6月13日 土曜日の朝日新聞他の一面記事から

 

この日は毎日新聞、読売新聞でも一面トップは2次補正予算についてでした。

 

 

 

まず「そもそも」論から言います。 

 

『国力』とは国家の(国民の)、生産・供給力(潜在GDP)のことです。

 

生産・供給能力とは、それを消費する者がいることによって(需要があって)下支えられています。

 

企業は商品を買ってくれるお客さんがいるからこそ、商品を作り、それを売ります。

 

この先も商品を買ってくれる人がいると見込めるからこそ、新たな設備投資にカネを投じます。

 

新たな設備投資は新しい技術の促進に繋がり、設備資金として企業が銀行から借り入れを受けることによって、市中のカネの量も増えることになります。

 

 

逆に、

世の中の人がカネをあまり使わなくなり、消費が停滞すれば(需要が減少すれば)、商品は売れなくなります。

 

商品が売れなければ、多く作り過ぎた分だけ赤字が発生しますので、企業は商品の製造を抑えます。

 

また、国内で商品が売れないのであれば、企業は外国に対し商品を売ろうと考え、そう行動するようになります。

 

そうすると為替変動によって、企業の業績が大きく左右されることになります。

 

企業は自国よりも通貨が安い隣国があればそこに工場や設備を移転し、その結果、技術や人材の流出、「富の流出」が発生します。

 

そして経済界は日本のことよりも、工場移転先の国の顔色を気にするようになります。

 

儲けが出ない事には銀行からの借金が返せないので、企業はそもそも銀行から融資を受けません。

 

誰も銀行からカネを借りなくなり、借金返済のみが行われ続けると、その結果として市中からカネの量が減ります。

 

その結果、社会全体でみんなが貧乏になります。

 

 

その繰り返しによって国内の生産・供給能力

即ち『国力』が低下します。

 

 

そして「供給力」>「需要」の状態を一般的に 『デフレ』 と言います。

 

つまり『デフレ』とは、「モノの値段が下がって市民には嬉しい状態」などではなく、

国家においては非常に好ましくない状態だと言えます。

 

因みに、「需要」「供給」のバランスを現わすものに『需給ギャップ』という指標があるのですが、

これが後述する経済学者 元内閣官房参与 本田悦郎氏によれば、これが40兆円の供給過剰状態(「デフレギャップ40兆円」)にあり、2020年通期ではおそらく80~100兆に昇るだろうとしています。

(従って経済対策としては現状でも足りない、としている。)

 

「カネの巡り」とは国家においては「血の巡り」そのものです。

 

だからこそ、国家においては経済政策は安全保障政策と表裏一体なのです。

 

そして、国家において「血の巡り」をよくするためにはどうすればいいか。

 

それは国内における経済活動の主体である国民に「カネ」を渡すこと。

「カネ」の巡りにブレーキを掛けることになる「税」に対し、減免措置を採ること。

が挙げられます。

 

日銀は通貨を発行し、政府は経済政策によって歳出を増やすことによって、「国内の物価の過剰な上昇を抑えつつ、供給と需要のバランスを取り、経済を成長させていく」ことが求めれているのです。

 

(逆に需要超過によって過剰なインフレが発生した場合には、日銀は「金融引き締め」、政府は「増税」によってカネの巡りを抑える必要がある)

 

つまりマクロ的な視点からみれば、政府が災害などに際し国民のためにカネを配ることは、

単純に生活に困窮する国民を救う事のみならず、国力の維持・増強のために必要な措置であって、

純然たる「社会善」であり、社会維持に必要な「統治行為」なのです。

 

別に政府が国民に恩を着せたり、支持率を上げるために無駄なバラマキをしているわけではないのです。

(まあ、そういう狙いもないとは言いませんが)

 

今回の新型ウイルス禍に際し、

「生活苦は自己責任」

「国家にカネをせびるのは卑しい」

「財政が厳しいのに政府は無駄使いをするべきではない」

という意見を目にしますが、私はそれを個人の価値観としてはありだとしても、その価値観を他者や政府に強要するが如くの論調には賛同しません。

 

というか明らかにマクロ的視点に欠ける誤った認識だと考えています。

 

 

 

と、いうことで

新型ウイルス対応の追加対策を盛り込んだ総額31兆9114億円の今年度第2次予算が12日、参院本会議で与野党の賛成多数で可決、成立したことを歓迎致します。

 

この2補正予算に関する詳しい説明については

経済学者 元内閣官房参与 本田悦郎氏の解説が分かりやすいです。

https://www.youtube.com/watch?v=2RzvMyE5WXI

 

細かい項目について、何に何兆円、何に何兆円と挙げていっても私含めほとんどの方にはピンとこないでしょうから触れません。

 

