母親の代理で出席した織物の会合では




「なあ。黙っとくから回してくれんか?


こっちは長いこと狙っとったんに。


色気あるんよな、あの人」




はじめまして、の染め物屋から


訳の分からない失礼なことを言われて


智は気分を悪くしていた。


もしも和のことだったら


一発殴らせてもらいたいところだが


母親の顔を立てて我慢をした。




舞妓さんが来て綺麗な舞の披露があって


食事やビールも出たけれど


和のことが気になって仕方なく


智は正絹会館から急ぎ戻った。




長い廊下の奥の和室へと駆け込んだ智は


先ほどまで布団で休んでいた和が


どこにも見当たらなくて、焦った。





智「和は?」


智母「和さんは、ちょっと・・・」


智「今出川の方か?」




言うなり本家を飛び出して


今出川の分家へと駆け込んだ。


そこはかつて智の祖父母の家があったので


よく知ったところだった。




静「お母さんなら、最前、荷物を持って


ちょっと留守にする、と・・・


行き先は言わはらんかったんです・・・」




三人目を産んで間もない静は


若き日の和にそっくりで


赤ん坊を腕に抱えていた。


奥からも女の子ふたりが顔を出した。


心配そうに、その父親も出てきた。




甥(静の夫)「叔父さん。ようご無事で」


智「ちょっと上がらせてもらうぞ」




智は必死になって和の跡を探した。


ピアノの前の姉妹が


智のあまりの形相に


震え上がって恐る恐る口を開いた。




静の娘「あの人、怖い人?」


静「これ、そんなん言うたらあかん。


お父さんの叔父さんや。


なんも怖くないわ」




店の二階の和室には大きな本棚があった。


和の蔵書であるとすぐに分かった。


自分がかつて和に貸した『更級日記』の


和直筆の写本を見つけたのだ。


ニ、三冊手前にあった帳面を引き出すと


それを借りて帰ることにした。




智「和は、ここに帰って来るんやな?」


甥(静の夫)「帰って来たら連絡します」


智「・・・頼んだぞ」






和に酷いことをしてしまった。


そのことが悔やまれてならなかった。




この指が覚えていた和の軀・・・




乳首があまりに変形していたことに


ショックを覚えてしまって


無理矢理に事を進めてしまった。




頭を抱えてため息を吐いた。


玄関で音がするたびに見に行った。


食欲もなく酒も飲みたくなかった。


そのまま大の字になって寝転んだ。


和は帰って来ないまま・・・


三日目になると、膝を抱えた。




智母「和さんが今のあんたを見たら


ガッカリしまっせ。


店くらい、立て直しなされ。


それまでの辛抱や、と言いましたんや」


智「なんやて?」


智母「なんやの?」


智「和を、追い出したんか?」





智は年老いた母親に怒りをぶつけた。





智母「和さんはもっと辛抱強いでっせ。


あんたも、しっかりおきばりやす」




だけど智は


帳簿に目を遣ることすら


出来ないでいた。


店の帳簿は既に赤字だらけで


銀行が融資を言ってくれているけれど


とても払える見通しがつかない。


京都は手強い。


自分の成功体験は淡路大野屋にしか無い。




・・・そうだ。


淡路だ。


淡路へ行ってみよう。


京都を追い出された和が行くところは


やはり淡路だろう。


和にとっても淡路しかない。





口論をしてしまった母親は


部屋の襖をきっちり閉めていたから


義姉と理学博士の甥っ子に




智「ちょっと出掛けてくる」




そう言い残して


京都の家をふらり出ていった。




和の面影を探しながら


智はふらふらと西行きの電車に乗った。


そして淡路行きのフェリーに乗り換えた。


若き日の自分が


和に逢いたくて


何遍も辿った阿波へ続く路・・・




あはでこの世をすぐしてよとや




誰の詠んだ下の句か。


思い出すことさえ出来ない。


それは和への帰り道を失った


今の智そのものだった。




せめて再会の瞬間からやり直したい。


あんな風に乱暴に奪ってしまったことを


智は悔いていた。




和の流した血潮が


その貞潔をさらに際立たせ


智の中で


唯一を超える何か・・・


言い当てる言葉を思い付かないほどの


絶対的な生涯の伴侶だと


今さらながらに


思い知らされていた。





難波潟
みじかき芦の ふしの間も
逢はでこの世を 過ぐしてよとや

新古今集・伊勢