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映画<ドンジュ>以後パク・ジョンミンは言葉どおり走った。 ドンジュの友であり所信の青年だったモンギュ役を担って彼は、 "私がその方の人生をまともに表現したのかよく分からない" として試写会場で涙を見せた。 この俳優は物寂しさを抱こうとした。
そんなに作品と人物に対した彼がおよそ2年間映画だけ五作品を加えた。 今年リリースする予定の作品も三作品にもなる。 来る17日封切りを予告した映画<それだけが私の世の中>がその開始だ。 該当作品でパク・ジョンミンは自閉症状の一種であるサーバント症候群を病んでいる、 ピアノ天才ジンテ役を担った。
近付くこと
キャラクターがキャラクターであるからセリフはきわめて少なかった。 相手方の質問にジンテは無条件"はい!"と答えたり時々簡単な単語程度を吐きだす水準。 セリフの量が少ないと絶対容易なことはなかったはず。 パク・ジョンミンは、 "ジンテのような方が話す'イェス'は肯定だけのイェスでなく相手の話が聞きたくなかったり、 状況を回避する時を意味したりもする。 からだと表情で感情を表現しなければならなかったし、 その'はい'という話のトーンと呼吸がみな違わなければならなかった" と話した。
見慣れない刺激に敏感がる障害だが彼は突然一緒に暮らすことになった、 腹違いであった兄(イ・ビョンホン)に心を徐々に開く人物。 近くにはリュ・スンニョン、遠くシン・ヒョンジュンなど有名な先輩俳優が、 似たキャラクターを引き受けたとしてもパク・ジョンミンは、 "先輩たちの良い演技をわざわざ気を遣おうとしたとすればさらにぎこちなかったこと。 ただジンテに集中しようとした" と明らかにした。 これと別個でパク・ジョンミンは撮影直前まである福祉施設をサー訪れて、 サバント症候群を病んでいる学生のための奉仕活動を自任した。 一週間に一日、4ヶ月間彼は該当施設で奉仕した。
"(先輩たちの演技は)勿論、無意識的でも思い出させたがかえって参考にしなくしようとした。 <マラソン>等私がとても好きな映画なのにこれをまた見るならば、 私がかえって熱心に避けようとしそうだった。 どうせ悩みの結果は似ていることなのに'これはリュ・スンニョン先倍加したし、 でもダスティン・ホフマン(映画<レーンマン>での自閉演技)がしたので避けなくちゃ' こうすればさらにどん底に陥りそうだった。 そのまま障碍者の方が持っている一般的特徴を表現しようと念を押した。
そして…、奉仕活動の話は本来公開しなくなろうとした。 基本的に見知らぬ人に拒否感がある方々なのに私の欲でその方を不便にするのが、 良くないことのようで初めにはしないのが合うのではないか悩んだ。 だが、その方を観察しようとして行くのではないので用心深く問い合わせ差し上げた。 全てこのような人でこういう気持ちで奉仕したいと申し上げた。 ところであまりにも快くそしてお好きだったよ。 働き手が非常に不足した状態だったが私よりも先生が、 さらに熱心にシナリオを読んでそうした。 学生の方々やはり私に心を開いてくださって友人になったようだったが、 これを一つの広報手段で使うようで気にかかった。 先生に尋ねたところかえって'おっしゃられるのがさらに役に立つ'でしたよ。 それでこのように話すことになった。" |
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隠れた努力
障害者の演技とともに彼に大きい課題だったのがピアノ演奏だ。 劇中ショパンなどのクラシック曲を立派に消化するジンテなので、 パク・ジョンミンは選択しなければならなかった。 演出を引き受けたチェ・ソンヒョン監督がどうせならすべての曲の手動作を、 直接したらと思ったし、それはやはり同意した。 ピアノをひいてみたことがなかった彼を置いて俳優イ・ビョンホンと製作会社側では、 "パク・ジョンミンのためにも一部CGや代役を使うのがより良いようだ" という意見を伝えたりもした程にこの部分は血と汗にまみれた練習が必要だった。
"本当に今回の作品に魂を一度に注いだ(笑)。 イ・ビョンホン先輩が現場で演技する姿を見てひっそりとノートに書き取ることもした。 ピアノ演奏は、初めてのミーティングの時監督様がどうせならみな演奏する事を希望されたし、 私も監督様がそんなにおっしゃるほどならば練習すれば良くはしないかと、 思ってするといったのだ。 ミーティングを終えて帰っていく道にすぐに学院に登録したが、 1ヶ月程度練習して見たら本当に大変だったよ!
