少年は下田の町へと一気に駆け下りた。


どんなことを聞いたとしても


母さんは母さんだ。


生み育ててくれた母親を


とても見殺しにはできなかった。





自分が踊り子として姿を現すことで


母親を救えるのなら


その後にどんな境遇が待っていようとも


そうするべきだと考えた。


いや、そうするより他に


考えられなかった。





それに。


少年にはとても受け入れ難かった。





病気の時には看病をしてくれて


母親自身はロクに食べなくても


少ない食べ物をいつでも与えてくれた。


生活の為に仕方なく


踊り子としてお座敷に出たときには


危険な客には母親が盾となって


ずっと守ってきてくれた。


そんな聖母のような母だったから


父以外の男との交わりを許せなかった。





父、と言っても・・・


少年はそれが誰だか知らずにいた。


母親ひとりで育ててくれたのだ。





「あんたの父さんは優しい人だった。


だから、あんたも優しい人になれ」


・・・と。


二言目にはそう言っていたから・・・






だから・・・






家に駆け込んで


三面鏡を開き


白粉を塗り


朱を入れて


鬘を被り


踊り子の着物を纏うと


少年は下田の浜へ急ごうとした。





「お前・・・生きて戻ってくるとは」





まるで幽霊でも見るかのように


驚愕の表情を見せたのは


この純朴な少年を騙し


母親のツライ情事の現場をわざと見せ


さらに相手の男を襲わせようとした


この辺りの踊り子の元締だった。





「あの時、渡した物は何処へやった?」





和「あれ(危険物)は。


修善寺の巡査に預けてきた」




「巡査?・・・また余計なことを。


それで・・・殺ったのか?」




和「・・・・・」




「ふふふ。まぁ、いい。


戻ってきたのなら、お前は使い道がある。


母親の分もたんまり稼いでもらうさ。


踊り子はもう十分に客を取れる年だ。


初めからそうすりゃよかったのに


お前の母親が言うことを聞かないから」





そう言ってニヤリと嗤った元締は


せしめた金を一枚ずつ数えて見せた。





和「お前が・・・


恥ずかしいやり方で金を集めて


母さんに・・・


全ての罪をなすり付けたのか?」




「ふふん。


今頃気付いても遅いわ。


あの女。


踊り子が男だとバラすぞ、と


そうなったら踊り子がどうなるのか


分かってるよな、と、そう言えば


なんでも簡単に言うことを聞いたさ。


最後までお前のことを守ろうとして


『和吉だけは逃がして。


和吉だけは手を出さないで』ってさ。


笑わせるだろ。


お前にも生き証人を殺ってもらって


捕まりゃ母子揃ってお縄って訳だ。


もしも万一逃げ延びたとしても


三島あたりでお前を売り飛ばす算段で


まぁ、どっちにしても


俺さまひとりで丸儲けの筈だった。


金は俺さまひとりでいただくと


はじめから決めていたんだよ。


しかし。


お前はこうして生きて戻ってきた。


こうして見ると・・・


つくづく・・・もったいないなぁ・・・


ハジメテを他の男にヤらせるのは。


お前の初夜権を買った男らは


お武家さまから


アメリカ通訳まで上客揃いだよ」





男は舐めるように踊り子を見た。





和「じゃあ・・・母さんは・・・


母さんは・・・


僕を・・・


売ったりなんか


していないんじゃ、ないか」




「美しい母親の、愛だねぇ」




開き直った元締が


いやらしく嗤いながら


ジリジリと寄ってきたその時


急に表が騒がしくなった。





「見ろよ。罪人様のお通りだぜ。


下田の皆さんが喜んで見ておられる」





少年は裸足のまま駆け出した。





母さん!


母さん!!


母さん!!!





母親は頭から袋を被せられて


薄い着物一枚で


引き摺られるようにして


砂浜へと連れて行かれる・・・





和「待ってください。


母を・・・母を、放してください」





少年は母親の着物の裾に


しがみついて嘆願した。





「ありゃ、伝説の踊り子だよ」


「綺麗な子だねぇ」


「あの子を買う男はケダモノだ」





踊り子が母親を庇う姿に


下田の人々は心を打たれて


誰も石を投げようとはしなかった。





元締「石打ちの刑だろ?


こうするんだよ」


和「ひっ」





容赦なく元締が石を投げた時


不思議なことが起こった。


その石が母子に当たる前に


どこからか


石が飛んできて石は手前で落ちた。


そして何故だか


母親も機敏にひょいひょいと避ける。


しまいには少年の前に出て


音だけを頼りに


身を守ろうとするではないか。





和「ひっ。母さん、危ないよ」





激しい石の打ち合いになって


少年が母親をぎゅっと抱きしめて庇うと


ふわり、と逆に抱き上げられた。





和「・・・え・・・?」


智「石打ちは、任せておこう」


和「・・・え・・・?」





汐風が袋を何処かへと飛ばした。




和「・・・あ・・・」




母親の着物を着て


頭から袋を被っていたその人は


まさかの筋肉隆々の逞しい男だった。


修善寺で少年を拾ってくれた男だ。


危険なものを少年から取り上げて


お前が手を汚すことはないと


優しく諭してくれたその人だった。





和「・・・どうして・・・」


智「お母さんはご無事だ。


うちの屋敷におられる。


お前が誰も殺していないことも


既に立証済みだ」





いつしか


奉行所のお役人らに


元締は追い詰められていた。


下田の町の人々は


この大捕物に


夢中になってヤジを飛ばしていた。






少年は男に抱き上げられたまま


浜から遠ざかり


今の今まで全く無縁であった屋敷町へと


足を踏み入れた。





ふたりを護衛していた潤が


そのお屋敷に入る前に姿を現した。





和「・・・あ・・・」




少年はこの男に見覚えがあった。


何故ならば。


修善寺から浄蓮の滝までの


ツライ道中に・・・


女に言い寄られる智さまを


見ないようにして見たその向こうに


いつでもこの綺麗な男が


ある時は木の上から


ある時は木の影から


ずっと・・・


ずっと・・・


真っ直ぐに


智さまを守っておられたのに


気付いていたから・・・