日本プロ野球 80周年
「本名」 高井 雄平 (たかい ゆうへい)
「生年月日」 1984年6月25日 (30歳)
「出身地」 神奈川県川崎市宮前区
「サイズ」 174㎝ 83㎏
「投球・打席」 左投げ左打ち
「ポジション」 外野手
「プロ入り」 2002年 ドラフト1巡目
「経歴」 (学校・チーム)
東北高等学校→ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ(2003年~)
「選手経歴」
<プロ入り前>
東北高等学校時代には、「高校ナンバー1の左腕投手」として、日本はもとよりメジャーリーグ球団のスカウトからも注目。高校時代の監督からは、「投げて後藤 伸也以上、打って嶋 重宣以上」という表現でプロ入りした先輩2人と比較されるほど、潜在能力の高さを評された。現に、投手としてストレートで150㎞/hを超える球速を計測された一方で、打者として高校通算36本塁打を記録している。
2002年のドラフト会議で大阪近鉄バッファローズ(現・オリックスバッファローズ)とヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)からドラフト1位指名され、ヤクルトスワローズが交渉権を獲得し入団した。
<努力家>
「プレースタイル」
投手時代には、左腕からストレートで最速154㎞/hを計測した速球派投手で、スライダー、カーブ、フォークといった変化球も投げていた。その剛球には周囲から一線級の期待が集まっていたが、プロ入り後は制球難に悩まされた。一軍公式戦での登板試合では、1試合平均の与四球率が5.0を上回ったほか、死球・暴投・悪送球を連発する事が多かった。ちなみに、高井自身は、打者転向後に「プロに入って驚いたのが、ストライクゾーン(が極端に狭くなったように感じられること)」と述懐。投手時代の晩年には、得意のスライダーまで思うように曲がらなくなるほど、投球の感覚が鈍っていたという。
野手としての能力も非常に高く、公式戦で本塁打を放つなど非凡な打撃センスを持ち合わせている事から、2009年フェニックスリーグで外野手として出場し、秋季キャンプから正式に転向した。もっとも、7年間のブランクは想像以上に大きく、転向当初は「ど真ん中(のストレート)を普通に振っているのに(バットに)当たらなかったので、とにかく(練習でバットを)振りまくった」という。
50m走5秒8の俊足も持ち合わせている。
父親は中学校の、母親は小学校の教師をしている。タレントのベッキーとは同じ小学校、中学校で高井は1学年下にあたる。
「投手成績」
2003~2009年(通算7年)
登板 144 先発 37 完投 1 勝利 18 敗戦 19 セーブ 1 ホールド 17 勝利率 486
奪三振 265 防御率 4.96
写真上は当時、ピッチャーだった時の雄平選手(投球練習の模様)
「打撃成績」 (2013年度シーズン終了時)
2003~2013年(通算9年)
試合 208 打席 269 打数 241 得点 24 安打 64 二塁打 10 三塁打 1 本塁打 3
打点 17 盗塁 2 犠打 14 打率 266 出塁率 306 長打率 353
「表彰」
月間MVP 1回 (2014年5月)
「記録」
16 (2003~2005年)
22 (2006年)
高井 雄平 (たかい ゆうへい 2003~2010年)
本日はプロ野球、東京ヤクルトスワローズ所属の雄平選手(30)についてお話したいと思います。
昨日(2014年8月2日)、東京ヤクルトスワローズVS中日ドラゴンズの試合(14回戦)が東京ヤクルトスワローズの本拠地(明治神宮野球場)で行われました。
只今、絶好調の東京ヤクルトスワローズの雄平外野手が対中日ドラゴンズ戦(14回戦)で初満塁本塁打を放ちました。
<打者転向5年目で初のグランドスラム>
此処まで来た。こんな打球を打てるまでになった。野手転向5年目。左翼ポール際に伸びていった一打が、ヤクルト・雄平の強打者への仲間入りを証明していた。
「切れるかな、と思ったけど切れなくて良かったです。ボールに負けないで打てました」。(試合後の雄平選手のコメント)。
3回一死満塁。1ボールから中日・山井投手の外角高めのシュートに、体が自然に反応した。腕を伸ばし、スイングはコンパクトに…。バットの芯で叩いた打球は、左翼線上空を一直線に伸び、切れる事なく左翼ポールに当たった。
