真間の手児奈霊神堂と弘法寺

手児奈霊神堂(千葉県、市川市にある)

 伝説上の女性手児奈を祀る霊堂で手児奈霊堂とも称される。手児奈の伝説は今から1300年ほど前、薄情な美人の手児奈が世の中のしがらみによって真間の入れ江から入水自殺と古くから伝えられている伝説から、万葉集の歌人たち山部赤人・高橋虫麻呂らによって想像力豊かに作られた物語で万葉集・巻き三に書かれている。要約すると真間の井(亀井院)に水汲みに来る美しいが身なりはそまつだった女性、名前は手児奈に多くの男性が結婚を求めた。手児奈は、私が誰かと結婚すれば、他の人を不幸にするとなやみ日没になろうとしたころ、海に行き(当時は真間山の下は海だった)「あの太陽のように」と思って海に身を投げてしまった。これを悲しんだ人たちは、手児奈霊神堂を建てて祀った。のような伝説がある、手児奈霊神堂である。江戸時代はかなり信仰があり門前町もできたほどであったが現在は住宅街の中にあり、安産の神様としてあがめられている。

 場所は総武線市川駅から真間山に向かって徒歩20分程度の場所にある(下地図参考)。

 

        

広重「名所江戸百景」より

 

手児奈霊神堂の入口

 

   

手児奈霊神堂

 

    

境内にある池          池の対岸から見た手児奈霊神堂

 

         

仏様                      藤棚

 

   

手児奈が通ったと言われる井戸(亀井院にある、下地図参考)

 

 手児奈霊神堂から歩いて5分程度のところに真間山の登山口千個以上の石が使てある急な階段があり、頂上に手児奈の霊を供養する弘法寺がある。

 

真間山の登山口

 

   

涙石(下から27段目に個の石が涙を流すように濡れている)

江戸時代に、日光東照宮造営に使う石を運搬中市川付近で船が動かなくなり積んであった石をこの石段に使った武士が石段で切腹した時の無念の血と涙がしみ込んでいるとの伝説がある。

実際は市川市には水脈が多く300以上湧き水が存在しているので石の一部が水脈に触れているのではとの説がある。

 

弘法寺

 この急な階段を登りきると、弘法寺の仁王門にでる。

 

仁王門

 

     

仁王様

 

 奈良時代、真間の手児奈の霊を供養するために建てられた球法寺が始まりとされている。

平安時代、空海が伽藍を構えて弘法寺と改称した。室町時代、山下に真間宿または市川両宿と言われる門前町が発展した。江戸時代は徳川家康より朱印地30石を与えられ徳川家光三訪れ、もみじの名所と知られていた。戊辰戦争おころ初めは幕府軍の駐屯地であったが後に官軍の駐屯地となり市川・船橋戦争が行われた。明治時代に火災のため諸堂は焼失したがその後再建され現在に至る。境内には弘法寺古墳(前方後円墳)、真間山古墳(円墳)がある。

 

 

参道

 

本殿

 

     

手洗い                    桜林

 

     

観音様                   仏堂

 

古墳?

 

 モミジ林の代わりに桜林は見つけられたが、古墳らしきものは見られたが確認できなかった。奈良時代から存在する寺だがここにも住宅の波が押し寄せている。

 

手児奈霊神堂の有る所

 

 

 

弘法寺の有る所