『千利休は明智光秀』 | Kazuyaの真実を語る

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私は、「塩見和也」「京都府宇治市在住」です。

京都 塩見和也


このことは、大本教の出口王仁三郎師の著作「水鏡」に、神様から伺ったこととして書かれていて知りました。


私は、大本教の信者ではありませんが、
たまたま、綾部の大本教本部の前を通りかかったときに、正門前に書籍部があり、なぜか、導かれるように、中に入り、沢山の書籍の中から、一冊『水鏡』という本を手に取り、ぱっと開けたら、
この文章のページだったのです。
明智光秀公によって、導かれたと思いました。

嘘の多い歴史書を下に歴史が語られていますが、
真実は、表に出ないことが多いですね!
これは神様から出口師が聞かれて書いておられるので真実と確信しています。





 

《上記、ネットにも掲載されています。ぜひ、確認ください。》


また、2020年に、京都寺町の廬山寺に行き、
『明智光秀公の念持仏』を、拝見してきました。
明智光秀公は、出陣する時、この念持仏のうち、
中央の地蔵菩薩像のみ持ち運ばれ、陣中において、日々、礼拝されていました。
ところが、山崎の合戦の前に、この念持仏を、
厨子ごと一式、廬山寺に預けられたとのこと。
推測するに、山崎の合戦に勝つ気なら、陣中に持ち運んで祈ったでしょうが、一式預けて出掛けたということは、山崎の合戦に、勝つ気が無かったと思えます。
秀吉に勝ちを譲って、自分は死んだと偽装して、千利休となって、秀吉の参謀となり、秀吉のもとで、天下泰平、麒麟が来る世の実現を目指したと思えるのです。



《ここからは私の推測です。》

千利休は、
元々の人と、明智光秀と二人居たのでは、思います。
秀吉の参謀となって活躍したのが、
もちろん、明智光秀が扮する方です。

千利休は明智光秀なので、秀吉の参謀として、歴戦の戦国武将を操縦して、天下統一が出来たのである。

本当に、ただの堺の商人で茶人であれば、天下の参謀が勤まる訳がない。これが出来るのは、明智光秀しか有り得ない!

さて、秀吉の下で、天下太平を実現したが、秀吉も自分が太閤として、天下を我がものにしようとしたため、明智光秀は、秀吉の下を去った。

その後、天海僧正となり、
江戸幕府を支えて、天下泰平、麒麟が来る世を実現したと考えています!

《追加》
この千利休の話は、神様が出口師に、
真実を伝えられたという点が大切なのです。
神様のおっしゃることは、
人間の理解や理屈を超越した真実なのです。

裏千家の家元が「どうしてそれがわかったのですか」と裏付けされていることも、見落としてはなりません。
千利休が明智光秀であることは真実であり、
千利休の切腹も否定されています。
神様とは、真実を手短に語られます。
嘘は言われないのです。
出口師は、聖者とは言え人間なので、師が神様の言葉に肉付けした部分には間違いはある可能性もあると思います。
明智光秀公と秀吉公との間に妥協があったとすれば、一族の方々を逃がすこと、深追いしないことと思います。だから明智家の子孫が各地に残っているのだと考えます。

私は、光秀公は、麒麟の来る世、天下太平を求めて、義昭→信長→秀吉(千の利休)→家康(天海)と渡って、徳川幕府にて、ようやくたどり着いたと考えます。(天海を光秀公の息子と考える方もいます)

年齢的に無理があるとお思いかも知れませんが、いろんな証拠を残されており、光秀公は、早く気づいてほしいと願って、痕跡を残した上で、400年待っておられると思います。

《追加2》
まあ、私も、出口師の本に出会って、最初は有り得ないと思いました。それから、20年、あれやこれや調べたり考えたりしました。でも、誰も千利休になったと書いた人はいません。
ただ、出口師は、近代日本を代表する霊能者で、神様からの使命の大きい方で、神様から伝えられた真実として語られたので、これは、信じられないけど、真実だと思います。
そして、裏千家の家元、円能斎師が、裏付けられたという事実は、信じるしかあるまいと思っています。
私は、この本に、見えない力に引っ張られるように、手に取らされました。

私は、光秀公の神霊が、私に伝えてくれと、言ってこられていると思ったのです。