チームを2ヵ月ぶりの3連勝へ導く今季16号は、自身初のグランドスラムとなりました。
「初めてだから本当に嬉しい」。そう満足げに振り返る雄平選手には、もう投手への未練はみじんもなかった。
思えば2009年オフ、投手からの転向は苦渋の決断だった。投手時代、打撃センスを高く評価する杉村 繁打撃コーチから「野手になったら直ぐ1億円プレーヤーになれるぞ」と言われると、雄平選手は「投手で3000万円の方が良いです」。それほどまでに拘った投手をプロで生き残る為に断念。それからバット1本に懸ける執念はすざましかった。
右膝手術でシーズンを棒に振った昨年。オフの間も黙々とバットを振った。「正に野球小僧。とにかく練習する」。杉村コーチも驚く練習量が野手の経験不足を補い、外角高めを切れずに本塁打に出来るまでになった。
この満塁本塁打でプロ通算19本塁打。投手での成績(18勝)を上回った。でも、雄平選手は言う。「その数字は関係ない。投手より長く野手をやりたい」。7年間の投手生活を超えるまで、あと3年。打者・雄平選手としてはこれからもっと成長して行かれる事に…。
<野手として7年以上現役でプレーしたい>
雄平選手が3回に左翼ポール直撃の16号満塁弾。野手転向5年目での初満塁弾に「切れるか、入るか、ドキドキしました。ポールに当たるというのは嬉しいですね」。と白い歯を見せた。(雄平選手)。
昨年までの3本塁打と合わせてプロ通算19本塁打。投手だった7年間での勝ち星「18」を上回ったが「出来れば年数で上回りたい」。と野手で7年以上現役という目標を明かされておりました。(2014年8月2日 対中日ドラゴンズ戦後の雄平選手のコメント)。
<割り切る努力>
4月までは2割2分4厘と低迷。「考えすぎていました。それが良くなかった。シンプルにストライクを打つ。割り切れない性格だけど、割り切る努力をするようにしました」。と意識を変えたところ、5月からスランプはない。(5月に月間MVPを獲得される)。
投手で入団した時から知っている杉村 繁打撃コーチも感慨深げに言った。「10年前に言ったんだ。野手になれば直ぐ1億円もらえるって。そしたら投手で3000万円の方が良いって」。
投手で7年18勝。野手になって5年目で通算19本塁打を積み上げました。
雄平選手の打者としてのプレーは、まだまだこれからです。
<改めてこの試合の結果> (2014年8月2日)
東京ヤクルトスワローズVS中日ドラゴンズ (14回戦)
東京ヤクルトスワローズ 9 - 0 中日ドラゴンズ
安打 14 安打 6
勝ち投手 ナーブソン 16試合3勝7敗
負け投手 山井 18試合7勝2敗
本塁打 山田17号① (山井)=1回、 雄平16号④ (山井)=3回
東京ヤクルトスワローズ(8勝6敗) 観衆 23115人 明治神宮野球場 プレイボール 18時
東京ヤクルトスワローズVS中日ドラゴンズ (2014年8月2日 14回戦)
雄平選手の成績
5番右翼手 4打数2安打5打点2得点 通算本塁打16本 通算打率307
1回=遊直 3回=本塁打 4回=四球 6回=二ゴロ 8回=中安
今シーズン、主に右翼手として出場されております。
<ファインプレー>
見事なダイビングキャッチ
ピッチャー出身なだけあって、肩は強肩です。
投手時代(2003~2009年)の雄平選手(写真上・当時)
雄平選手のユニホーム2014(ホーム仕様)
「生年月日」 1957年7月31日 (57歳)
「出身地」 高知県高知市
「サイズ」 171㎝ 75㎏
「投球・打席」 右投げ右打ち
「ポジション」 内野手
「プロ入り」 1975年 ドラフト1位
「今現在」 東京ヤクルトスワローズの1軍打撃コーチ
「生年月日」 1957年8月30日 (56歳)
「出身地」 千葉県習志野市
「サイズ」 186㎝ 89㎏
「投球・打席」 右投げ右打ち
「ポジション」 外野手
「プロ入り」 1981年 ドラフト4位
「今現在」 東京ヤクルトスワローズの監督
「背番号」 80
「先制も大きかったけど、満塁が大きかった。二人(山田選手と雄平選手)ともマークが厳しくなる中で対応力が上がっている。本人たちの努力だ」(小川監督の試合後のコメント)。と二人の成長をたくましく感じておられていました。
東京ヤクルトスワローズの2014年キャッチフレーズ
かずのりより