9月30日、自由民主党の総裁選挙が行われました。

これについて、マスコミを始めとするほぼ全ての言論媒体が『事実上の次期総理大臣を決める自民党総裁選』という表現を使用していました。

 

実際、9月30日に自民党新総裁に就任した岸田文雄議員は、10月4日に召集される臨時国会によって第100代目の日本国総理大臣に指名されます。

 

それは日本の議院内閣制では国会議員による指名によって総理大臣が選出され、その国会議員は自民党によって過半数を占めていることから自明のことです。

 

なので、この

『事実上の次期総理大臣を決める自民党総裁選』という表現は、事実として何ら間違っていないわけですが

私はあまり公に使用すべき言葉ではないのではないかと考えています。

 

 

大体、『事実上の次期総理大臣を決める』選挙と言われてみても、殆どの日本国民はこれを「自分には関係ないこと」と思いながら見ていたことでしょう。

 

それは当然のことで、自由民主党総裁は自民党員によって選出されるものだからです。

そして現在日本国内には自民党員は113万人います。つまり全国民の1%ということになります。

 

実際日本国民の99%にとっては本当に「自分には関係のない選挙」だったのです。

 

 

つまり『事実上の次期総理大臣を決める自民党総裁選』という表現は、

『我が国は全国民の1%しかいない人間によって(実際はさらにごく一部の人によって)、事実上トップが決められます』

ということを言論人が公に世間に語っていることに他ならないのです。

これは民主主義を標榜する国家としてはいかがなものなのかと思うわけです。

 

しかしながら戦後日本においては、この状態が常態化し続けました。

だからこそ誰も別段この表現を問題視しません。そもそも『本当のこと』だから。

 

これはある意味日本国民にとって不幸な事でもあり、「結局自分達が何を言っても政治には届かない」という認識を国民に持たせる一因になっていたと思います。

 

 

現実としては、岸田新総裁がそのまま総理大臣に指名されることは間違いないことではあるのですが、

わざわざ言論界がこの非民主主義の匂いがする表現を用いるのは、あまりいいことではないのではないでしょうか?

 

この民主主義国家日本において、国のトップを決めるイベントは『衆議院議員選挙』です。

建前であろうが、事実上であろうが、それは動かすべきではありません。

 

だから自民党総裁選は、あくまで『自民党の総裁を選出する選挙』なのであって、それ以上の意味を持たせるような表現は使用すべきではない、

と私は考えるのです。