2011年11月22日東京フィルメックスにおきましてパク・ジョンボム監督作品、
「ムサン日記~白い犬」が上映されました。
上映前の舞台挨拶に続き上映後にティーチインが行われ、
俳優のカン・ユンジン、ジン・ヨングク、ソ・シンウォンも登壇。
4人でのQ&Aが行われました。
MC:監督であり、主演でもあるパク・ジョンボムさんに、
この作品を作ったきっかけはなんだったんでしょう?
パク監督:この映画のモデルになったチョン・スンチョルさんは、
私の大学の後輩だったんです。
彼の日常生活を知るにつれて彼自身は幸せになりたいと思っているけども、
実際には幸せになれないと言う現実に目の当たりにしました。
そう言う事がきっかけになり、映画として撮ろうと思いました。
MC:その友人と言うのは脱北された方だったんですか?
パク監督:はい、そうです。
彼は2000年に脱北をしまして、2002年に韓国の大学の方に入ってきて、
私と知り合いました。
MC:俳優の方々に質問したいと思います。
この映画に出演する事で苦労した点や役作りについてなど、
撮影中の事とか何か有りましたらお話下さい。
ヒロインを演じられましたカン・ユンジンさんから。
カン:実は撮影がかなり前の事になりますので、
少し記憶が曖昧なところがあるのですがこの撮影に関しては、
余り条件的には恵まれていなかったんですね。
かなり大変な状況の中で撮らなければならなかったし、
こっそりと撮影を隠れてしなければならなかったり、
そう言う状況がありましたのでかなり苦労は有りました。
本当に監督が皆を纏めて引っ張っていく力のある方でしたので、
私たちは監督を信じていました。
どんなに辛くても、例え寝る時間がなかなか無くても、
信じて一生懸命付いて行きました。
チン:そうですね、私は個人的に全てのシーンが記憶に残っています。
どのシーンも簡単に撮れたシーンは無かったと記憶しています。
中でも個人的に記憶に残っているのは、
お互い2人共北から南へ来たんですけどもスンチョルにはヨンチョルが、
ヨンチョルにはスンチョルが頼る相手はお互いしかいないと中で、
そんな2人がドンドン対立していくんです。
そして2人が争うシーンが有るんですがマンションの廊下で、
ロングテイクがあって24回ずっと撮り続けていました。
パク監督は演出兼俳優として出演ていましたので、
演技もしなくてはならなかったんですが、
監督としてのディレクションをしながら、
俳優としての呼吸を合わせなくてはいけなかったので、
私は監督の演出家としてのディレクションを受けながら俳優として、
監督と息を合わせなければならない立場だったんですが、
中々コミュニュケーションをする事がとても難しかしい事でした。
でも結果的には監督が望むようなシーンが上手く撮れたと思いまして、
そんな記憶が残っています。
ソ:はい、役はそんなに大きな役ではなくて小さい役でしたので、
ですから楽しく演じました。
一日だけの撮影でしたがその時は私のセリフは一言も有りませんでした。
ですから僕が話した部分は全部アドリブでした。
監督さんと車の中でアクションしながら一日中ずっと撮影したんですけど、
本当はとても危なかったんですよ。
車の中で運転して時間も無くてそんな中で本気を出して演技して、
その状況がとても危なかったですが、それが一番記憶に残っています。
(全て日本語での答えでした)
Q:中盤のシーンで監督が教会に来るシーンで、ずっと背中から映して行って、
前から映さなかったような気がします。
最後の最後で横顔がありましたが、前から映さなかった意図とかが、
有ったのかどうか教えて下さい。
キム:この映画には私の後姿が写るシーンが何箇所かあったんですけども、
私は実在している人物を演じていた訳ですが、
彼の事を心で感じながら演じていました。
しかし、果たして彼の心を判って演じているのかと思うと答えるのに、
難しい感じがしまして、後姿を見せていたと言うのは私自身が、
友人の心を伝えたいと言う気持ちからそうしました。
Q:最後のシーンであんなに可愛がっていた犬が交通事故で死んだのに、
助け起こしたりとかしなかったのは何故でしょう?
キム:あそこで犬が死ぬ訳ですが、
彼の人生があのシーンに出ていたような気がするんです。
彼は北で人を殺してしまい、人生をやり直したいと南にきた訳なんですが、
南に来て自分なりの道徳や純粋な気持ちを守りたいと思いながらも、
中々それが実現できないでいると言う事を例えて表現したかったので、
ああ言ったシーンにして見ました。
ですから犬が倒れてじっと見ているんですが、それはまるで自分の人生を、
振り返ってみていると言う意味を描いていた訳です。
自分の人生を振り返って反省して何かしたいんだけども何も出来ない。
救いたいけど手が差し伸べられないと言う事を表現しようとしました。
Q:チョン・スンチョルは実在の方だとおっしゃっていましたが、
スギョンはキリスト教を信じている善良な信者で有りながら、
ホステス差別をしていたり、非常に偽善的な所があり、
韓国の現実を描いているのかなと言う所もありましたが、
この女性は実在のモデルになった方がいらっしゃるのでしょうか?
ストーリーに必要だからと付け加えられたのでしょうか?
