物資がどんどん乏しくなる中


淡路大野屋に並ぶものは


華やかな京呉服から


淡路島産の食物に変わってしまった。





智の甥っ子達は賢く品があった。


読み書き算盤から始めて


数術は関数、微分積分までも理解した。


元々の地頭が良かった上に


高等女学校で学んだ和という師を得て


親元を離れた寂しさを埋めるように


彼らは朝から晩まで勉学に励んだ。




のちに一番上の男の子は帝国大理学部へ。


そのまま大学に残り教授となる。


長男ゆえに大野屋の後継を期待されるも


学術研究に明け暮れ


呉服の事業からは手を引く。


二番目の男の子は農学部へ。


淡路島玉葱を北海道の気候に合わせて改良。


晩年には京都に戻ってくるが


北海道岩見沢の農地開拓に加わる。


領の祖父はこの人である。


三番目の男の子は同志社へと進学。


和の姪静を嫁に迎え分家してもらい


呉服屋を継ぐ。悟の祖父である。





話を昭和初期に戻そう。


智が出征して三か月が過ぎた。


筆まめな智からは「舞鶴港にいる」と


和の元に手紙が届いていた。


「これからシナ大陸行きの船に乗る」


とも書かれていた。


「どうぞご無事で・・・」


と返事を送ったのは届いただろうか。





実は、和は身体に異変を覚えていた。


月のものが来ないのだ。


智の甥っ子らの為に食事を用意するも


米の炊ける匂いで気持ちが悪くなる。




・・・もしかして・・・




お腹に手を当ててみた。


ずっと子に恵まれなかったのに


まさかこのタイミングで


授かった・・・?




身に覚えは、ある。


大いに、ある。


あの出征の前夜も


いや、その前の夜も、そのまた前の夜も


思い返せば千夜で足りぬほど


激しく智の愛を受けたではないか・・・





もちろん産む。


他に選択肢などない。


智がそばに居てくれたら


どんなに喜んでくれただろう。




問題は・・・


生まれてくる子の戸籍をどうするべきか。


確かに智の子であるには違いない。


和は他に男を知らない。


自分が籍を入れていないばかりに


これが大きな問題と思われた。


二宮に入れて由緒正しき家を継がせるか。


大野の子だと胸を張って京都人にするか。




だがそんなことも言っていられなくなった。


だんだんと戦況は厳しくなっていく。


当時は隣組など厳しい監視の目があった。


将来お国の為に働いてもらう為


どこの誰に子が生まれるか


多くの目が光っていたのである。




そんなある日のこと。


舞鶴から出た船が外国船籍の軍艦に


沈没させられたらしいと


水と食糧の供給で島に寄った船の人が


そう話しているのを聞いてしまった。




和「それ、いつのことですか?」




この頃はどこにでも憲兵の目と耳がある。


詳しくは教えてもらえなかった。


新聞には勝ったことしか載っていないが


事実として和の父親は長く帰ってこない。


不安は大きく和を揺さぶった。




お寺に続く階段を昇り


潮風に身を委ねながら


和は海の向こうの智を想った。




ねえ。


どこにいるの?


もしも天に召されたならば諸共に。


迎えに来てよ・・・連れて行ってよ・・・


あなたのそばにいきたい・・・





鳴門の渦潮に飛び込みたい衝動から


我にかえったのはあるものを見つけたから。




二宮家の墓には


誰か供えてくれたのか


島に咲く野の百合が揺れていた。




そして和は見つけたのだ。


二宮家の墓石の隣の敷地に。


真新しい石碑を。




惠智院*・゜゚・*:.。..。.:*・*・゜゚・*和


惠和院*・゜゚・*:.。..。.:*.:*・゜゚・*智




これ・・・何?


どういうこと?





どれくらいそこにいたのだろう。


お寺の人が和に声を掛けてくれた。




「出征前に大野さんが来られましてね。


和さんと来世も結ばれたいと。


この字は大野さんの直筆です。


それを淡路の石材屋が彫りました。


朱のお名前は生きている証です。


仏さまのお守りだと思ってください。


お寺からお知らせしなかったのは


いずれ和さんが何かお心に抱えた時に


自ずから訪ねることがあるかもしれない。


その時まで黙っていてほしい、と」





あの時の約束・・・


この島に骨を埋めると言ってくれた・・・




今、墓石の朱の文字が和に語りかける。




死して尚、結ばれたいと・・・


来世でも、尚、結ばれたいと・・・





和は智の愛の信念を墓碑の朱字に見た。


人生の旅路の途中で


もしもはぐれてしまっても


最期にはここで結ばれるのだ。





智はきっと帰ってくる。


ここに・・・


この子の元に帰ってくる。





十月十日を経て


和は密かに智の子を産んだ。







明日から第三章『渦潮』(転)に続きます。


今日はホワイトデー♡なので

もうひとつのお部屋でお話を23時26分にUPしますね。


そちらも宜しくお願いします。また夜に👋