(悟)💛




あれから


領くんに会いたくて


もう一度なんとか会いたくて


北海道までひとりで行くと駄々を捏ねた。


小学五年生になってやっと


両親が北海道へ連れて行ってくれた。


それはピアノのコンクールで珍しく


金賞をとったことへのご褒美だった。





ひいおばあちゃんは頑として


「行かない」と言い張った。


僕ら親子三人の旅費を工面してくれたのに


「一日千円ね」と滞在予定分の


特別なお小遣いもたんまりくれたのに


「ひとりでお留守番できます」


と兵庫県から一歩も出ない意志を貫いた。


元来ひいおばあちゃんは京都ですら


頑として行きたがらない。


娘夫婦(僕の祖父母)が芦屋に来ないと


一年だって会わなくても平気な人だ。





留守を頼んで


パパとママと僕の三人で


伊丹空港から飛行機に乗った。


新千歳空港までは


領くん一家が迎えに来てくれていた。




中学生になった領くんは


もう大人みたいな顔をしていたけれど


僕らは一瞬であの夏へ帰れた。


領くんには大きなお兄さんが二人もいて


もう大人で、黙々と農作業をしていた。


僕らは広い玉葱畑を走り回って


再会を喜んだ。










領くんの家は、とても大きかった。




明治政府肝入りの北海道開拓で


淡路島から移住した人々の多く住む


北海道岩見沢の大農場。


ずっとずっと何ヘクタールも


領くん家の敷地だという。


お隣の相葉さん家まで車で10分もかかる。


見渡す限りの見事な玉葱畑だ。


空が近く感じた。


地球が丸いことを青い空が教えてくれた。





そのお隣の


淡路島出身二世だという相葉さんが


僕ら家族にわざわざ会いに来てくれた。





相葉「わぁ。大きくなったね。


淡路の松本さんからいつも聞いているよ。


和さんは元気にしてる?」


悟母「はい。祖母はとても元気です」


相葉「京都へは?」


悟母「私達はお正月に帰りました」


相葉「どっちの大野さんも元気にしてた?」


悟母「はい」





どっちの大野さんも・・・って


どういう意味だろう?


京都の母方の旧姓は「大野」だ。


そういえば領くん家も大野さんだ。




相葉「君も大きくなったら


ピアニストになるのかい?」




母親が嬉しそうに首を縦に振っている。


父親は苦笑いをしている。


息子がピアノに向いていないと


勘の良い父親は早くも気付いていた。





・・・実は・・・


あの夏のお城作りが楽しくて


僕は将来建築関係の設計士になりたいと


いつしか強く思うようになっていた。


それでいろんな模型を作ることに


夢中になっていた。





一方で。


領くんは。


なんと!!!


ピアノとバイオリンを習い始めていた。





領「パパとママみたいになるんだろ?」


悟「うん!」




そうだよ。


そうだけど・・・


それは、パパとママみたいに


仲良しって意味だよ・・・///





大人たちに勧められて


領くんとピアノを合わせてみた。


僕の音を聴いてくれる。


僕のタイミングを待っててくれる。


その優しさがたまらなかった。


メトロノームの規則正しい機械音に


厳しい母親の声が伴奏だったのに


領くんのピアノは優しくて温かくて


まるで僕の父親みたいな深い音を出せる。


包み込むような音色だ。


僕の音を聴いてくれるから


僕も貪るようにして領くんの音を聴いた。


僕らは会話をするようにして弾いた。




領くんは本気で音楽の道を志している。


それは小学生の僕の耳にも明らかだった。




悟父「いつでもお預かります」


領父「よろしくお願いします」




なんて父親同士が挨拶していた。


音楽室完備だしピアノも二台あるからね。


夜中でもレッスンできるよ。


領くんがうちに来てくれたら


どんなに楽しいだろう。


そうワクワクしていたら


「そうそう。


北海道にも海があるんだよ」と


小樽に連れて行ってもらった。



*ララァさんのお写真です*




当たり前のことだけど


僕らはあの日よりも背が伸びていた。


もう・・・お城作りはしなかった。




いや。


本当は、やりたかった・・・


だけど・・・


大人達が寿司店を予約したと言うから


僕らは砂遊びを遠慮したんだ。




食事をするところに


砂まみれで行ってはいけない。




それくらいの分別はついていた。





北海道滞在中は。


領くんの部屋に泊めてもらえた。


僕らは一緒にピアノを弾いて


同じものを食べて


一緒のお風呂に入って


満天の星空を見て


それから眠くなるまでゲームをした。


ひいおばあちゃんへのお土産が買いたくて


札幌にあるデパートにも連れて行って貰えた。


お小遣いは全て六花亭のお菓子に代わった。


それを大事に大事に抱えて帰った。





母親の旧姓が大野であることと


領くんの苗字が「大野」であることから


僕らが近しい親戚であることはわかった。


だけど従兄弟より遠いよね?


お正月に会ったことないもん。


どういう関係性なんだろう・・・?


大人たちに訊いてみても 


苦笑いをするばかりで


誰ひとりちゃんと答えてくれる人はなく




何か家族の秘密があるのかな・・・




それが気になって仕方なかった。


芦屋に帰ってからも


ひいおばあちゃんに


「大野」について何度も質問した。


すると必ず話をすり変えられるのに


その話の終わりにはいつでも。




瀬を早み


岩にせかるる瀧川の


われても末に逢はむとぞ思ふ




の和歌を聞かされた。


「崇徳院という人が詠んだらしいよ」


と言うから


「ご先祖さまなの?」と聞いたら


「うちは御土御門天皇の御後裔だよ」と


冗談なのか本気なのか


わからない回答がいつでも返された。


ひいおばあちゃんは


俳句雑誌『青の門α』関係のお仕事を


80歳を超えても続けていた。