製作者がCG話をして感謝した(笑)。 ところでちょうど<ララランド>が出てきた時で、ライアン・ゴズリングが、 それをまたやり遂げる姿を見て欲もできた。 監督様がひょっとして分からない代役を準備されるといったが、 撮影を始めて初めて弾いた曲がとても練習がうまくいってまともに出てきたよ。 ハン・ジミン姉と共にハンガリー舞曲を打つ場面であったのにとてもよく出てきて、 ずっと代役なしですることになった。"
一日に6時間ずつ合計6ヶ月を練習したやりがいがあったのか。 言論試写会で公開された彼のピアノ演奏は<ララランド>に劣らなかった。 "私も映画を見て上手にする選択だったと感じた" と彼が付け加えた。 |
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理由ある不安感
映画<番人>でデビューした当時にもそうしたし、
今でも相変らずパク・ジョンミンは自身に厳格だ。
"自分の虐待がちょっと激しい方"
と話すほど彼は上手にする部分見るというできない部分に集中して、
自らを叱責して演技したりした。
もしかしたらこの態度が彼の動力でないだろうか。
作品出演のためにオーディションを転々とする時も、
結構作品提案が入ってくる最近にも彼の態度は変わらなかった。
"私が見ても怠けていれば私は何もできないタイプ"
としながら彼が話を繋いだ。
"今このように作品ができるのが<ドンジュ>が私に与えたプレゼントのようだが、
これがバブルかと思って不安だった。
本来は2018年にはちょっと休もうと考えた。
ところで片方では休めば何をしているかという気もしたよ。
今映画<娑婆下>撮影中なのに現場で楽しく仕事をする自らを見て、
休まなくなるのを上手にしたと考えた。
イ・ジュンイク監督様が現場を楽しめるように助けになられた。
演技に自信がついたというよりは言葉どおり楽しくすることができる心ができたようだ。
私をご存知な方はご存知だが人々の称賛がありのままに聞こえない。
自らに常に'安心するな。
いつかは見つけられて!'と話す。
これは私の生き方だ。
安心すれば安住してしまったら、そのまま置いてしまう傾向がある。
勉強する時もそうした。
試験を受ければ点数がよく出てくるほうだったのに、
その中一番出来ない科目を思い出させて自らを洗脳させた。"
再び<ドンジュ>に戻った。
その涙の正体を置いてパク・ジョンミンは、
"申し訳ない気がして泣いた"
と説明した。
それなら仮想の人物ではあるがジンテはまたどうだったのだろうか。
"編集されてなくなった場面なのにジンテが家に単独でぽつんと残って、
部屋でピアノを演奏する神がいた。
私はそのままジンテとして演奏すれば良いということだったがある瞬間、
私がジンテを眺めていたよ。
感情がとてもこみあげてたくさん泣いた。
あたかも幽体離脱したように何度かそんなにジンテを眺めて、
感情を押さなければならなかった。"
これがパク・ジョンミンがキャラクターを抱く方式だ。
なぜ自身が演技しているのか、何が不足して何があふれるのか、
たたいていつのまにかその人物になっている経験。
そしてそれを眺めることができる俳優。
今後公開される<念力>、<辺山(ピョンサン)>、
そして<娑婆下>での彼を楽しい心で待つことができるようになった。
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