・・・カチャ・・・ぽちゃん




和が物音で目覚めた時には


智は居なかった。


本家の上等な布団に寝かされて


洗い立ての清潔な浴衣を着せられていた。




智母「和さん。目、覚ましはったん?」




義母が手拭いで


顔を拭いてくれた。




智母「具合は、どう?」


和「あの、智さんは・・・?」


智母「さっきまで此処におったんやけど


西陣の会合へ行ってもろたんよ」




起きあがろうとして制された。




智母「なぁ・・・和さん。


そのままで聞いてくれへんやろか?」


和「・・・はい」


智母「智雄に、会いたいやろ?」


和「あ・・・はい!」




それは、もちろん。


智が帰って来たから


晴れて親子の名乗りを


させて貰えるのだろうか。




智母「・・・いや・・・違うねん・・・


正直に話すよって心して聞いてちょうだい」





義母は、和に。


しばらく京都から離れてほしいと言った。




智母「私は守りたいもんが


ようけ出来てしもた・・・かんにんな」




守りたいもの・・・


大野屋のことかな・・・?


今では多額の負債を抱えてしまい


今出川分家の静のとこの呉服屋さんに


迷惑をかけたらあかんから、と


全ての事業を分けている。




智母「大野屋もそうやけど、な。


私が一番に守りたいもんは、智やねん。


あの子・・ちょっと人相変わってしもて


和さんも・・・その・・・怖かったやろ?


許してな。かんにんえ」


和「いえ、そんな・・・怖いだなんて」


智母「この通り、お願いしますよって


ちょっとの間、京都から・・・その・・・


離れてくれへんやろか?


淡路もな、智が探しにいくと思うねん。


せやから、違うとこに・・・」


和「ちょっと待ってください。


智さんに逢うてはいけないんですか?」


智母「人の噂いうもんは、怖いもんや。


あの子を犯罪者には出来ません」


和「人の、噂・・・?」


智母「和さんは京都に顔が知れてしもた。


元は智の許嫁やったけど


そっちが先やったけど


今では分家の静のお母さんや。


あの可愛い娘らのおばあちゃんや。


静のとこの三人娘の将来の為にも。


大野屋の存続の為にも。


けったいな噂は立たん方がええ」


和「けったいな・・・噂て・・・?」


智母「出入りの染めもん屋がな。


智があんたを襲った時に


その・・・音を聞いてしもてて・・・


警察呼ぶのなんの、大変やったんよ」




智との激しい交わりを思い出して


顔に火がついた。




和「犯罪じゃありません。


智さんは・・・夫ですよって・・・


相手が警察でもちゃんと言います」


智母「いや。商売できんようになる。


それに・・・智は。きっと。


和さんをこれから先も欲しがります」


和「そんなん、お互いさまです!」


智母「頼んます。和さん。


この通りや。京都から離れてください」




涙を浮かべて頭を下げて・・・


義母の意思は固かった。




智母「これ・・・少しやけど・・・」




株券と芦屋の家の権利書と


へそくりの現金を和の手に握らせた。




智母「これは、鍵。


古い家やけど、住めるようになってます。


芦屋の・・・私の実家やねん。


和さんに渡しておいたら


いずれ智雄のもんになるやろ?


なぁ・・・悪いようには、せんから。


あんたらのことも私には大事やねん」


和「・・・お義母さん・・・」


智母「北海道にも行くやろ?


智雄に会いに行ってきて。な?」


和「・・・・・」


智母「大野屋が立ち直るまでの辛抱や。


智やったら、と。


大きい銀行さんも融資の話・・・


乗り出してくれてはって・・・」


和「・・・・・」


智母「ここで、智に変な噂がついたら


全部あかんようになる。


商売が上手くいったら、そしたら・・・」




お義母さんの言うことは


分からなくもなかったけれど


智と逢えないのは


納得がいかなかった。




和「智雄のこと・・・


智さんに話したいのですけど」


智母「それや。


一番の懸案事項は、それやねん」


和「・・・懸案・・・?」


智母「智には。


大野の当主になってもらわんとあかん。


でも、そないしたら


長兄のとこの子らより


智雄が先になりますやろ?


それは・・・順番がおかしなるさかいに」




・・・順番・・・




戦争で全ての歯車が狂ってしまった。


そしてお義母さんが


一生懸命に考えて


大野家本家のこと


大野屋のこと


今出川の分家のこと


そして・・・なにより智のこと・・・


胸を痛めてはるのが


和にはよく分かった。





和「お義母さん、泣かんといて。


仰せの通りしばらく北海道へ行ってきます。


智さんのこと・・・お願いします」




やっと逢えた智の前から姿を消すのは


和にとって身を切られる如くに


ほんまに、ほんまに辛いこと・・・




ふらふらと立ち上がり


お世話になった京都から


逃げるようにして


小さな荷物ひとつを持って出て行った。




それが正解なのか分からないままに・・・


智に智雄のことを言えないままに・・・