11月18日の日経新聞を読んでいて、かなり違和感、というか強烈な不快感を感じました。

 

記事に対する詳細は後述するとして、

まず、2面 「円の実力 低下傾向続く」

という記事の結論部分にある

 

「本来なら退出を迫られるはずの産業や企業が(政府の円安政策による)円安で温存された。競争から守られた企業はイノベーションを起こす動機が薄れた。」

 

 

続いて3面、 「ガソリン補助金 効果・公平さ疑問」

という記事への論評「市場機能ゆがめる恐れ」にある

 

「いまのエネルギー価格の高騰は、脱炭素社会に至る『産みの苦しみ』といっていい。」

「市場の『見えざる手』を軽視し、政府の『見える手』を過信するのは危うい。コロナ禍の克服や経済安全保障を口実に、非効率で統制的な経済政策が前面に出てくるのでは『新しい資本主義』の看板が泣く。」

「そもそも日本は競争が足りず、産業の新陳代謝や労働者の移動が抑えられてきたではないか。」

 

 

なんという上から目線。

全文読むと国家の経済政策を否定してます。

 

庶民の苦しみなど新しい社会へ移行するための『産みの苦しみ』と断言し、

不景気によって企業が倒産し失業者が増えようとも、それはそもそも「退出を迫られ」て当然だったのであって、

むしろ過去の日本の政策によって競争が起こらず、産業の新陳代謝や労働者の移動が抑えられてきたことの方が問題。

というのです。

 

まさに弱肉強食の理論。

弱者は社会から退場を強いられ、競争を勝ち残った強者だけが生き残ればいいということです。

というか、それだと本格的な格差社会になりませんか?

 

散々「アベノミクスによって経済格差が拡大したー」とか批判していたので「格差」が嫌いなのかと思ってました。

 

そこまで他の産業に対して強気に物が言えるのであれば、消費税の軽減税率の対象に入れてもらわなければよかったじゃないですか。

新聞業界だって国家の政策によって、増税による値上げを免除してもらったんじゃないですか。

 

前々から書いてますが、こういう大手マスコミが持っている

「我々こそが良識と見識の象徴なのだ」

という 「思い上がり」 が本当に気持ち悪くて仕方ありません。

 

いや、気持ち悪いだけならまだしも、もはや社会にとって害悪になっていると言ってしまっていいと思います。

だって人からカネ取って正しくもない情報をさも正しいかのように流布しているんですから。

 

じゃあ具体的に突っ込んでいきましょうか。

 

2面「円の実力 低下傾向続く」

 

「円の総合的な実力を示す実質実効為替レートが約50年ぶりの低水準に近づいている。(略)

日本の物価上昇率が海外に比べて低く推移したことに加え、輸出競争力を重視して円安に繋がる政策を進めたのが要因だ。」

 

 

まず、現在の1ドル=114円の円相場なんか歴史的に見れば全然円安じゃないんですよ。

記事によれば「4年8か月ぶりの円安水準」となっていますが、アベノミクスによる日銀の「異次元の金融緩和」、俗にいう「黒田バズーカ」の時は120円を超えましたし、平成が始まったころは140円以上ありました。

 

そもそも記事にある「約50年」前のレートでいえば、1ドル=360円だったわけです。

よもや日経の記者たる者、そんなことも知らずに書いたわけではありますまい。

 

日経新聞が好んで使用する「円の価値」(個人的には、この表現は失笑ものでしかないのですが)でいえば

50年前に比べ「円の価値」は3倍超になっているのです。

 

にも拘らず、「円の総合的な実力を示す実質実効為替レート」が約50年ぶりの低水準に近づいているのは何故か。

記事にもある通り「バブル崩壊以降の長引く景気停滞で、他国と比べて日本の賃金や物価が上がらなかった」からです。

以上終わり、です。

 

だったら逆説的に、「他国と同じぐらいに日本の賃金や物価が上がっているのであれば円の実力は50年前の3倍になっていたはずだから、日本も賃金・物価上昇を目指した経済政策を取らなければならない。」となるのが本来の読み方になるはずです。

 

それがなんですか?

