現時点で私のオールタイムベスト10で一位の作品です。好きな映画は死ぬほど繰り返し見ますが、やがて飽きてそのうちほったらかしになったりする映画もあるなかこれは映画館で24年前に初見し、面白過ぎたから後日また映画館に行き、やがてVHSを買い小説版を買い脚本の原書を買いそのうち買ったVHSは全部捨て、DVDで買い直し今またこうやって見返すという長い歴史を掻い潜りながらも初見時より更に楽しいんじゃないかと錯覚するくらい楽しめます。脚本はタランティーノですけど、監督は「ラスト・ボーイスカウト」でお馴染みのトニー・スコット、この人がいい感じにオシャレな映画にしてしまいました。登場人物が着る服がカラフルでポップな感じで華やかな気分にさせてくれる上、主人公の乗るクルマは旧式のキャデラック・デビル・コンバーチブル(脚本ではマスタング)で色はパープルなんですよね。その派手なクルマでヒモの家に乗り込みます。そこの内装がどこかのラウンジみたいな感じですね。良く見ると関係無い男が二人いてビリヤードやってます。あれはどういう設定なんでしょうね。店なんですか? そこらへん謎のアジトに行くとつい最近主人公が結婚した元コールガールのヒモであるところの極悪な不良ドレクセルが待ち受けていました。ドレッドフル(恐ろしい)と音が似ている名前ですね。そのドレクセルを主人公のクリスチャン・スレーター演じるところのクラレンスが家から持ってきたステンレスモデルで357マグナム仕様のスノッブノーズリボルバー(S&W M6401辺り?)で殺し、ブツを引っつかみ、土産にチーズバーガーを買い込んで帰り、それをパクつきながら妻に報告します。I killed himと。で、それから、派手なクルマでLAに行ってブツをさばくといったような話です。これも非常に状況の転換が多いですね。シンプルな話でありながらさっとスルーしがちな場面に巧妙に見せ場を作り込んでそれ自体が一つのエピソードであるかのように発展させるスキルは既にデビュー作で驚嘆すべきレベルに達しており、タランティーノの全脚本中最も成功しているのではないかと思われるほどです。ドレクセルの場面もそうですけど、クラレンスの父親のところにマフィアのボスが乗り込んで行って息子の行き先を聞くシーン。この二人、本筋とは関係が弱い脇役同士の対決シーンなんですが、そのシーンがあたかも独立した短編映画で二人がその作品の主人公であるかのように仕立て上げる芸当を披露しています。それぞれの場面に細かく起承転結のあるエピソードを構築して見せ場やドラマ性を盛り込んで楽しませるというタランティーノ以前は多分誰も思いつかなかったようなテクニックですね。だから通して見るとコロッコロと状況が転換し様々な独立したドラマが次々と展開していくシステムなので何回見ても飽きません。ひょっとしたら人類史上最高の映画なのかもしれません。それと「ジャンゴ」のディカプリオのくだりでも紹介したふざけた悪役であるところのムシュ・キャンディーの先祖でもあるかのようなキャラクターが二名登場している点も見逃せません。彼らに共通しているのはやけにフレンドリーな点ですね。ドレクセルは最初会ったときクラレンスに「腹は減ってないか、春巻(egg roll)でも食えよ」的にメシを勧めたり、イタリアン・マフィアのボス、ヴィンセント・ココッティはクラレンスの父親に煙草を勧めたりと悪役なのにやたらともてなしたがります。しばらくすると本性を現し暴力的言動で攻撃を開始しますが、その後でも最初のフレンドリーな調子はアイロニカルな形で継続します。こういった悪役のフレンドリーさの演出はタランティーノ作品では頻出、多用されています。当然タランティーノ作品以外でのふざけた悪役、例えばレックス・ルーサーやなんかにもこの傾向は散見されますね。更にさかのぼると伊丹十三の「マルサの女」シリーズ二作の悪役もそんな感じでしたっけ。悪役であっても単なるやられ役ではなくしっかりと人間性を表現しようという意識が強いってことなんでしょうね。