ

 

李白が、いにしえの越の都の跡を訪ねたときの詩のようです。

 

 呉と越の争いは、臥薪嘗胆の故事ですが、中国の春秋時代と言いますから、紀元前4,5百年ころのことでしょうか。

 李白は、唐の玄宗皇帝の頃の詩人ですから、紀元7百年代、軽く千年以上も後の人です。

 遣唐使の阿倍仲麻呂とも知り合いだったようですね。

 

 杜甫は、玄宗時代の安禄山の乱で、国破れて山河あり、と歌いましたが、

 ひょっとしたら、李白も、最後の一行に、それを言いたかったのかも知れません。

 花のような「宮女」には、悲劇的な死を遂げた「楊貴妃」このとを重ねたのかも知れないなと思いました。

 

 

 

 

 
 

 
 

 
新しい年になりましたが、毎日人参ジュースを飲んでいます。
癌になった後、勧められて飲むようになり、その後体調もいい感じなので、
癌情報などでも人参の評価は良いようなので続けようと思っています。
 
今日、「豊臣兄弟」を見ましたが、BSで見ていますが、
そのあとに続いジョージ秋山の「浮浪雲」が放送されました。
若い時に漫画で見ていたので、懐かしくなって続けて見てしまいました。
 
ただ、じっとテレビの前に座り続けるのもなんだかなあと思ったので、
浮浪雲は30分で見るのをやめました。(60分番組です)
 
録画して、昼間に見ようと思ったのですが、我が家のビデオ装置は、
2台とも年季が入っているので、BS4Kは対応しておらず、録画できません。
 
今のところ、ビデオ機器を買い替える予定はないので、
見たいときには、カミさんに不興を買うでしょうが、
テレビの前に座り続けるしかないのかな、と、思っています。
 
浮浪雲役とその息子役が、いい感じだなと思ったので、
見たい気持ちが消えないです。
 
 

 
 

 

万葉集3922

 

前文

 

 (天平)十八年の正月に、白雪さわに降りて、地に積むこと数寸なりき。時に、左大臣橘卿大納言藤原豊成朝臣と諸王臣等とを率いて、太上天皇の御在所に参りて、雪掃きにつかえ奉りき。ここに詔を降して、大臣参議と諸王とは、大殿の上にさもらわしめ、諸卿太夫は南の細殿にさもらはしめたまひて、すなわち酒を賜いてとよの宴したまふ。みことのりして曰く「いまし諸王卿等、いささかにこの雪を賦して各々その歌をもをせ」とのりたまふ。

 

 左大臣橘宿祢の、みことのりに応える歌一首

 

  降る雪の 白髪までに 大君に 仕えまつれば 貴くもあるか

 

 天平十八年は西暦746年。時の天皇は聖武天皇で、姉の日高内親王はその姉で前代の元正天皇であった。聖武天皇は病弱で、即位後も政務が取れないことが多かったので、譲位後も元正天皇が太上天皇として代わりを務め、橘諸兄、藤原仲麻呂らと政務をとったらしい。

 そのため、元正太上天皇を敬う歌が万葉集にも残ったようです。

 

 元正天皇(日高内親王)は、聖武天皇が成長するまで、母の元明天皇の跡を継いで、中継ぎの天皇を務められましたが、その関係で、独身で一生を過ごされたとのことです。

 聖武天皇即位後、妹の吉備内親王の夫の長屋王(元正天皇の従兄弟)が、藤原氏による長屋王の変により自殺に追い込まれますが、聖武天皇の病弱は、そのあたりのことも何か影響があったかもしれませんね。

 

★☆

 天皇家の親衛隊長のような立場の大伴旅人は、長屋王の変の時、大宰府に遠ざけられていて、この事変を防ぐことが出来なかったようです。(聖武天皇も防ぐことが出来なかった・・)

 

 

近頃、頭に浮かぶ歌

 

旅人よ 加山雄三

 

 

 

 

作詞 岩谷時子

 

