1. 序

「関本清隆」というシンガー(を自称しているが、その内実は近年社会問題となっている迷惑系ユーチューバーかtiktoker の類と思われる)について。もうこちらは興味を失ったのだが、SNSで定期的に炎上し流れてくる。あまりにも目に余る発言も多いため、せっかくだから氏との接触及び氏への総合的批判をまとめておく。

 

ただし、私は氏の曲(といっても他人の曲しか歌ってないようだが)は1秒も聴いたことがないので、氏の音楽は批判も評価もできないし、しない。今後も断固として聴くことはない。氏の演奏に如何に悪意に満ちた凄惨たる誹謗中傷を叩きつけたところで、1秒でも聴いてしまえば氏の利することになるからである。

亦た、私は他人の諍いには加勢も仲裁もしない主義であることから、私以外とのやりとりについてはあまり見てないし言及しない。

 

2. 発端

昨年12月ごろ、なんだか「歌は魂だ!」みたいなツイートが流れてきた。どうやらその内容が物議を醸しているらしく、それが関本によるものだったかどうかは不明であるが、それを一瞥した私はこれまでの経験と、そこから考えたことをつぶやいた。

 

 

そしてその数日後、その物議を醸していた張本人と思われる人物から私のツイートが晒されているという報告を受けた。

それが関本であり、このとき初めて私は氏の名を認識した。そして、該当のツイートを見に行った見たらブロックされていて見れないことも判明した。

 

 

これを受け、初めて私は関本を名指しで批判した。もっとも、氏からはブロックされていたので直接言う術はないのであるが・・。ブロックされてしまえば先方の発言は今後見ることができないわけだが、氏のフォロワーは2000人ほど当時いたので、さぞかし私の悪口で盛り上がっていたことを想像するのは難しくない

まあ、、こんな小悪党について述べても時間の無駄だからいいやと思い放っておくことにした。

 

 

3. 再会

そして3か月が経過し、関本のことなど忘却の彼方に消えようとしていたとき、またもやプチ炎上ツイートが流れてきたのであった。

 

 

どこかで見た名前だなと思ったら、3か月前に私を先回りブロックして私を吊るし上げて2000人のフォロワーと共にサンドバッグにしようとしていた関本君ではないか!!

ん????でもおかしいな。俺ブロックされてなかったっけ?? なんで解かれてるんじゃろ??

 

あれれ~~?前は

「フォロー数 ≒ フォロワー数 ≒ 2000」

だったけど、今は

「フォロー数 ≒ フォロワー数 x 0.1 ≒ 200 」

くらいに激減している。何があったんだろう???

 

今述懐すれば、ここで氏の根性の悪さが垣間見られるのであるが、多方面に攻撃を放っておいて来た反論を「アンチ」と位置付けることで自分の知名度を権威付けようとする意図があったものと考えられる。そのためには、一度ブロックした相手も重要な戦力になるだろう。だから敢えて解除したのではないか。氏がこういった炎上商法を常習していたのは、後述の発言からも明らかである。

 

とまあ、思いはしたものの、3か月間反論の余地を与えられずにフォロワー一同でフルボッコにしようとしてきた借りを返すことにした。

「こんなことでいちいち絡むほうがダサいのでは・・」と思う論者もいるであろう。

だが、「良いことも嫌なことも100倍にして返すべし」というのがかずお爆弾流の礼儀である。

 

 

「叩き返す」と宣っていたが全然返信が来ない。昔のことは忘れたのだろうか。さすがイケメン、「歌は魂だ」と銘打ち裏工作ばかりしている伝説のボーカリストである。私のような凡人とは格が違う。無敵。天才

 


 

やっと返してくれたが、ストーカーとはヒドい言われようである。自分と相反する意見をわざわざ検索し、それを一々ブロック&スクショを取る方がよほどストーカーらしいではないか。

性犯罪者が自分が被害者であることを強弁するかのように、相手を「アンチ」とレッテル貼りすることで立場を逆転する目論見だろうか

 

 

そもそも「帰れ」と言われても、こちとら家で寝そべりながら見ているのでどこに帰れというのだろうか(もしかして、土に??)。この問いにも氏が返すことはなかった。

自分一人でしゃべるときは随分と饒舌であるにも関わらず、反論に対しては極端に言葉数が減ることからも、氏に議論をする気は凡そ無いようだ。

 

こうして、関本の実態は音楽家ではなく、炎上そのものを目的とする迷惑ツイッタラーであることは疑惑から確信へと変わっていった。(今更)

 

4. 隠蔽

次の日、驚くべき光景を目の当たりにした。

 

誰だよ笑笑笑

 

いやちょっとまて。「歌は魂だ」「ギターの早弾きなんかアマチュアのやることだ」と啖呵を切っていた伝説のボーカリスト関本尊師が、掌を返してキャラ変し、ましてや精神疾患や障害を持った人の悩みに漬け込んで己の再生回数稼ぎに利用しようなんて負け犬にも劣る外道じみた卑怯な真似をするはずがない!

