(悟)💛




悲しい気持ちのまま


ふらふらと京都の十二坊を彷徨った。





領くんと自分はどのみち結ばれない。




そんな当たり前のことに


この年になってやっと気付いた。


男には女・・・


頭をガツンと殴られたみたいな


そんな惨めな気持ちだった。





先祖代々のお墓の前を通り過ぎ


千本通に出たところで祖父に見つかった。





悟祖父「もう迷子になる年でもないな」


悟「京都で迷子になんか、なんないよ」




通りの名前の歌、ちゃんと歌えるよ。


阪急もJRもバスも地下鉄も


乗り方も降り方も切符の買い方も


なんなら駅名だって全部言える。


バスに乗らないでも


どこまでも歩いていけるよ。


きっと。


全ての路地を歩いたことあるし。





それでも僕を心配して


探しに出て来てくれたのだ、と気付き


祖父の足に合わせて歩調を緩めた。





悟祖父「どこか行くところか?」


悟「大学を見ておこうと思って」


悟祖父「ここを左に曲がるとりっちゃん。


右に曲がって真っ直ぐ行くと同やん。


その先に京大がある」


悟「全部・・・受けようかな」


悟祖父「全部受かったら、どこに行く?」


悟「全部受かったら・・・?」




選ばせてくれるんだ。


それなら・・・


研究室とか教授とかちゃんと調べて


自分に一番合ったところへ行きたい。





一番・・・自分に合った・・・





・・・領くん・・・





今なら引き返せる。


例えば。


兵庫県にも大学がある。


神戸大学とか関西学院大学とか。


建築関係の学部もあるだろう。


あるいは。


今からでも領くんの音大を目指す?


領くんを追いかけてなら・・・


指・・・また動くかもしれない・・・





・・・いや・・・待て。


冷静になろう。






京都の大学へ進学したら


親や祖父母の思う壺だ。


領くんとは入れ違いになる。


ひとつ屋根の下で暮らせない。




でも・・・


その方が良いのかもしれない。


領くんに彼女ができたら・・・


もっと惨めな気持ちになるだろう。





悟祖父「・・・まぁ。


受かってから悩むか。


ちと、つきあえ。お前さんに頼みがある」





京都の爺さんは愉快そうに笑った。


頼みがある、と言われれば仕方がない。


黙って付いて行った。





千本からしばらく歩くと


母方の実家の呉服屋に着いた。


爺さんがガラガラとシャッターを開ける。


反物(たんもの)がいっぱい。


お香の匂いかな。絹の匂いか。


ひいおばあちゃんの部屋の匂いがした。




悟祖父「これ、和さんの」




ぽいっと渡されたのは


しつけ糸付きのやはり鈍色の大島紬だった。




悟「ひいおばあちゃん


着物はいっぱい持ってるよ?」


悟祖父「だけど注文もらったから」


悟「ひいおばあちゃんから?」


悟祖父「いや、本家の大爺さん。


子どもらは大学の教授ばかりになって


向こうはもう呉服屋を畳んだからね。


ちょうど仕立てあがったばかりなんだよ」




さっきの大爺さんか・・・


なんでうちの曾祖母の着るものを


あの大爺さんが・・・?


それも、こんなに高価なものを・・・?




悟祖父「芦屋に配達してくれるか?」


悟「シワにならないかな?」


悟祖父「大丈夫。あんじょう畳むから」




手際よく畳紙(たとうし)に入れ


化粧箱に入れて持ち手も付けてくれた。




悟祖父「和さんに。


京都のお土産ようけ持って帰らんか」


悟「うん」




ひいおばあちゃんにお土産を持って帰る。


それは子どもの頃からの


僕にとって一番大切なミッションだった。


あまり京都に行きたがらないけれど


京都の和菓子や漬物が大好物で


豆腐や湯葉も喜ぶ僕のひいおばあちゃん。


喜んでもらいたいと心がざわめく。




悟祖父「お前が生まれるずっと前は


ここの二階にも居たんだよ、和さん」


悟「・・・え?・・・」





お店の上を覗き見る。


本が三面の壁にぎっしり詰まっている。


いつもお邪魔している奥の母屋よりも


通りに面している分、陽当たりも良い。


京都の建物は古く


天井は低いし


階段はギシギシいうし


床も斜めになっているみたいに思う。


それでもたまらない趣きがある。


手書きの写本は『更級日記』だ。


どれだけの価値があるのだろう。


だけど売りたくない。


尊いひいおばあちゃんの字だから。





悟「どうして芦屋に来てくれたのかな」


悟祖父「あの家は。


本家の大爺さんが和さんに買ったんだよ」


悟「え?どういうこと?」




爺さんは「しまった」という顔を見せた。




悟祖父「いや、その・・・


お前の母さんのグランドピアノごと


あの難しい娘を嫁にもらってくれた


お前の父さんの器に今も感謝している」




・・・ああ・・・そういうことか。


それじゃ、僕らが居候なんじゃないか。


今の今まで知らなかった・・・


音楽で食べていくのは厳しいと


父さんいつも言ってたもんな・・・


ピアノ教室だけじゃ安定しないから


中学校の先生もやってるもんな・・・





悟祖父「だから領くんを


芦屋で預かるのは自然なことなんだよ」





あ。・・・そっち。


領くんが芦屋に来ることについて


祖父は僕に気をつかっているのだと


これまたやっと気付いた。




悟祖父「その和さんの部屋が空いている。


いつでも京都に帰ってこられるように


誰も使っていないからね。


お前が京都の大学に通う間くらい


あの部屋を使わせてもらってもいいだろう。


きっと和さんも喜ぶよ」




悟「・・・うん・・・そうだね」




京都の大学は。


とりあえず受けてみよう。




京都市内をぐるりと回るバスに乗って


大学を見た気になって八条口でおりた。


そしてそのまま新快速で芦屋へ帰った。




その頃。


領くんが僕を探してくれているなんて


思いもせずに・・・


慣れない京都の町を走り回っているなんて


想像さえできずに・・・





まだお互い携帯電話も持っていなかった。


アナログな時代だった。