ある時、父が関係していた会社の経営不振から、我が家の土地建物がその会社の借金の抵当に入っていることが発覚しました。更に父宛てに金融機関から内容証明郵便が届くようになり、父の目を盗んで郵便物を開くと、数千万円の借金の督促状で、期限までに返済しないと法的処置を取るとの内容でした。我が家は私と母とで商売をしていましたが、商売を継続する資力もなくなっていることも分かりました。
その日からのことです。不安神経症を発症し物を捨てるという強迫行為が始まりました。いつ家を追い出されるかという不安に、家の中の不用品を次から次へと捨てるようになりました。商売をしていたので物はたくさんありました。布団や小物などを車でゴミ収集センターに運びました。運び終えると少しだけ心が楽になるので、楽になりたいから毎日運ぶことを繰り返すようになっていきました。
そんな生活を送る中、父が関係していた会社は新会社にそのまま引き継がれることになりました。家の土地建物の抵当は残ったままでしたが、首の皮一枚残して生き残ることができました。商売は止めパートの仕事を探すことにしました。会社に応募するには履歴書を書かなければなりません。鉛筆ではなく万年筆なので書痙がぶり返しなかなか大変でした。何社か応募して配達の仕事に就くことができました。
その後父母の介護が重なるようになりました。父は要介護で母は要支援でした。パートの仕事は昼から6時間ほどで、その間ヘルパーに入ってもらうようにして自宅での介護を続けました。毎日が分刻みのスケジュールで4年後父が他界するまで続きました。その後も10年間母の介護が続きましたが、母の死後は家族の経済的な援助も得て生活しています。
※長い間、私のブログにご訪問いただきありがとうございました。大部分はすでに削除させていただきましたが、川柳と神経症の記録を少しだけまとめて終わらせていただきます。