第一回の同級会が開かれ参加してから実に29年ぶりに同級諸兄姉と再会!
でも、仙台、多賀城、塩竃での青年劇場の公演の時は駆けつけてくれた級友もたくさん!有難きは竹馬の友!


地元では4年ごとに開催しつづけ、2011年の東日本大震災で一度中断したんだって。

 

今回通知を出したら約30人の同級生たちの逝去が判明したそうで(おそらくこの4年くらいで)、参加者は70名強。早い旅立ちの級友が多いなあとしんみりしながら黙とう。(下は第一回29年前 当日配布しおりより)

 

マスクしてたら多分誰だか分らなかっただろうけど、白髪や皺が増えてもかつての面影が残っていて…でも、記憶力の弱い僕は、顔、名前を聞いてから、相手との思い出がすこーしづつ蘇るのでだいぶ相手に失礼したなあ。

 

ほとんどが小学校、中学校と一緒に上がってきている。

「九九の出来ないかさいくんだったよね!」

「え?マジ?」と僕には記憶がない。でも、事実と受け入れるしかないんだよなあ。

それと、父が小学校の教師だったから「葛西先生にお世話になったんだあ!」と言ってくれる級友も何人か。「葛西先生はとても丁寧に教えてくれて、こんな本を読んだらとかも勧めてくれて…」と声をかけて貰えて嬉しかった。

 

「葛西の家に行って、お母さんに良くしてもらった」「お母さんの作るプリンうまかったなあ、初めてプリンを食べた」「お母さんに勉強教えてもらったなあ」

と、我が家で遊んだ級友は欠かさず母の思い出を語ってくれる。母が居て、おかげで仲良くしてくれる友達がいたんだ…有難かったなあ。それにしても、どんだけ友達を家に引き込んでいたのか、と我ながら(*_*)

 

地元で幹事を務めてくれた級友たちのチームワークは素晴らしくて、楽しい時間はあっという間だった。

 

29年前は当地唯一のグランドホテルで先生たちも招いて行われたけど、今回は級友だけで、みなとオアシス・マリンゲート塩釜という塩釜港に面した施設、2011年は大きな被害を受けたようだ。今は周辺も整備され、堤防も高くなっていた。塩竃に住んでいたころには港まつりの鳳凰丸(鳳凰を模した御座船)が停泊していたのを思いだす。(写真は今)

下は広場の津波に関するモニュメント

次回は4年後。ロサンゼルスオリンピックの年になる。みんな元気に再会したいね。

 

翌日、帰京する前に、ちょうど仙台で開催されていた「東北絆まつり2024仙台」を見物。大勢の観客の一人として平和なひと時。飲み過ぎの翌日なので、遅くになってからの腹ごしらえ。「長町ラーメン」を恐らく初めて食す。(ボリュームあるワンタン麺にした)懐かしい、美味しいラーメンだった。

(お祭りの様子とラーメン)

そういえば、上京後何度も行き来してきた東北新幹線は1982年開業だから、演劇を志し上京した時はまだ走っていなかった。僕の生まれ故郷の白石市の新幹線の駅名は白石蔵王駅。在来線から離れていて、宮城蔵王が近い。行きも帰りも雲がかかって全貌は見ることが出来なかったが、白石、塩竃と、蔵王連峰を眺めながら育った18年の日々を少しづつ少しづつ思いだしながら帰途についた。

 

仙台駅構内の政宗像と白石蔵王駅あたりからの蔵王の風景

丁度今、僕が出演した大河ドラマ「独眼竜政宗」をNHKBS4Kで放映中。まだ数回出ているので宣伝させてもらった。