日帝強制占領期間抗日運動に飛び込んだアナーキスト パクヨル(1902~1974)の、
人生を描いた映画‘パクヨル’(イ・ジュンイク監督)。
観客200万人突破を控えたこの映画で印象的な人物で主人公パクヨル(イ・ジェフン)より、
金子文子(チェ・ヒソ)を挙げる人々が多い。
やはり実存人物である金子(1903~1926)はパクヨルの恋人であり思想的同志であった。
パクヨルに劣らない存在感に、新人チェ・ヒソもやはりトップスターイ・ジェフンに劣らない、
演技力でリリースした。
二人は東京で会って同居したし、アナーキストとして日本帝国主義と天皇制に、
反逆する集い‘不逞社’を共に組織した。
パクヨルが天皇家に爆弾投擲疑惑で逮捕された時金子も共に捕まった。
金子は裁判中に七回転向を要求されているが、最後までパクヨルと志を同じくして、
死刑の宣告を受けた。
なぜ日本人が命をかけながらも朝鮮のために自国の体制を否定したのだろうか。
映画が説明しなかった裏話を、日本の歴史学者山田昭次が書いた、
金子文子(山のように)で探してみる。
‘植民地朝鮮を愛した日本帝国のアナーキスト’という副題がついたこの本は、
イ・ジュンイク監督が映画を作る時参考にした本でもある。
山田しょうじ昭次は金子が獄中で残した膨大な分量の自叙伝と裁判記録、当代の新聞、
雑誌などをかき集めて金子の人生を再構成した。
金子は天皇制を信奉する権威主義的なお父さんと下層階級のお母さんの間で生まれた。
お父さんはお母さんを戸籍に載せなかったし、
金子が生まれた後お母さんを捨ててお母さんの妹と結婚した。
金子は自然に戸籍がない無籍者になった。
差別と虐待の歳月を送った彼女は両親に捨てられて9才の時祖母がいる朝鮮へ向かう。
7年間の朝鮮体験は地獄と違わなかった。
朝鮮人を収奪して富を積んだおばあさんはすごい権威主義者で金子を蔑視した。
殴ってご飯を与えず飢えさせたが、町内の朝鮮人の女がかわいそうに感じて、
ご飯を与えて飢えを減らしたこともあった。
金子は被支配階級である朝鮮人により一層心情的同意が起こったと本は伝える。
何より1919年3・1運動を両目で見てその抵抗精神に魅了された。
日本に帰ってきても受難は続いた。
お金のために母方のおじに嫁がせようとするお父さんから傷を受けたし、
誰より明晰だったが女性なので教育を受けることができない現実に憤慨した。
次第に差別と抑圧に反旗を翻すことになった彼女はお父さんから抜け出して東京に行く。
東京で彼女は苦学生活をして社会主義と無政府主義に深く陥った。
それは苦痛だった自身の人生がどこで始まったのか覚醒の契機になった。
両親が子供を一方的に扱って、それを親孝行で、
正当化しようとするのは階級支配の一環というもの。
すなわち権威的な家庭は天皇制を維持する基本骨組みという事実を悟ることになったのだ。
金子は自叙伝にこのように書いた。
“生まれる時から私は不幸だった。
始終一貫苛酷な取り扱いを受けた。
私は自我というものを持てなかった。
だが、今私は過ぎたすべての日々に感謝する。
もし私が不足がなく育ったとすれば、私がそんなに嫌悪して軽べつしてやまない、
その人々の思想と性格と生活をそのまま受け入れただろうし、
結局は私自身を発見できなかっただろう。”
そんなに金子はすべての人は自然的存在として平等で、不平等は国家権力が作った、
法科道徳から始まると考えることになる。
すなわち地上の平等な人間生活を蹂躪するのは、権力という悪魔の代表者天皇であり、
皇太子だ。
この本は金子が天皇制国家と対決するために朝鮮人(パクヨル)と共同闘争、
連帯を指向したと答をおろす。
もちろんパクヨルに対する深い愛も否定しなかった。
金子の獄中手記を見れば彼女がどれくらい信念が透徹したし、
これを守って行ったのか知ることが出来る。
“生きるということは単に動くものだけを想像しない。
自身の意志により動くものを意味する。
その行為がたとえ肉体の破滅を招くにしてもそれは生命の不正でない。
肯定だ。”
死刑判決を受けた金子は無期懲役で減刑された後3ケ月で獄中では分からない理由で、
亡くなった。
当時彼の年齢は23歳だった。
金子役のチェ・ヒソは本当に日本人と勘違いするほど、
オーダーメードある演技をやり遂げた。
イ・ジュンイク監督の前作‘ドンジュ’で、
ユン・ドンジュの詩集発刊を助ける日本人女子学生(深田久美)を演じた。