7月も中旬近くになって、人に会う機会が、どんどん増えてきました。
同じように、何か切り替わったような感覚を味わっている方も、多いんじゃないかと思います。
運気の流れ、というのも確かにあるんですが、思い切り好きなことをするのが、けっこう大きな後押しになるのです。
私はというと、ここ10日ほどで、20冊くらい本を読みました。
買うだけでは足りないので、前からあった本を引っ張り出して、時間を見つけては読書ざんまいだったのですが、もう頭も心も身体も、どっぷり本のお風呂に入って、のぼせるくらいでした。
そろそろ湯あたりしそう・・・というところで、ようやく終了。
短い時間なのに 後のスッキリ感は、かなりのものです。
ご飯を食べるのも忘れるほどに何かに夢中になるって、かなりのエネルギーを使うので、溜まっていた余分な氣(のようなもの)が、全部出てしまうみたいなんですね。
もちろん疲れは感じたのですが、私が本から何かを得たというより、その余分な氣を本が受け取ってくれた気がしたのです。
私の場合は、本好きなので、コレだったのですが、運動でも、カラオケでも、絵を描くのでも、音楽を聴く、掃除、おしゃべりでも何でも好きなことでいいから、没頭する時間を持つと、フッと軽くなるのを感じられると思います。
その時 2つポイントがあって、
「人にしてもらうのじゃなくて、自分ができること」
「夢中になるのを、何かを得る手段にしない」
どっちも似ているのですが、一つ目だと、誰かに「私を夢中にしてもらったり、代わりに好きなことをしてもらうのは無理だし、もししてもらえても、好きな相手に、自分の余分な氣を渡してもらうことになってしまいます。(それって悲しいですね)
それに、好きになるとか、夢中になるとかって、衝動や樹熱のようなもので、理屈でコントロールできないもの。
なのに、たとえば
夢中で好きな事をするから、絶対お金ちょうだいね
夢中で好きな事をするから、スゴイって言ってね
夢中で好きな事をするから、ほめてね
みたいに条件をつけているとしたら、
「お金にならないなら、スゴイって言われないなら、ほめてもらえないなら 私は、好きな事をしません!!」って言っているのと同じ。
衝動を感じる前に、エゴが本当の自分(真我)に、交換条件を出していることになるのです。(これも悲しい)
「好きなことが分からない」、「好きなことができない」という時も、「好き」と「外側の何か」をくっつけてしまっているのかもしれません。
お金が欲しいと思うのも、承認されたいと思うのも、ぜんぜん悪いことじゃない。
でも 自分の純粋な想いは、そんな移ろいやすいものとは、比べようもないくらい大きくて素晴らしくて、自分はもちろん人まで幸せな気分にさせてしまいます。
それを教えてくれるのが、無心で遊ぶ子どもたち。
難しそうに思ってしまうけれど、私たち全員 経験済みなはずですよね。
ただ忘れているだけだから、思い出すためには、理由も損得も意味も何にもつけずに、ちっちゃな好きを重ねていけばいいだけ。
地下深くのダイアモンドを見つけるのも、そんなに時間はかからないと思います。
で、今回の私のように、好きなことをしていると思っていても、大人の分別で外側に惑わされることもあって、それが自分とずれた余分な氣となって重く感じるのですね。
でも、余分な氣を流してくれたのも、やっぱり「ちっちゃな好き」でした。
その時の本たちですが、読み終わって一冊ずつ手に取ってみると、帆の少しですが重く感じました。
受け取ってくれた本たちに感謝して、お塩をふってサヨナラしようとしたのですが、その中に1冊だけまったく変わらなくて、両手のひらにはさむと眠くなってくる本があって、私の大好きで尊敬する方が書かれた本だったのです。
ものすごく納得でした。
と話があちこち飛んじゃいましたが、転換期と梅雨がドッキングしているこの時期、だるさや重さを感じたら、フッとしたい!と思ったことをぜひ実行してみてみてください。
本流に戻るための時間 大切です。
from 美咲
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