デイサービスピカソ種子島は、天神町のサンシード近くにあります。

ここはもともと海岸線でした。

よくびっちょやはまぐりを採りに来ていました。

 

ある日工事が始まりました。小学生の頃です。来なくなりました。

そのころ両親が頻繁に夫婦喧嘩をするようになりました。

そして、かつてはまぐりのとれたところに家が建ちました。

 

父が埋め立て地を買い、鉄筋コンクリートの店舗兼自宅を建てました。

そこに引っ越したのが確か中学1年の頃。

 

当時狭いうなぎのねどこで寝ていた私に子供部屋が与えられました。

うれしかった。

 

しかし、夫婦喧嘩はますますエスカレート。

父は体育会系でそれはそれは怖かったです。

 

原因の一つとして父の言い分では母が浮気をしていると言うのです。

あり得ませんでした。

 

少なくとも男性に媚びうる女には思えませんでした。

しかも相手がどんどん増えていき、自分(父)の弟や親友まで疑われました。

一方、父はよく私の同級生の女性の家に酒を飲みに行っていました。

 

同級生たちグループがことあるごとに囲んでこう言いました。

 

「あんたのおとうさんは、あんたのおかあさんよりうちのお母さんの方がきれいだって言ってるよ」

「あんたのお母さんとは離婚してうちのお母さんと結婚するって言ってるよ」

 

だから何?

 

「じゃ、結婚すればいいじゃない。」 そう返しました。

 

父への不満はありません。あったのは恐怖です。

そう、怖かったのは暴力です。

 

中学3年の10月

学校から帰ると電話が来ました。おじさんからです。

 

「明日の学校の荷物と着替えをもってうちに来なさい」

 

ここから家を出ました。

 

正直、小学生のころ、中学生のころ

私の記憶はないに等しいです。

 

でも高校もひどかった。

シングルマザーの収入ではどうにもならない時代に、学歴のない母。

 

私は一人で父の所へ行き、学校で必要なお金をもらいました。

一筋縄ではありません。

父はとてもお金に厳しい人でした。

 

高校3年生の時一筋の光が見えました。

看護学校への進学です。全寮制です。島を出られます。

種子島には高校卒業してからの進路先はありません。

 

合格しました。

 

楽しかった。

 

看護学生の3年間。全寮制で縛られて、外泊も事前申請して許可をもらうところでしたが

とにかく楽しかった。

 

まず、入学してからいきなりの遠足。

 

えーーー。ディズニーランド???

 

行ってわくわくどきどき

 

勉強も実習も充実していました。

 

そして国家試験、合格しました。当然でした。

 

ここまでは楽しい思い出。

 

これをかてに生きています。

 

ああ、いい人生だった。自分を見失いかけた、いや 見失ったことがあった

 

だからこうして書いています。

 

また、自分の道。人生を見失わないように。

 

そのためにまたアメブロに帰ってきたのだから。

 

生きててありがとう。生きていて素晴らしい。生きていることを頑張りすぎないでね。

 

泣かない私へ