この後の記事では素っ頓狂極まりない珍説が披露されることになります。

 

「賃金や物価が上昇する海外と同様の購買力を保つためには、円の価値を引き上げる必要があった。だが、日本は円高による輸出競争力の低下を懸念し、円高に対処してきた。(略)2013年に始まった異次元緩和で円の価値は一段と下がった。」

いやさっきも書いた通り、2013年よりも今の方が円高です。

 

「かつては円安が製造業の輸出競争力を後押しし経済成長に寄与した。多くの企業が海外に拠点を移すなどして経済構造が変わり、円安による日本経済の押上効果は弱まった。」

はい、ここで書かれた「多くの企業が海外に拠点を移す」とになった要因が、そもそも円高のためでしょ。

安い労働力を求めて企業が中国に拠点を移したために技術と人員が流出し、国内の雇用が奪われたんじゃありませんか。

 

 

 

(時間軸があったグラフが見つからなかったのが申し訳ないのですが)

アベノミクス以前の円高トレンドに合わせて失業率が上がっているのが分かりませんか?

 

更に続けます。

「長年にわたる円高対応は日本の生産性の低さを助長した面もある。内閣府によると日本経済の実力を示す潜在成長率は足元で0.5%と1980年の3.8%から低下した。」

 

1980年といえば、1ドル=200円代の頃ですから今の方が円高じゃないですか。

ドル円レート長期推移1971~(チャート・変動要因) - ファイナンシャルスター (finance-gfp.com)

https://finance-gfp.com/?p=3008

 

この記者もはや自分で何を書いているか分かってないですよね。

 

そして極めつけの結論が

「本来なら退出を迫られるはずの産業や企業が円安で温存された。競争から守られた企業はイノベーションを起こす動機が薄れた。自国製品を安売りするための円安志向からの脱却と、高付加価値の製品開発を通じた真の競争力強化が求められている。」

となるわけです。

 

…この記者アホじゃないのだろうか。

毎度言葉が悪くて申し訳ないのですが、他に表現が見つからんのですわ。

なんで記事書く前にその内容で整合性が取れているのか調べないのだろうか。曲がりなりにもプロなんでしょ、 経 済 の 。

 

始めに結論ありきで、とにかく「政治のやることは間違っている。つまり今やろうとしている事も間違っている。」と主張したいわけです。

しかもただ政治のやることに文句をいうだけではなく、

 

歪 ん だ 特 権 階 級 気 取 り で 上 か ら 物 を 言 い 、

し か も 力 の な い 企 業 は 倒 産 す る の が 社 会 と 経 済 の た め だ っ た 

 

と、完全に間違った認識でそうぬかしおるわけです。

本当むかつく。

 

ちょっとむかつきが止まらず、続きが書くのがしんどいのですが

 

3面「市場機能ゆがめる恐れ」

 

「これが岸田文雄首相の描く『新しい資本主義』の形なのか。幅広い世帯への一時的な現金給付や旅行・飲食補助だけでなく、今度は特定の企業に『ガソリン補助金』を配るという。

実効性や公平性などの問題を直視せず、むやみに補助金を投じるのが『賢い支出』とは思えない。何より市場の機能をゆがめる価格統制と批判されても仕方あるまい。」

 

個人的には、私自身もこのガソリン補助金に関しては実効性と公平性に問題があると感じており、『トリガー条項』(ガソリン税の上乗せ分を減税)の方がガソリン価格は安くなって消費者のためになると考えています。

(トリガー条項については別のブログで書きます。)

 

そういう意味では相変わらず「税は景気の調整弁」「景気が悪い時には減税」を頑なに拒否し、ケチった補助金でお茶を濁そうとする現政権のやり方には「経済成長に対する本気さ」を感じることが出来ません。

 

しかし、ここではどうしても日経の記事に対するムカつきの方が先に来る!