風にふるえる 緑の草原
たどる瞳かがやく 若き旅人よ
おききはるかな 空に鐘がなる
遠いふるさとにいる 母の歌に似て
やがて冬がつめたい 雪をはこぶだろう
君の若い足あと
胸に燃える恋も 埋めて
草は 枯れても
いのち 果てるまで
君よ 夢をこころに


若き旅人よ

赤い雲ゆく 夕陽の草原
たどる心やさしい 若き旅人よ
ごらんはるかな 空を鳥がゆく
遠いふるさとにきく 雲の歌に似て
やがて深いしじまが 星をかざるだろう
君のあつい想い出
胸にうるむ夢を 埋めて
時は ゆくとも
いのち 果てるまで
君よ 夢をこころに
若き旅人よ

 

この歌は、1966年に発売されたらしい。1966(昭和42)年は、私は中学3年で、この歌のことは知らなかった。

高校生になって、親しい友人がよく歌っていたので、この歌のことを知った。

1970年、高校3年の8月10日、福岡市の博多駅近くのビルで就職面接を受けたが、その帰り、博多から唐津までの筑肥線沿いの一面の緑の田圃の稲が、風に揺れていたのが印象に残っている。

この歌のことを思い、風が足跡を残して通り過ぎていくなあと思ったものだった。

 

いのち果てるまで、母と妻を始め、私の人生を支えてくれた人のことは忘れない。

 

 


太宰府へ



絵馬奉納



湯布院へ

今年一年、いろいろとお世話になりました。

妻と子ども逹の有り難さを再認識した年でした。

良いお年をお迎えください。

 

昨日、今日と、カミさんとダイヤモンドゲームをしました。

 

昨日は、とてつもない不出来で、

3手のハンディも全く関係ない大差の大負けで、二連敗しました。

 

ところが、今日はどうしたことでしょう、

ハンディの中で競るどころか、ネットで、しかも、余裕で、勝ってしまいました。

 

???のカミさんが気が治まらず、

2勝先取でケリがついたのに3局目までやって、とうとう私が三連勝してしまいました。

 

1勝ごとに、ハンディを1手づつ少なくしたのですが、2戦目も3戦目も、

ハンディ関係なしの余裕の勝利でした。

 

次回は、おそらく年が明けてからになると思いますが、

カミさんも長考を?入れて、本気で来ると思いますので、また勝てるように頑張ります。

 

 

北九州市、小倉金田の今朝の朝焼けです。
 

既出。
 

今回も、羽子板飾りを出しました。
 

木綿豆腐半丁を潰して、卵二個と混ぜて、フライパンで焼きました。
 

今日のお昼です。
スーパーの果物コーナーで、急に食べたくなってカットリンゴを買って来たのですが、
家に帰ると、大きなリンゴが二つあって、
カミさんから、無駄遣いしないでねと叱られました💦
 

今年も、あと少しになりましたね。
 

今年も押し詰まって来たので、義母のお墓参りに行った足で、
門司の義兄宅で、忘年昼食会になりました。
 
女性陣3人は、門司港育ちの3姉妹で、男性陣は、各地からの寄せ集めです。
私が最後に仲間入りして、もう48年も経ちました。
 

 
 

今日の朝食。
昨日はカニ鍋をしたので、今朝はその残り汁でカニ雑炊をしてくれました。
 

来年用の玄関活け花。
例年と違い、長持ちするユリを使わず、菊がメインになっています。
 
カミさんが活けてくれるのですが、活け花を習ったことがあるのかどうかを、
若い時に聞き忘れて、今はもう、怖くて聞けません💦
 
松ぼっくりは、三保の松原でいただいてきたものです・・・
 
 

門司のスタンドでガソリンを入れましたが、
高市効果の価格で、有り難いことです。
 

11時半から、午後4時まで、あれこれ話がつきませんでした。
来年も義兄弟姉妹で忘年会ができるよう、頑張りたいと思います。
 

 
門司港の海岸沿いに建設中の、星野リゾートのホテルも見てきました。