淡路島に再び渡ったものの


和を何処にも見つけられないままに


持っていた僅かな金を使い果たし


なんとか行き着いた慶野の海岸から


智は海をぼーっと眺めていた。




瞳は色を失って


髭はだらしなく伸びて


汐風に煽られた髪はボサボサになり


全身砂と垢まみれになっていた。




京都に帰れば


衣食住には困らない。


借家を一軒ずつ売っていけば


腹を満たすことも出来るだろう。


それでも堕ちるところまで


堕ちなければ


這い上がってくることさえできずに


またその場で踏ん張る力もなかった。




海鳥が上手に餌を獲る。


それが・・・かっこよく見えた。


餌を自分で獲ってこそ、男ってもんだ。


いや・・・だがしかし。


母親に言われるままに京都の店を


どうにかする気にはなれずにいた。





智は元来、頑固なのである。


智にも意思があり


そもそも簡単な人間ではないのである。


事情もよくわからないまま


和にあれきり逢えないまま


前を向くことなど出来ずにいた。




それでも地球は回り・・・


それでも日は・・・落ちていく・・・



*ララァさんのお写真です*





潤「自分家の鍵も持ってないんですか?」


智「すまない」





慶野松原の店の、奥の居住部分を


潤が預かっていた鍵で開けてくれた。




潤「こっち、店の部分はうちが借りてて


あ、これ、和さんの荷物ね。


だいぶんと前に、届いてました」


智「・・・和の、荷物・・・?」


潤「神戸からでしょ?京都か。


あ、北海道かな?そのいずれか」


智「神戸?北海道?」


潤「嫌だなぁ。俺、揶揄われてる?


しっかりしてくださいよ。


冷蔵庫・・・あ!羊羹ありますよ」





神戸ってなんだ?


北海道・・・?





潤「ちょっと土産物屋、閉めてきます。


なんか食べ物、こっちで用意します。


翔さんにも声かけたんで。


ふらふら出歩かずに此処にいてください。


見つけられたからよかったものの


智さん、危なっかしいですよ。


風呂もトイレも使えるんで


ちゃんとしてください」





ちゃんと・・・できねーのよ・・・





懐かしい六畳の間に入ってみた。


西陽が視界を遮って影を伸ばす。




足に何か、当たった。


なんだ?・・・これ。


でんでん太鼓・・・?




その先に段ボールがポツンとあった。


差出人は・・・和本人だ。


電話番号・・・


078から始まるってことは、神戸か。


神戸からの荷物・・・?


そこに、和が、いる?





その番号に勇気を出して掛けてみた。





📞「はい。須磨嵐学院女子寮です」



学校・・・



智「あ、あのっ。そちらに、か、和


あ、いや。に、二宮は・・・」


📞「嗚呼・・・二宮先生ですか?


今、春休みで・・・お戻りは四月です」




和だ。


間違いなく和がいる・・・!




智「し、始業式は、いつですか?」


「四月十日です」


智「あ、ありがとうございますっ」 




四月十日には。


この番号のところに、確実に戻る・・・




じゃあ、今は?


今は、どこにいるんだ・・・?




電話帳をパラパラ捲ると


大野のところ


075(京都)から始まる番号の他に


ここ淡路島(0799)の番号と


さらに0126から始まる番号を見つけた。




確か東京が03だ。


それより、北・・・の、若い番号。


もしかして、北海道かな・・・?


北海道なんて、なんの用事だ・・・?





あとは、さっきの女学校の代表電話と


・・・須磨浦の、病院に


ん?


北海道の病院の番号まで・・・





どこか、具合悪いのか?





翔「こんばんは。大野さん!智さんだ!


