(悟)💛




学年が上がるにつれて


いつの日か


僕をピアニストにする夢を諦めた母親は


それなら東大か京大に行ってくれと


分かっているのかいないのか


やはり針穴を通すような要求をしては


父親の苦笑いを増やし


息子を困らせた。





母親の実家は変わらず京都にあって


祖父母は今もそこにいる。


曾祖母は幼い僕の世話の為に


孫娘の嫁ぎ先の芦屋に来てくれたのだ


と、自分の良いように解釈していた。


朝から晩までピアノを弾いていた母は


僕を育てるには忙し過ぎたから・・・


・・・だと、勝手に理由を付けていた。





父親は長男ではないとはいえ


うちに母方の曾祖母がいるのは


世間的にはかなりイレギュラーだと


大きくなるにつれて


周りの人の囁きが耳に入ってきていた。




僕にとっては大好きな曾祖母で


離乳食から中高のお弁当までの食事も


衣服や住まいを清潔に保ってくれたのも


圧倒的な音楽環境下で


古典の成績が抜群に良かったことも


何もかも全て曾祖母のおかげだった。


今じゃひとりで眠れるけれど


幼い頃、眠れない夜にはいつでも


僕を抱っこしてヨイヨイしてくれた。


読み聞かせは得意の日本昔話だけでなく


『Peter Rabbit』英語版まで及んだ。


そんな明治生まれのスーパー婆さんは


僕にとっては親以上の人だった。


乳母(めのと)と言えばバチが当たる。


だけどかなり上質な世話をしてくれた。





ある日のこと。


和紙仕立ての上等な招待状が届いた。





宛名には


『和さま、およびご家族さま』とある。


差出人には、大野とあった。


ものすごい達筆だけど見覚えがあった。


曾祖母の部屋には


至るところにこの筆跡が溢れていた。


年賀状、暑中お見舞い、お中元、お歳暮


それだけじゃない。


季節の俳句や旅の思い出の和歌


それを大切にとってあることを知っていた。





曾祖母の名前こそ「和」である。





いつも穏やかで優しく


上品な鈍色の着物をしゃんと着こなし


物事にはまずもって動じない曾祖母が


珍しく眉間に皺を寄せた。


招待状には長い手紙が添えてあった。


一字一字を静かに


だけど食い入るようにして読んでいる。





曾祖母「京都で・・・集まり・・・?」




母にも京都から連絡があったらしい。




悟母「親戚皆で料亭に集まって


大野の大お爺さまのお祝いですって。


十二坊の本家の集いですよ。


分家の、しかも嫁いでしまったうちまで


家族全員を呼んでくださって・・・!


米寿ですって。


ねぇ、お婆ちゃん。行きましょうよ。


うちは特に。


物凄くお世話になっているのですから」


曾祖母「・・・・・」




ひいおばあちゃんは


しばらくじっと考えていたけれど。





曾祖母「あんたらだけで行っておいで。


ツマガリさんのお菓子でも持って行き」





曾祖母はこの時も京都へ行かなかった。


仏壇の抽斗から


綺麗な一万円札数枚を出して封筒に入れ


さらに正絹の帛紗で包み、母親に託した。


僕には京都行きのお小遣いをくれた。




曾祖母「悟。


京都の大学をしっかり見ておいで。


向こうの曾孫の領を預かる代わりに


うちの曾孫を京都に、と書いてある」


悟「京都・・・ですか?」


悟母「それなら京都大学がええわ!」





そんな簡単に言うなよ・・・


というか、さ。


領くんと入れ違いは、話が違う。


やっとひとつ屋根の下だと思って


こっちはずっと待っていたんだ。


領くんとは絶対に一緒に暮らしたい。


なんでも勝手に決めないでほしい。



 


京都の料亭には学生服で行った。


女の人たちは皆、正絹の着物を着ていた。





ずらりと並んだ高齢者たち。


瓜二つ京都顔のお爺さん、おじさんらが


僕ら親子をじっと見つめている。


ぺこりと頭を下げると懐かしい声がした。




領「北海道の、領です」


悟「・・・領くん・・・///」


領「あ、覚えててくれたんだ///」




忘れるわけがない。


北海道にまで押しかけたし


やり取りした手紙は千通を超したと思う。


音楽の道に進むために


やはり関西の地を選んでくれた。


東京に出ることもできただろうに


その報がどれだけ嬉しかったことか。



*ララァさんのお写真です*




あの日のふたりの時間が動き出す。


波の音まで蘇ってくる。


潮騒だ。


胸が騒いでどうしようもない。




悟「・・・」


領「・・・」




じっと見つめ合って・・・


しばらく動けなかった。





悟の母「これ。悟。挨拶もせんと。


芦屋の水島です。和婆さんとこの者です。


ご無沙汰しております」


領の祖父(悟の母の大伯父)「お父さん。


和さんとこの・・・曾孫さんらやわ」




一番お年を召したお爺さんが


皺皺の手を伸ばして


僕の手を遠慮がちに


だけど、ぎゅっと・・・


ぎゅっと・・・握りしめてくれた。





領の曾祖父「和さんとこの曾孫か・・・」


悟「悟と申します」


領の曾祖父「さとる、というのか」


悟「曾祖母が名付けてくれました」


領の曾祖父「・・・さとる・・・」


悟「さと、と呼ばれています」


領の曾祖父「・・・っ・・・」




領「・・・さと・・・」


悟「・・・・・///」





領くんに呼ばれると、照れるよ。


僕はこの時、領くんと再会できて


本当に嬉しかった。


皆で並んで豪華な食事が進む。


僕と領くんが仲良くするのを


本家の大お爺さんはとても嬉しそうに


だけど時々光る目尻に指を添えて


見つめてくれていた。


それが何故か


僕のひいおばあちゃんに重なった。 



瀬を早み


岩にせかるる瀧川の・・・




「お詣りに行かなくちゃ」




綺麗な晴れ着を着た従姉妹が


神社へ行くのに領くんを何度も誘った。




領「ちょっと出掛けてきます。


すぐに戻ります」




・・・え?


行っちゃうの?


折角、久しぶりに逢えたのに・・・?




僕はショックだった。


綺麗な着物を着て


化粧もして


花の18才、従姉妹はとても可愛くて・・・





そしてスラリと立ち上がり


エスコートする領くんは


ここにいる誰よりもかっこよかった。





ふたり、お似合いで・・・


言葉にできないほどショックだった。




男と女・・・


その組み合わせは


あまりにも自然過ぎた・・・





「失礼します」




領くんがいなくなると


途端にここにいる意味がなくなり


ひとり立ち上がった。




心が割れそうに痛む。




そうだよね・・・


領くんにとって僕は


ただの親戚の男の子で・・・


こんな・・・


慕う、なんて感情・・・


迷惑だよね・・・


気持ち悪いよね・・・