(智雄目線)





手をあげたのは


長兄(理学博士)だった。


おとなしそうな人なのに驚いた。




長兄(若嫁の夫)「静さんのお母さんは


私にとっても母のような人だ。


疎開させてもらって


飯を食わせてもらって


学問をさせてもらった。


侮辱することは許さないと言っただろ?」




若嫁「この家が変なのよ。


私の味方が誰もいない。


皆、静さん、静さんって、なんなの?


あなただけは。


最後まで私の味方でいて欲しかった」




キッと睨み


まだ何か言いたげにしていたけれど




智「女に手をあげるのは、あかん。


どんな理由があっても、あかん。


頬、冷やしてやって」




だけど誰も動けずにいると


智さん自ら水道でハンカチを濡らして




智「ほら。これは、お前がすることや」




そのハンカチを長兄に持たせた。




智母「ご飯にしましょか。


お弁当、届いてますさかいに」




静かに部屋の障子を閉めて


一同ゾロゾロと


二間続きの和室へと移動した。





ずらりと並んだお膳。


美しい輪島塗りのお椀や清水焼のお皿に


京のおばんざい一汁三菜が


色とりどりに盛り付けられて


お櫃にはおこわから湯気が立っていた。




静「うちは、分家やから、こっち」




静さんのお嬢さんらがさっと移動して


一番下座に静さんが着く。


それから娘さんら。


で、三番目の兄。


静さんがテキパキと家族の世話を焼き


ご飯をそれぞれの配分でよそう。


お年寄りは少な目に


男の人らには多目に。


年長の娘らも横からお運びを手伝う。


なるほど。


嫁として、完璧だ。


さっきの人が気の毒なほどに。




僕も手伝うべきか躊躇っていると




智「智雄。ここに座れ」




智さんの隣に呼ばれた。


どうやら京都では。


色々な決まりがあるようだ。


家長である智さんが「いただきます」を


するまで誰も箸を触らないし


食事中もほとんど音を立てない。


食べ終わると白湯が出てきて


これも驚いた。


静さんの小さな子どもでさえ


作法を守って


食器を綺麗にしながら白湯を飲む。





長兄(理学博士)の家族は


どうやら別部屋でお昼を食べたようだ。





智母「智雄は、泊まっていく?」


智「芦屋に連れて帰ります」


智母「・・・せやね・・・


それが、ええわ・・・」




お婆さんからもお小遣いをもらった。




智母「さっきは、かんにんな。


気にせんとってちょうだい」


智雄「・・・はい」




大家族は大変なんだな・・・




北海道の養父(次兄)が座るとしたら


何処だろう?と、部屋を見渡した。




智「どうした?」


智雄「・・・いえ・・・」




一番上座の席に智さんと僕がいる。


その隣にお婆さん


そして・・・産みの母・・・なのかな?


静かに食事をしているが


襖の向こうを心配しているように見えた。


「お婆ちゃん」


静さんの娘さんらがこう呼んだ時


僕は、ハッとした。


そうか・・・


静さんところのお嬢さん達からしたら


和さんは母方の大叔母にあたり


この人は父方の祖母にあたるのだ。





さっきのこともあって


どうやら僕らのことよりも


長兄の家族に気を取られているようで


心ここにあらず、に見えた。





どちらかというと。


智さんの方が近しく感じた。


今回はじめましてだったのに。 





この得体の知れない謎は、なんだろう。




もしも。


もしも。




智さんと和さんが


もしも僕の本当の両親だったら・・・?


ふたりは想いあっていて


事実。


芦屋の家でも淡路島の家でも。


ふたりは堂々と


同じ家の


同じ部屋に寝泊まりしていた。


そしてとても仲がよかった。


智さんは


「和さんの旦那さん」だと答えたし。


事実。


そのふたりの家にいて


僕は居心地がよかったのだ。





ここに居ない和さんが


まるでこの家の真ん中にいるようだ。


僕の隣に智さん。


こっちの隣に・・・和さんが居たら。


何もかもがしっくりくる。




智さんのお相手は和さんだけのようだし。


今だって。


僕が隣に座らなければ。


この大家族で


智さんは。


たったひとりじゃないか。





智母「なんや、難しい顔して。智雄は。


大学で何を勉強してるんや?」


智雄「遺伝子です。


実用までもう少し時間はかかりますが


既にアメリカではDNA鑑定で


親子関係が判明すると証明されました」




何故かシーンと静まり返った。




日本でDNA鑑定が一般化されるのは


もう少し後なのだけれど


実は、僕はこの時、既に。


和さんと智さんに


研究の手伝いをしてくれと頼み込んで


毛髪の一部をもらっていた。




智「ルーツを知りたいか?」




僕を真っ直ぐに見つめる智さんには


威厳があった。


 



智「お前の、ルーツ」


智母「これ、ちょっと。智」




智雄「・・・京都と淡路島」




智さんは満足そうに頷いた。




乱暴に


ことを暴かなくてもなくても


・・・いいや。


僕はなんらかの奇跡で


この「大野」に生まれ落ちた。


和さんの愛情をたっぷりもらいながら


ここまで大きくなって・・・


しかも。


和さんは。


ここの席を取り合わないような人だ。


それでも皆が夢中になっている。


静さんも「お母さん」と呼び


静さんの娘さんも「お婆ちゃん」と呼び


兄達からも「母のような人」と慕われ


お婆さんは和さんに大島紬を手縫いして


そして誰より智さんが。




この大きな家に自分の嫁を娶らず


和さんのところに通っている。


僕も大好きな


和さんのところに・・・




その日の夕方。




智「智雄。和のところに帰るぞ」


智雄「はい」




帰るぞ、と言われた。




「和のところに帰るぞ」




それは、とても自然な言葉だった。