おかえりなさい。懐かしいなぁ」


智「あ・・・どうも」




櫻井の翔だ。


ここらで一番大きな不動産屋の息子だ。


小綺麗にした若い翔と潤に


じっと見つめられて


智は砂だらけの着物をパンと祓い


それから無精髭に手を当てた。





翔「実は。洲本の大野さんの家。


あ、二宮邸のことですけど。


今はうちの事務所がお借りしています」


智「そう・・・なんだね」


潤「ね?浦島太郎状態でしょ?」


翔「俺もそうだったの。


いや、誰でもそうなるって。


あの戦争から帰ってきて


ここ淡路でさえあまりに変わってて。


智さんだってびっくりしたでしょ?」


智「・・・まぁ・・・その・・・」


翔「智雄くんは、もう高校生?」




ともお・・・?


ともおって、誰だ?





潤「この四月から高校生だね」


翔「和さんは、じゃあ北海道?」




北海道・・・


高校生・・・




潤「あ、そうか。春休みで北海道か。


もしかして、京都で会えなかった?」


智「・・・・・」


翔「智さん!大丈夫?」




大丈夫じゃなかった。




智「ともお・・・って・・・?」


潤「まさか、知らないのか?」


翔「智さん、真っ青だよ。座って」


潤「水、飲んで」




高校生・・・


この春から高校生・・・




智「頼む。


教えてくれ。


なんでも・・・


俺のいなかったこの15年、いや16年


和に・・・何があったんだ?」


潤「今、写真持ってくる」


翔「・・・何も知らないのなら。


おめでとう、からだね」


智「・・・え・・・?」


翔「智さんはお父さんになったんだよ。


智さんが戦争へ行った次の年に


和さん、ここで男の子を産んだんだ。


智さんの息子さんだよ。間違いない。


顔も・・・頭の形も。背格好も。


指の長さまでもそっくり同じだもん」




潤「ほら。この子だよ」




智はその写真を食い入るように見た。




生まれたての赤ん坊を抱える和・・・


つい最近


同じような絵を見た。


そうだ。


大野の分家だ。


和の姪っ子が赤子を抱えていた。




大野の甥っ子三人と、赤ん坊と・・・




智「これは・・・?」




桜の訪問着を着た和と


ベッドに横たわる男の子・・・




潤「それは智雄の入学式。


胸の病気を患っていてね・・・


病院内学級の入学式だよ」




胸の・・・病気・・・?




潤「夜中に変な咳をするって


和さんが空襲サイレンの鳴り続ける中を


神戸の病院まで連れて行ったんだ。


即入院だった。


智雄の入院生活を支える為に


和さんは神戸で就職して・・・」




そうか・・・


それで、神戸か・・・




智「ともお・・・ってどんな字?」


翔「智さんの智に、雄々しいの雄」




智の・・・智に・・・っ・・・




潤「胸の病気を完治させる為に


転地療養を勧められたらしいよ。


それで今は北海道にいる」


翔「智さんの甥っ子さん。


京大農学部に行った真ん中の優秀な子。


あの子が北大の研究職に就く時に


養子に迎えて連れて行ったんだよ」




転地療養・・・胸の病気・・・


・・・甥っ子の、養子に・・・




智「・・・くっ・・・」




泣けてきた。


俺は。


何も知らずに。


あんな酷い再会をして。


和は・・・


俺の子を・・・


ひとりで産んでくれたのに。


俺の子を・・・




それで乳首が黒ずんだのか。


あんな釦のように硬く大きくなって・・・


中は・・・生娘のようだった・・・





俺の子に


乳を与えてくれたのか・・・





智は頭を抱え込んだ。


ガツンと殴られたような気がした。




潤「飲もう。店から島ビールとってくる」


翔「飲もう。祝杯だ。


智さんが無事に帰国したことと


智雄くんの誕生と、高校入学!」


潤「ほら。智さん」


智「お、おう」




智の気持ちはもう此処になかった。


北の大地へとふわふわ飛んでいた。





この目で見てみたい。


智雄に、会ってみたい。


和がそこにいるのなら


ちゃんと謝りたい。




智の目に一筋の光が戻りつつあった。


和への帰り道・・・


いや、自分の人生への帰り道が


すーっと一本、見えてきたのだ。