時代の波は押し寄せていた。


不況が徐々に日本を蝕んでいく中


それでもまだ辛うじて淡路は


その波に呑まれていなかった。




大野屋に京都の絹織物が並ぶと


遠く讃岐、伊予、土佐からも客が来て


大いに賑わった。


和も学問所の終わりには


店の売上計算を手伝い帳簿に付けた。


売買損益算は五つ玉の算盤を用いて


いや、用いずとも算術は得意だった。


売り子さんや針子さんを多く雇い


京都から品も運んで貰えるようになり


大野屋の商売は淡路でも成功を収めた。





智と和は幾度ともに朝を迎えても


変わらず歌を送りあっていた。


鳴門の渦潮に群がるカモメにも


瀬戸内海を明るく照らすお月さまにも


睦み合う姿を見られない日はないほどに


ふたりは仲良く重なり合って


夜露に濡れた花弁はますます艶が出た。


柔らかな和の襞は硬い智を包み込み


鳴門の渦に負けない程の飛沫をあげて


満ち足りた幸せな夜明けを迎えていた。





しかし。


世間には悪企みをする者もいる。

結局、洲本の屋敷はそのままなのに

その屋敷を売却したという噂は広まった。

和が相続したのではないか?との憶測が

島に広まると



「お父さんにお金を貸していました」

「お母さんの診療費の支払いがまだです」



などと嘘の請求をする厄介な者が

前の住まいの長屋にも、ここ大野屋にも

次々と押し寄せた。

長屋の隣人らは巡査を呼んで

そのけしからん訪問者を

和から遠ざけようとしたけれど


慶野の松原に和がいるということも


狭い淡路島ではすぐにバレてしまった。




今までに一度も会ったことのない


二宮家の親戚を名乗る連中が


ぞくぞくと大野屋へ押しかけた。


和の母親や姉が結核で収容される際には


知らん顔をしていたのに、だ。


中には自称「許婚」まで現れた。


十人を超える「許婚」に智はもう笑った。


それでも智が淡路に居るうちは


和は危険な目には遭わなかった。


京都大野の力はそれだけ大きかったし


智は全力で和を守っていたのだ。





智「やはり洲本の屋敷も


他の人の手に渡る前に


うちで、きちんとしておきたい」





洲本の二宮邸は由緒正しい土地にあり


そこは和の本籍地でもあった。


智は他の人に穢されるのを嫌がり


きちんとした手順を踏んで


銀行も淡路島で一番大きなところに頼み


櫻井家も交えて商談に入った。


間違いなく二宮家の次女である和の


お上お墨付きの所有にならないのであれば


大野が買い取ってでも


その土地を守りたかったのだ。


父の相続権は母と姉それに和


そして姉の取り分は松本家の甥姪である。





母と姉が既に亡くなっていると知るのは


この手続きの時であった。


売却を認めた書類に目を通した和が


母の筆跡の、本人のそれと違うと気付き


「これはおかしい」と。


智が松本家当主とさらに巡査までも伴って


神戸の病院まで行って確かめてきた。





もうずっと前に亡くなっていたのに


さも生きているかのようにして


ふたり分の入院費や食事代を


和に毎月毎月送らせていたのだ。


働いていたとはいえ女の身故の薄給


京都からのお足しがあればこそ


支払えていたのも事実なのである。


しかも土地台帳を書き換えようとする


良からぬ試みもあった。


幸い、日露戦争時に


陸軍が借り上げた実績があり


その時にはっきりと二宮家の所有を認める


公的な証明があるとして


裁判所が他の名義への書換を退けていた。





「和さんのお金を取り返そう」





櫻井も関係各所に掛け合ってくれたが


和が病院に払い込んでしまったお金は


残念ながら全額は取り返せなかった。


ただ病院の事務方がお縄になった。





和は母の箪笥から一番上等の着物を


お寺に持っていき弔ってもらった。


二宮家、松本家の墓には花が供えられた。


母と姉は神戸の共同墓地に眠る。


いつか引き取れる時が来ればいいけれど


先祖代々の墓には母が眠ったものとして


手を合わせた。




父上は生きているのだろうか・・・


もしかしたらもう天国で


母上と再会できているのかもしれない。




もうこの世では


智のほかに頼る者もいない・・・?




和はひとりぼっちを覚えた。




だけど智がいた。


和には、智がいた。