鉱山の中のカナリアのように世の中を感知する鋭敏な触手

‘優しく見えるがどこか内省的で、何かくやしく見える図体が大きい動物’、

ポン・ジュノ監督の目に映った生命体だ。

この生命体は結局映画<オクジャ〉になった。

彼が見たものは事実想像だ。

 監督はたびたび他の人々の目に見えないのを見る。

ひとりの頭の中にあったあるイメージが、

すべての目の前に繰り広げられるというのが映画の神秘だ。

 

 

ポン・ジュノ監督と話を交わして‘優しく見えるがどこか内省的で、

何かくやしく見える図体が大きい’生命体が目の前に来ている感じを受けた。

それは彼の図体(?) ためでもあり、対話をする時相手の話を推し量る思慮深いためでもある。

<オクジャ>の封切りを控えて多くの内外信記者とインタビューを受けた彼は、

すべての話を‘初めてする話’のように興味深く聞かせてくれた。

持って生まれた話屋である彼は鋭利な触手で世の中の‘くやしい話’らを引き出す。

その世の中には動物が出すうめき声も含まれている。

ポン・ジュノ監督が唯一取りまとめてみるプログラムは<TV動物農場>だ。

彼はその中で動物と、動物に対する人間の態度をあまねく見回す。

返還人である彼に動物は友達だ。

商業映画初めてのデビュー作である<フランダースの犬>から<怪物>、そして<オクジャ>まで、

彼の映画で動物は小道具でなく役割で存在した。

これらは各自(それぞれ)の生命力を持って話を導いていく。

<オクジャ>はカバに象、南米のマナティーを混ぜた想像の動物でありスーパー豚だ。

彼が‘豚の話’をすることになったのは豚ぐらいくやしい動物も、

いないだろうという気がするからだ。

珍島(チンド)犬より賢くて、身辺がすっきりしているこの動物は人間にただ、

“一匹もれなく食べ物”というだけだ。

この豚がミジャを育てた‘オクジャ’ならば?

 私の家族が屠殺場に引きずられて行っても、

私たちは何のことなしで良い暮らしをすることができるだろうか?


私の家族が屠殺場に引きずられて行く残酷童話

 

 

オクジャとミジャは姉妹のように育ちます。危

機に近づけば、二人はお互いのために情熱を傾けることを拒みませんよ。

ふとこのような気がかりなことができました。

二人の名前は誰が作ったのだろうか。

 

“(ピョン)ヒボン先生の横暴でしょう(笑)。

オクジャが初めてミジャ家にきた時ミジャはとても幼い子供だったでしょう。

おじいさんであるヒボンはミジャをミジャだと呼んで、オクジャをオクジャだと呼びます。

この頃世の中に合わない名前だが、ヒボンには最善だったようです。”

 

映画の中では‘オクジャ’を対する各人の態度があらわれます。

比較的善良な軸に属するヒボンやALF(動物解放連帯)人物も、

どんなメンでは限界を表わします。

 

“映画の中すべての人物が限界に至ります。

多分私たちの姿がそうでしょう。

伴侶動物を愛する人もその動物をふところに抱いてマートで買い物をします。

そのマートには粉砕された肉がいっぱいです。

最も代表的に豚はすべての部位が肉と付属物で置換されます。

私は肉食に反対するのではないが、生命に対する今のシステムは問題があると見ます。

過去のどの時代よりさらに大規模に、残酷に虐殺が続いていますね。”

 

 
そのコンテナ ベルトの上に‘オクジャ’がのぼる瞬間、観客も覚醒することになります。
‘あ、オクジャはならないけれど’という気がして。

 

“そのような不便さを与えたかったです。

私たちが平然と見る風景が事実はそのような風景ではないこともありますね。

<オクジャ>では基本的に‘私の家族が屠殺場に引きずられて行く話’です。”

 

そのベルトを止めるのは結局ミジャでしょう。

少女が世界へ突進してその世界を変える話は、

ポン・ジュノ監督の映画で何度も変奏された姿です。

 