ただ31.9兆円といっても、「企業の資金繰り支援 11.6兆円」は無利子融資(つまり「貸付」)。

「予備費 10兆円」は文字通り「予備」なので確実に国民の手に渡るか分からない。

ということで、純然たる「真水」(国民に給付されるカネ)と呼ばれる部分が10兆円程、ということで

藤井聡氏などは経済対策としては十分ではなく、しかも消費減税がないことに不満を表しています。

https://www.youtube.com/watch?v=Fx8EfjyhL3Y

 

 

 

さて

朝日新聞のタイトルを見ますと 『疑念残し成立』 と大体的に書き、『給付金事業委託「中抜き」』 『予備費10兆円「白紙委任」』 などと、あたかも予算を急いで成立させたことが問題あるかのような印象操作を行っていますが、私はこのような論調には賛同しかねます。

 

また、記事中「予算の56.3%を借金で賄う状況で、借金頼みの体質はより深刻となっている。」などは、これについては財務省のプレスリリース自体が「そのように書け」となっているのだとしても、他紙に比べても明らかに読者に対し負のイメージを与えようという意思が感じられるものです。

 

まず、

『給付金事業委託「中抜き」』については、中小企業などに最大200万円を出す持続化給付金事業(今回更に1兆9400億円が追加)において、委託先の団体が事務の大半を電通に再委託していたことが発覚。

 

ここで団体が「中抜き」と呼ばれる中間マージンを掠め取っていたとしたら、更に電通が業務を他の団体へ「孫請け」させ、そこでもマージンを取っていたら、本来国民に給付されるべきカネが言ってみれば「横領」されているわけですから、これは許せる話ではありません。

これについては、真相究明が必要でしょう。

しかしこれは予算とは別の枠で扱うべき事項です。

 

 

『予備費10兆円』。これが政府に「白紙委任」を与えるものだとして、政府が適切な使用をするのか、無駄遣いばかりするのではないかと、野党は減額を求めていたという問題です。

 

これについて本田氏は、「今回の新型コロナ禍は、何が次にどのくらいの確立で発生するか確たることが言えない。不確実な事態にも早急に対応するためには相応の予備費が必要」と解説しています。

 

野党が求めた「予備費減額」については、「方向違い」であると喝破しています。

前述の通り、日本の需給ギャップはデフレ側に40兆、2020年通期でみれば80~100兆になるであろうと予測されているので、「10兆円でも足りない」「国民への給付にしても10万円だけでなく、もっと行ってほしい。予備費はそのための財源にしてもいい」とし、「増額ならともかく減額とは…」と呆れた様子でした。

 

本来野党が、そして朝日新聞のようなマスコミが、経済政策に対し関心が高く政府に対し「使い道に関しては監視させてもらうが、政府はもっと支出を増やせ」と主張したならば、国民も「おっ!?」と思い、支持もしたでしょう。

 

しかし結局のところ、彼らのやることは「私達は文句を言います。なぜなら文句が言いたいからです。」以上のものではないのです。

だから支持をされない。そこのことをもっと本人達は理解すべきなのです。

 

 

最後に本田氏は気になることに言及しています。

 

「補正予算の財源は全額国債で賄われている。

そのことはいいのですが、

財務省が確定した国債の発行計画を見ると、9割近くが償還期間が1年未満の短期国債である。

今は長期国債の金利が非常に安いのであるから、長期国債を発行すればいいものを、あえて短期国債を発行する裏には

将来これを増税で返済しようと目論んでいるグループがいるからではないか。

 

これは本末転倒で、こう言う時は本来『減税』が必要なのだ。

復興のために国債を発行するのに、それを賄うために(消費にブレーキをかける)増税で賄うのでは筋が通らない。

これには注意が必要。」

 

ということでした。

 

朝日もそうでしたが、財務省はなぜ国債の発行額が積み上がることを嫌がるのか。

 

これにはそもそも「カネとは何なのか?」というスタート地点から考える必要があるのですが、

これは経済における「スタートにしてゴール」となるテーマになりますので別の機会に書きます。

 

触りだけ書きますと、

 

カネとは何かについては

「貨幣商品論」=カネとは貴金属の代理品であり、それ自体に価値があり、『有限の存在』である。

「信用貨幣論」=カネとは他者への弁済に使用できる「負債証書」であり、価値あるものと交換することによって価値が生まれるものの、それ自体は紙切れである。発行に際し『限り』はない。

 

の説の対立があります。

実はこれは明確に結論が出ており、現代においては「信用貨幣論」によって社会は成り立っています。

これは学説ではなく、『客観的事実』です。

 

にも関わらず、現在におけるまで主流をなす経済学と、それに拠をなす経済政策は「商品貨幣論」からスタートしているために、「カネには限りがあり、使用しすぎると財源が枯渇し、国家が破綻する。」という主張がまかり通っているのです。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

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