これは、何者かにアカウントをクラックされて乗っ取られたに違いない!ここは冷静になって、一市民としてツイッター社に通報することにしよう。

 

 

しかしその後、過剰なRT(内容はメンタル関連)によって過去ツイ(削除はしてない)を隠蔽した友蔵。挙句の果てに、疾患や障害で悩む人達を片っ端から検索して、フォローしまくっていた。相互フォローを増やすことによって、若干減りつつあったフォロワー数が少しずつ回復していくのがわかった。(かっこいいなあ)

きっとこうやって氏はフォロワー数を増やしていったのであろう。「精神疾患の人とつながりたい」にスローガンを急展開したのは、我々音楽家が食い物にできないと判断して標的を変更したためだろう。

現に3か月前は2000人ほどいたフォロー数が200人未満に減少したわけだし。またどうせいっぺんに外すんだろうなあ。あーーーかっこいいかっこいい

 

ここでもう飽きたのと、氏に議論する気がないことが判明したので氏を追うのは終わりにした。

ちなみにその後また友蔵から関本清隆にアカウントが戻っていた。その後はフォロー外したのであまり見てない。

5. 結

一応少しだけ氏の発言を擁護しておくと、氏の発言には好感が持てるものが全く無いわけでもないのだ。

何ら音楽的素養や指導を受けた経験が無いが故に独自の音楽を開拓することはある。また、元来は否定的に評価されていたものが好転することはこの世界ではよくあることである。ロックの歴史はまさにその連続である。従来の価値観の破壊、再構築を志向する人間にとっては、カラオケの採点やギターの早弾きコンテストは馬鹿馬鹿しく見えたとしても不思議ではない。

その可能性に賭ける人を、私は決して笑わない。

 

だが、歌は魂だと豪語し、同業他者に弓を引くのであれば、「歌」で勝負するべきではないのか。それも他人から(おそらく著作権法違反をして)借りてきた言葉ではなく、自ら書いた曲で。

「楽器が弾けない」「楽器持つとパフォーマンス落ちる」となどと弁明していたが、それは練習するべきではないか?  

そこまでのやる気はないのであれば、それを魂と呼べるのか?

それとも、楽器を弾きながら歌っているリトルリチャードも、フレディ・マーキュリーも、ボブディランも、友川カズキも、藤井風も、関本に言わせれば「歌をサボった負け犬」に過ぎないのだろうか?

或いは、上述の度重なる裏工作が氏の言う「魂」なのだろうか? ましてや精神疾患や障害を持つ人に漬け込んで自分の再生回数稼ぎ、踏み台にすることが君子の為すべき所作なのだろうか?そこに魂はあるのか?仮にあったとして、どれほどの価値があるのだろうか?

 

そして、私が最も不服に思ったのは、ギター早弾きやカラオケの採点を「アマチュアの遊び」「クソだ」と酷評したことである。

仮にこの論が100%正しかったとして、であればプロは誰からお金をもらうのか? アマチュアではないのか? そのアマチュアを攻撃してどうするんだよ関本清隆君。それは貴殿のプロとしての矜持と矛盾するのではないだろうか。そういうところでバレバレなんだよ。貴殿のプロ意識とやらが演技や虚勢でしかないことが。その情熱や意識の高さが本心であれば、こんな発言は出ないはずなのだ。

 

若い時であれば近視眼的になって必要以上に攻撃範囲を拡大したり、言動に矛盾が生じるのは大目に見れる。(私も若いときはそういう経験もある・・・反省)

だが、関本氏は33歳であり、若者ではない。というか、私より1個年上ではないか!

 

ここに氏の思想的限界がある。よって、私は今後も氏の歌を聴くことはない。聴くに値しないことくらい、聴かなくてもわかるからである。イマドキAIの方がもっとマシな文章書くだろう。私から言わせれば、AIのほうが貴殿より遥かに人間らしい。畜生同然である。そんな奴の歌など聴くだけ無駄である。一万歩譲って売れたとして何かのはずみで流れてきたとしても断固聴くことはない

「歌は魂だ」をはじめとして、氏の信念がハッタリではない本心であれば、くだらない工作に苦心してないでそれこそ音楽に身命を賭すべきであろう。

まあもう手遅れだけど

 

以上