“そのような姿に私が魅惑されるようです。

ミジャを引き受けたアン・ソヒョンさんが見せた態度もそうしました。

浮き立ったり大げさに騒がないのに、今後突進していきましたよ。

私が考えたミジャのイメージは一家族に一名ずついる‘その子は誰も当てられれないで~’

と考える子供でした。

 

大人たちも防止できなくて、頭をいやいや振るようにさせる子供でしょう。

ミジャはハードルを越えるのでなくハードル自体を押し倒します。

 

映画の中人物が各自(それぞれ)限界に至る時もミジャは限界を跳び越えます。

そのような姿があたえる美しさがあります。”


今日起きるどんなくやしいお話は

 

 

江原道(カンウォンド)旌善(チョンソン)の深い山奥の村と、

豚屠殺場があたえるイメージは対照的です。

韓国とアメリカの差でなく情緒的な蹴られろといいましょうか。

 

“実際に取材のために屠殺場を訪れたことがあります。

映画ではその規模と雰囲気の10分の1も入れることができなかったと考えます。

私が背筋が寒くなったのは、その中で仕事をするみんながこのシステムを、

誇らしく思うということでしたね。

豚の目で見た時そちらはホロコーストでしょう。

映画の中で屠殺場がぞっとして見せたとすれば、

それはすでに観客がオクジャの目で世の中を見ることになったためでしょう。”

 

罪悪感が入ったりもしたのです。

消費がないならば遺伝子操作や大量生産もなかったですから。

 

“消費は先史時代からありました。

ところで今、今日では度を越しました。

そこまでする理由がないのにそこまでしてしまいます。

そこに対して無感覚になってよ。

映画の中でも揺れるルーシーとは違って姉さんであるナンシーは、

‘金を儲けることができる’メン他のどんなものも関係ないという立場ではないですか?

そのような人物とは対話が通じません。

ミジャのように金豚を投げかけるしかありません。”

 

 

映画を作るのもどんなメンでは限りない対話をする作業だと思います。

<オクジャ>の俳優はもちろんスタッフまで多国籍人材が集まって作った作品なので、

困難はなかったでしょうか?

 

“国籍が違うので感じる困難はなかったです。

私から<オクジャ>だと特別に変わった態度で作りはしなかったですから。

映画を作る私の姿勢は同一です。

‛私がしたくて、私が見たい話’をしようとするものです。

そこに同意した人々と一緒にすることです。

<オクジャ〉が投資を受けるまで迂余曲折が多かったです。

ひとまず国内では500億相当の投資を得るのが難しかったし、

他の映画関係者に迷惑をかけることもできると考えました。

それで海外に目を向けたが、映画の編集権を保護する所はネップルリクスが唯一でした。”

 

懇談会の時も<オクジャ>という映画が持っている運命に対して言及しましたね。

封切り前から‘映画なのか、ではないのか’を置いて話が多かったし、

封切りをした後には不法流出などで苦しい状況にいてよ。

 

“私としてはカンヌから始めた話を今でもしていることだし、

<オクジャ〉がしばらく作られた話のようです。

 映画に対する話は映画の内容それ自体ならば良いはずなのに、

その他の話と論議が多くなるので残念に思う心です。

映画は映画で楽しむことができる時最も映画ダウだがそうはなれないですから。

10年後ぐらいには<オクジャ>で話を交わすこともできないだろうか期待してみます。”


10年後、<オクジャ>をまた見ることになるならばオクジャは今より、

ましな世の中に生きているかでなければその反対であろうか。

映画は、

“今この状態にずっと流れるならば世の中がどうなりそうなのか”

に対する想像だ。

鉱山のカナリアのように近づく災難に対して機敏な羽ばたきをすることだ。

その羽ばたきの意味をわかった彼らは蝶々効果のように他の道をつけて、

災難を防ぐことで、そうでないならば有毒ガスは私たちの生活を蚕食するだろう。

それでもポン・ジュノ監督の話がキャンペーンやスローガンでなく‘映画’である理由は、

彼の話には相変らず美しさが含まれているためだ。

‘苦難を体験しても壊れない美しさ’、その美しさに対する希望が観客の心をたたいている。