要するにキャプテン・アメリカとアイアンマンが揉める話でした。何か釈然としなかった部分として組織内で意見が対立した際通常は、延々と長引く会議か人の心を変える感動的なスピーチとかなんかで落としどころを探り、妥協案に漕ぎ着けるといったようなことで解決するのが普通なんでしょうけど、この映画においては会議で揉めたら、突然、お互いが上着を脱ぎ、拳を握り、「仕方ない、これで決めるぞ」とかなんか言って、どつきあいが始まるようなことと同じことを例のヒーロー連中がやっているってことになってしまうんですよね。だとすると、それはもう頭の悪いかわいそうな人たちなんだなってことにもなってしまいますよ、どうしても。しかしながら、そんなどつきあいもなく、全て話し合いだけで解決したら、見てる子供が退屈するので多少どつきあいも必要でしょうから、まあ、あれで良かったということにして置きましょう。けど、こう正義サイド同士の戦いだとどうも本気で殺し合う感じでもないので、緊張感はまるでありませんでした。戦争というよりは、アスリート同士の試合、アメフトを見てるような感覚でした。ある程度のダメージを与えて戦闘不能にしたら試合終了みたいな。最後のキャプテン・アメリカとアイアンマンの戦いでは、アイアンマンが相手に決定的ダメージを与えたと判断し、一瞬、隙を見せた際に、キャプテン・アメリカに反撃を許す、という幕切れでした。ここも本気で殺しあってたら、アイアンマンが仮借なくとどめを刺して勝利していたはずですね。見た目的にも戦闘能力設定は若干アイアンマンの方が強いようでしたから。けどどうしても、この二人結構な期間、仲間としてやってきた訳でしょう、それがああやって戦うとかね。普通は絶対そうならないはずです。途中から勝負はディベートになってもよかったと思います。子供は退屈でしょうが、絶対普通スーパーヒーローはディベートで勝負決めたりしないので、そういう戦いも見たかったですね。以上、今回は不満ばっかりでしたが、好きな部分もあります。「アイアンマン3」で例のパワードスーツに余計な機能が追加され過ぎていたのがかなり不満でした。中に人が入ってなくても遠隔操作出来たり、自律的に任務を遂行出来たりといったものですね。だと、もうトニー・スタークが中に入らないで、そのパワードスーツのみにスーパーヒーローの仕事を任せられるし任せた方が、楽で安全になってしまいますよね。となると、見ている方は全然楽しくありません。これはクルマにもあてはまります。そもそも自動車って名前から、自動で車輪が回転してくれる、って時点で十分自動的なのに、ATやらCVTやらで勝手に変速されたり、セミATでクラッチ切られたり、トラクションコントロールから自動運転に至るまで操作を自動化されると、クルマ好きには退屈になるのと同じ事です。やはり最高レベルのテクノロジーの塊を人間がその意思と運動神経で操作する部分にロマンティシズムの源泉があるんですよね。だから今回、アイアンマンは完全にトニー・スターク本人が中に入ってコントロールされるべき本来の姿に完全回帰していた点は最高に評価します。