(智雄目線)




和さんの旦那さんに


京都の大野へと連れて行ってもらった。




智雄「あの。和さんの旦那さん。


なんとお呼びしたら・・・」


智「好きなように呼べ」


智雄「・・・おじさん?」




好きなように呼べと言ったのに




智雄「和さんって呼んでるなら・・・


そうだな・・・智さん、かな?」


智雄「智さん」


智「ふふふ、うん」





智さんは、とても優しくて愉快だ。





乗換をするのに


十三(じゅうそう)駅で降りようとしたら


「梅田まで行くぞ」と言われた。


路線図を見ると


十三で乗り換える方が良さそうなんだけど。




だけど梅田に着いて分かった。


緑色の上等なビロードの座席を


智さん自らパタンと向きを変えてくれて


ふたり掛けの窓際に座るように促された。




智「な?ゆっくり行けるだろ?」




ふにゃんとした笑顔を見せたと思ったら


そのまま智さんは寝ちゃった。




どこで降りるんだろう?


淀川とか工場とか家とか田んぼとか


車窓から大阪の風景を眺めているうちに


「淡路」


へー。


大阪にも淡路って地名がある。


「茨木市」


「高槻市」


景色がだんだん竹林に変わっていく。


で、とうとう京都に入った。




「長岡天神」


「桂」


「烏丸」(からすま)




ガバっと急に起き上がり


「降りるぞ」と。


慌てて付いて降りた。




四条通は人で溢れかえっていたけれど


路地裏をいくつも通り抜け


ちょっと落ち着いた通りに出た。


本家の入り口は


長い通路の奥にあった。


まるで、うなぎの寝床みたい。


ここ、外からお店って、分からないよ?


だけど確かに呉服のお店だった。


一階の大広間には


仮縫いの着物がいくつも並べられていた。


皆さんが一斉に立ち上がり挨拶をする。


智さんは「社長」と呼ばれていた。





箒が立て掛けてあるのを


智さんが見えないところに仕舞って


ガラガラと奥の引き戸を開けた。


なるほど。


こっちが住居になっているのか・・・





智母「おや。おかえり。 


あんた。長いこと留守にして。


店、えらいことになってまっせ。


帰って来るなら来るで、電話の一本・・・


・・・もしかして・・・え?


・・・智雄か?」


智雄「はい。ご無沙汰しております」




和さんから持たされた包みを渡すと


満足そうにして


お婆さんがお餅を焼いてくれた。




しばらく北海道のこと


養父とその奥さんのことを


僕に尋ねたのち


今度は、淡路島のこと、芦屋のこと


「和さん、元気にしてはった?」


「これ、和さんの為に仕立ててる大島や」


と、ひとしきり和さんのことを


お婆さんと智さんで話していた。


どうやら和さんは


少なくとも乳母、というか


使用人ではない、と分かった。


というか。


社長が旦那さんってことは。


この大きなお店の奥さん・・・?




じゃあ、僕の産みの母は・・・?


え?どういうこと?


訳が分からない。




智さんは店の用事があるらしく


行ってしまった。


自由にしてて良いと言われたものの


何処でどうして良いか分からず


最初に通された和室で


きちんと正座していた。




智の義姉「智雄ちゃん、お久しぶり。


大きうなったね。これ、少しやけど」


智雄「あ、ありがとうございます」




封筒の中には、お札が入っていた。




お小遣いをくれたら


産みの母はさっさと下がってしまい


和室にひとり残されてしまった。





時計の秒針の音のほかには


鳥の鳴き声とか


チョロチョロと水の流れる音とか


それくらい静かなところで


足も崩したくなって


中庭側の障子をそーっと開けてみると


淡路島のお庭とよく似た池があり


やはり錦鯉が泳いでいた。


赤い大きい鯉が口を開けている。




パクパク、パクパク・・・


チョロチョロチョロチョロ・・・


きゃはっ・・・あはは・・・




耳を澄ませると


小さな子どもの声も聞こえてきた。


きゃっきゃと楽しそうな声。


その声に導かれて長い廊下を進むと


さっきの、僕の母親と思われる人が


小さな子どもの守りをしていた。




・・・ショックだった。


京都の上流階級の女性は産みっぱなしで


乳母に世話をさせる、と


養父(農学部)も言っていたから


てっきり誰に対してもそうなんだと


思い込んでいた。




実際に。


記憶に残る母は兄達にもベッタリせず


そのお世話をしたのも和さんだったし。





腑に落ちないまま


元の部屋に戻ろうとして




あれ?


どの部屋だったかな・・・?




いくつもいくつも部屋があって


しかも中庭に面して四方を囲んでいるから


方角も分からなくなってしまった。




錦鯉は赤いのが手前にいたけれど


鯉もじっと同じ場所に居てないよな・・・


見事な枯山水の中庭は


綺麗に円を描かれて


対称図形故にやっぱり訳が分からない。




困ったな・・・




ここかな?




そーっと障子を開けてみると


眼鏡を掛けた男性が書き物をしていた。




智雄「あ、す、すみませんっ」


智の甥っ子(理学博士)「・・・誰や?


あ・・・もしかして・・・智雄か?」




その人は北海道の養父(次兄)にそっくりで


一番上の兄だと気付いた。




「久しぶりやな。よう来た。


まぁ、ゆっくりしていき」




そう言うと、再び書き物を続けた。





魚の絵がある。


こっちは・・・書きかけの論文?



『生物の世界』


『進化とは何か』




『イワナとヤマメの棲み分け論』




養父(農学部)も学問をするから


北海道の家にも図書室があるけれど


ここも・・・すごい。


本だらけ・・・


いや。


・・・本しかなかった。




長兄「登山の本でも、読むか?」


智雄「あ、いえ、大丈夫です」




静かに廊下に出て


再び池の鯉の赤いのを目印に・・・


というか、鯉と一緒に動きながら




ここかな?と、もうひとつ襖を開けてみた。




うわあ・・・




その部屋には。


黒地の綺麗な着物が掛けられていた。


花と蝶々が鮮やかに描かれていて


裾まで綿が入っている上等の着物だ。




「和さんに・・・似合うかも・・・」




どうしてそう思ったのかは分からない。


だけど僕は


しばらくその部屋から動けずにいた。




なんとか着物から目を離して


部屋の中をぐるりと見ると・・・!!!




よく見知った字が


物書き机の上にも


壁に掛けられた短冊にも


いっぱい溢れていて・・・






いとせめて
恋しきときは むばたまの
夜の衣を 返してぞ着る


古今集・小野小町




それが恋の詩だと


僕にも分かった。





その字が・・・


他ならぬ和さんの字であることも・・・