それに関連してキリスト教のシーンが出てきますが、
韓国の批判的なものと捉えられていらっしゃるのでしょうか?
キム:多くの方がこの映画を見てキリスト教に対してこれは批判的ですねと、
思う方が多いようですが、キリスト教を始め宗教の価値そのものは、
変わらないと思います。
ただ宗教を信じているんだけどもその通りには行かないというような、
思いになったり、不条理さをキリスト教を登場させる事によって、
その状況を描きたいと思いました。
そしてこの映画のヒロインのスギョンは私たちの姿と、
なんら変わらない人物だと思うんです。
私たちは何かを守る為に、何かを犠牲にしなくてはいけないと思うけれども、
果たして本当にそう言う事が出来るのか?
人は人を救う事が出来るのか?と言う事を、
このヒロインを設定する事によって描きたいと思いました。
Q:淡々とストーリーが続いて行く中で危険なアクションと言いますか、
危険なシーンが多かったと思います。
主人公を虐める2人組みに追いかけられて突然車の前に出たり。
あの飛び出すシーンは例えば交通整理をしたり、
運転手さんを専門の方にお願いしたり、
車を用意したりなど映画用に準備をしたのか?
余りにもリアルだったので怪我しなかったかと心配になったので。
キム:この作品は低予算で撮られた作品なんです。
制作費が無い中で撮っていましたので、アクションシーンでは、
身体に怪我しないようなプロテクターと言うものをつけたりするのですが、
そう言うものも全く無く、道路も撮影の為に止めると言う事も、
出来ませんでした。
普通の商業映画であれば計画を立ててそう言う事も出来るのですが、
今回はそれが叶いませんでしたので、信号無視して道路を勝手に、
渡ってしまって撮影した事も有りますし、殴り合いのシーンも、
本当に殴られていますし、そんな状況もたくさん有りましたので。
実はそれは裏を返せば脱北者の方が置かれている状況と、
変わらない気がします。
脱北者の方もそんな切実な現実の中でいろいろなものと衝突しながら、
生きていると言う現実がありますので、その点も強調できるかと思いました。
Q:脱北して、ギリギリの生活をしていて、生きて行けるけども救いが無い。
生きて行けるので少しは希望を持つ事も出来ます。
見る人の考えで変わって行くと私は思うのですが、
監督は人が生きてゆく為の希望と言うのは何だとお考えですか?
キム:先ずこの映画に登場する脱北者の姿は全体像とは、
捉え難いと思います。
この映画に出てくる脱北者の方たちの特徴が1つ有りまして、
それは北にいた時に農業に携わっていたり、観光の仕事をしていたり、
漁師だったり、第一次産業に携わっていた人たちが殆どなんです。
その人たちの様子が描かれていると思って戴ければ良いと思います。
その方達は北にいる時より、良い生活を期待して韓国に来た訳ですけども、
中々資本主義社会の中で生活していくと言うのは本当に大変な事です。
ですから彼らは北の階級がそのまま南に来ても、
ずっと続いている訳だったんです。
そう言う現実を私も知る事になってとても衝撃を受けました。
そう言った衝撃を受けた事もこの映画を撮ろうとしてきっかけに、
繋がって行く訳ですがこの映画を撮った後に、
脱北者に関するセミナーや講演会等で何度か話す機会が、
有ったんですけども、
一般の人たちの意識や認識が変わって欲しいなと思います。
脱北者の人数は凄く増えておりまして、
一年間に3000人以上の方が南に来ているんです。
ですからすでに今となっては脱北者の方々が特別な対象ではなくて、
私たちと同じような韓国人がたまたま故郷が北なだけで、
私たちの隣人なんだと思うようになれば、差別や偏見が無くなって、
希望が持てるのでは無いかと思います。
Q:ダウンジャケットがナイキのブルーのジャケットだったと思いますが、
ナイキと言う事に何か込められている事が有ったのか?
今監督が着ているポロシャツもナイキですが・・・(笑)。
何故このような質問をするのかといえば、私が大学の時に韓国に、
留学していた時に監督と同じように脱北者として知り合ったのではなくて、
その状況を知らない状態で知り合って、
後で友人が脱北者と言う事を知ったので、
そう言った立場で監督にお伺いしたいと思いました。
キム:脱北者の方が南に行きますと先ず洋服店に行って服を買うんですが、
そこで最初に選ぶ服は韓国で1970年代に流行していたような、
ファッション的な感覚がズレていますのでそう言った服を、
皆さん選ばれるんです。
まあ、認識が違うと言う事もあります。
そのような服を身にまとっていますと周りからあまり良くない反応が、
見られてしまって、そうなると本人達も段々変わって行くんですね。
いろいろなメーカーが有るんだと言う事で、ファッションと言う事も知り、
ドンドン変わって行きます。
むしろ変わって行ってから南の人よりもそう言った思考が強くなりますので、
なるべく自分を隠すようになりまして、ますますそう言ったメーカーや、
ファッションに目を向けるようになるんです。
良いメーカーの物を着たいという思いがどんどん高まっていきます。
そういった中で私は今回ナイキを選んだんですが、
勿論アディダスとか他のメーカーも皆さん好んで着ていますが、
資本主義社会の1つの象徴として、
今回はマクドナルドとナイキを選んでみました。