今日は父母の戒名を付けて頂いたお寺で、お施餓鬼法要があり、姉と共に出かけた。
私と姉は今年で2回目の出席だが、今年の方がお寺にやって来る人が多かった。
禅宗のお坊さんが16名、出席者は50人ぐらい居ただろうか。
午前中の1時間、16人のお坊さんが一斉にお経を唱え続ける。
本堂の中は異空間に入り込んだような不思議な雰囲気に包まれる。
ずっと唱え続けるお坊さんの体力と声の響きに驚かされる。
最後に塔婆を頂いて帰るのだが、父母の墓は芝生墓地なので塔婆は寺に預かってもらった。
寺からの帰りに市営墓地に寄って、父母の墓に花を供えて手を合わせた。
姉と一緒に出掛けるのはこのような時ぐらいだが、還暦を過ぎても姉妹で会って世間話ができるがありがたい。
父や母が生きていた頃は紆余曲折があったが、今となっては父や母に対しても姉と妹の関係も落ち着いて、心穏やかな気持ちになった。
今年の秋、父の三回忌が終わったら、自宅に近いお寺の樹木葬にお墓の骨を移す予定だ。
市営墓地は一見良さそうだが、墓の管理者を決めて毎年管理費を納めなくてはいけない。
そして今の管理者である私が亡くなった場合は、別の誰かがその役を引き受けなければならない。
姉夫婦は自分たちは散骨を希望しているとのことで、姉の子どもたちにお願いするわけにもいかず、私たち夫婦の子どもたちの誰かに一任するのも難しい。
結果、50年間管理をお寺に任せられる樹木葬の方がいいだろうということで、昨年樹木葬の墓を購入した。
私たち夫婦も父母の近くに同じ樹木葬の墓を買ったので、このくらいの距離が丁度いいと思っている。
でもきっと自分が亡くなってしまったら、どこに入ろうが関係ないのかも知れないけれど…。
そういえば今日、7月18日は、5年前に京アニの事件で多くの方が亡くなり、4年前には春馬くんが亡くなった。
一緒に供養ができたことは良かった気がする。
お寺の法要は亡くなった人々を想い出し、あちらの世界(彼岸)とこちらの世界(此岸)を結ぶ出会いのような場所のようだ。
生まれた時から、早かれ遅かれ死に向かう。
だからこそ、一日一日を大切に生きなきゃと思う。
そういえば娘から、コロナに罹ってしまったとLINEが来た。
今、巷ではコロナがかなり流行しているらしい。
我が家は今のところ皆元気だが、もしかしたら家に大量に自生している大葉(シソの葉)を毎日いっぱい食べているからかも。(しその葉はβカロテンが多く、粘膜を丈夫にして免疫力を上げるのだそうだ。)
よくわからない添加物入りのサプリより、自然に生えてくる葉っぱを食べたほうが健康的かも。