こいつら庶民の苦しみなんかどうとも思っていないばかりか、エネルギー価格の高騰は『産みの苦しみ』で、先にも出てきた政府の円安政策のせいだ、などという訳の分からないというか、間違った認識を記事にしているわけです。

 

しかも前述した通り

「岸田首相は1980年代から脈々と続く『新自由主義』の弊害を説くが、そもそも日本は競争が足りず、産業の新陳代謝や労働者の移動が抑えられてきたではないか。」

 

そして記事の結論部分では

「先の衆院選では、大盤振る舞いを競う野党の多くが国民の厳しい審判を受けた。岸田政権にも安易なバラマキのお墨付きを決して与えたわけではあるまい。」

 

と、ベーシックインカムを公約にした維新や、真水50兆円の積極財政を唱えた国民民主が議席を伸ばした事実をシレっと無視し、

自分に都合のいい記事のまとめ方をしています。

 

要するに、政府の経済政策など必要なく、失業率が増えようが自殺者が増えようが関係なく、バラマキをやめて「国の借金」とやらに気を遣えと、そう言いたいのです。

 

じゃ、ちょっと話脱線しますけど、一つ事実を指摘しましょう。

皆さんは明治初期の時と比べ現代の政府負債が何倍になっているかご存じでしょうか?

約10,000,000倍です。

 

 

その間この債務は一度だって完済されたことなどなく、常に金額は積み上がり続けています。

ではその間日本は一度だってデフォルトに陥ったことがあったでしょうか?ありません。

 

それどころか100年前に日本政府が発行した国債の額など、現代の人はもはや誰も問題になどしないでしょう。

なぜでしょうか?

インフレによって当時と今とでは貨幣価値が全然違うものになっているからです。

 

同様に、これからも日本が適正なインフレによって、経済を成長させ続けたなら、100年後には今の政府負債など誰も問題にはしなくなるのです。

 

そして日本のGDPの6割は個人消費なのだから、日本経済を成長させるには個人に現金を給付してそれを自由に使ってもらうのが一番なのです。そういう意味では特定企業への補助金というカネの使い方では公平性と実効性に疑問があるのはその通りです。

またコロナ対策で使わなかった予算が生じたのなら、それだって個人給付にしてしまうのがいいのです。

 

個人給付しても貯蓄に回るだけで効果がない、という指摘が日経新聞含め、政治家の方からも出ます。

 

これに対しては経済学者の田中秀臣 上武大学教授は

「貯蓄に回ってもそれは死に金になるわけではない。貯蓄とは個人が緊急の出費に備えるためにするものだから否定されるものではない。」

という意見を言っており、私も全く同感です。

 

 

 

 

 

また京都大学大学院教授 元内閣官房参与 藤井聡氏は「インフレになるので財政出動は控えるべき」という財政均衡派の主張に対し

「彼らのメンタリティは、栄養失調状況に苦しんでいるのに、肥満を過度に恐れて何も食べようとしない拒食症患者のそれと全く同じ」

と反論していますが、

(「MMTによる令和『新』経済論 現代貨幣理論の真実」晶文社)

 

この弁を借りるなら、「貯蓄に回るので個人への現金給付は意味がないのでやるべきではない」という意見は

「栄養失調で苦しんでいる人間に少しだけ食事を与えたが、健康にならないのでもう食事を与えるのをやめた方がいい。食費がもったいない。」

と言っているのと全く変わらない、と私は考えています。

 

また給付方法は振込ではなく選挙の投票券を送るのと同じ方法で政府小切手を国民に送付するのがいいという提言もあります。

銀行窓口での現金手渡しにすれば、前回のように振り込み作業に時間がかかることもなければ、現金で10万円も手にすればそれを預金するまでの間にどこかで買い物に使うことが期待出来ます。

 

高額所得者に対する給付は必要ないという指摘については、給付金を課税対象にすればいいという提言もあります。

 

 

考えられる方法は幾らでもあるはずなのです。

 

 

それが、この日経新聞の記事を読めば

「バラマキはけしからん。経済政策?そんなものは知らん。弱い奴は退場すればいい。」

という、極めて暴力的で低レベルな話になっているので

 

強く驚き呆れる他ないのです。

 

 

これが「日本経済新聞」の冠を称して、あたかも日本経済の教科書であるかのように世間では認識されているのですから

ちょっと問題の闇が深すぎやしませんか。