去る2月3日ソウルで幕を下ろした[ぼくに炎の戦車を]に身をのせるために、

韓国を訪れた香川照之に会った。

彼はチャ・スンウォン、草なぎ剛、広末涼子とともに舞台に上がった。

その舞台で香川照之はなぜ自身が‘日本の演技本左’と呼ばれるのか、

証明するとみられた。


- [ぼくに炎の戦車を]の韓国公演に参加した契機が気になる。

事実決めるまで色々な悩みがあった作品だ。

日本と韓国を行き来して公演するということは明らかに魅力的だったが、

群像劇ということが気にかかった。

色々な人物が登場して、多様な事件が広まっている演劇は、

話を導く求心点がなければ散漫になってしまうのが常なんだよ。

ハラハラした状態で出演を決心したが練習を進めながら、

作品に対する確信ができた。

-何に対する確信だったか?

鄭義信演出家の真正性を感じた。

在日同胞2世である彼が日本で韓国人として感じた、

困難と悩みを伝えて受けた。

[ぼくに炎の戦車を]は若者たちの愛と友情、文化の交流と継承に、

対する話だが、私には韓国と日本の間で悩む人物の葛藤が、

求心点で近づいた。

-今回の演劇で日帝強制占領期間韓国で、

ナイトクラブを運営する大村清彦を演技した。

韓国人と日本人の血が半々混ざった彼は幼い時期、

旅芸人の世話を受けて育った人物だ。

彼を演技するために悩みも多かったようだ。

‘当時の人々が感じた骨の中深い苦痛を出して、

中から引き出さなければならない’という考えだけだった。

これは作品に参加したすべての俳優が共通して考えた部分であろう。

観客が見るのに適当にしてしまったり、‘21世紀の俳優がにせ物で、

過去の人物を演技しているんだね’という考えがないように、

すべての俳優が練習にかかりきりになった。

[ぼくに炎の戦車を]は難しい時代、苦痛がいっぱいだった国で、

生きなければならなかった人々の話なので、

俳優は内面の悲しみまで悩んで演技するほかはなかった。

-人物に共感するのに難しい部分はなかったか?

特に困った部分はなかった。

大村清彦が難しいキャラクターであることは確実だ。

だが、私はとても単純に接近しようと思った。

キャラクターを緻密に分析しないで抽象的な状態で置いたまま、

そのまま受け入れることが本来の演技方式だ。

-そのような方式を守る理由があるか?

人物を細かく計算するよりは私の中にそのキャラクターを自由に放つほうだ。

俳優の考えが作品や演出者の考えと同じだろうという保障がないので、

キャラクターを過度に具体的で細かく追うほどかえって逆効果が、

出ることができる確率が高いと考える。

キャラクターを閉じ込める計算になってしまうためだ。

俳優が自身の不安感を取り払うために無理に計算的に演技する必要はない。

-長時間俳優生活をしながら体得したノウハウか?

そうだ。

私もやはり以前には作品やキャラクターという器に私を合わせようと努力した。

だが、今は無理に私を改造しないでそのままキャラクター自体を、

吸収してしまう。

演技をすればするほど習う努力より人生の経験、

すなわちどんな生活を送ってきたし、どんな人生を蓄積させたのか、

重要に思うようになる職業だと考える。

-映画とTVで主に活動するが演劇舞台にも休まないで上がっている。

特別な理由があるか?

演劇をするたびに観客がバカではないということを悟る。

少しでも乱れればすぐに客席の反応が変わるので一瞬も緊張を、

緩めることはできない。

映画は一度に全力を尽くせばそれだけだが演劇は幕が降りるその日まで、

毎回全力投球しなくてはいけない。

演劇は俳優にとって一種の修行のような意味がある。

-韓国俳優チャ・スンウォンと呼吸を合わせたが、

彼との作業はどんな経験だったか?

チャ・スンウォンがどんな人なのかほとんど分からない状態で会ったが、

声だけ聞いても彼がどれくらい深い内面を持っている人なのか、

知る事ができた。

直感的に忍苦の歳月を肯定的な姿勢で破って、

今の席に上がったようだという気がした。

ところで驚くべきことにチャ・スンウォンも私の声が、

普通の日本の人々と違うとし似た話をしたことがある。

私はそれが私たちの二人が似た人生を生きてきたという証拠だと考えて、

妙な同質感が感じられた。

例えば草なぎ剛と広末涼子がちょうど洗濯したきれいなシャツのように、

感じならば、チャ・スンウォンと私はかなり暗い古い家の洗濯紐に、

散在している古い服のような感じの俳優と考える。

一見荒く見えるが目つきだけはらんらんに生きているだろう。





-作品パンフレットに好きな韓国映画で、


ポン・ジュノ監督の[殺人の追憶](2003)、

リュ・スンワン監督の[拳が泣く](2005)、

イ・チャンドン監督の[密陽(ミリャン)](2007)等が言及されていたのに、

もし自身の映画の中で何編かだけ韓国観客に紹介するならば、

どんな作品を挙げたいか?

[如月ミッキー最高](2010)と[ゆれる](2006)だ。

[如月ミッキー最高]は世界の誰が見ても楽しむほどのユーモアがある作品で、

[ゆれる]は私が最も惜しむ作品だ。

[ゆれる]を置いて日本のある監督は、

“映画の教科書のような作品”

と絶賛することもした。

- [ゆれる]に個人的に愛着を持っている理由は何か?

[ゆれる]だけに生にそのまま人間の感情を表わすシナリオを見たことがない。

シナリオだけ見ても映画的に良い場面が出てくるという、

直感が入る作品があるが、[ゆれる]はそのような構図の場面だらけであった。

撮影当時の記憶もたくさん出る。

他の作品らと別に[ゆれる]はすべての場面が2~3テークでなされた。

俳優たちが演技し次第固く冷凍されてしまう。

‘より良い場面はないだろう’という気がするほど撮影に無駄がなかった。

それだけ俳優の呼吸も良かった。

私は作品に完全に抜けている状態だったが、

相手役で出てくるオダギリジョーの目も見たくないほど役割に没頭していた。

-どんな場面が最も記憶に残るか?

兄弟が拘置所のガラスの壁を間に置いて向かい合って座っている場面が、

特に好きだ。

互いに口数が少ないのにエネルギーがごうごう燃え上がる場面だ。

その他に兄弟の微妙な感情が交差する映画序盤の場面も好きだ。

-兄ミノル(香川照之)が弟タケル(オダギリジョー)をに背を向けたまま、

晴れて対話をする場面が思い出される。

そうだ。

劇序盤にミノルは温和でキメ細かい兄で描写されるが、

私はセリフにずっと悪意を入れて演技した。

その場面も私が本当に好きな場面だ。

-表と裏が違ったキャラクターを演技する時が多かった。

俳優として難しいことではないのか?

そのようなキャラクターに会うたびに私は最大限キャラクターを、

単純化させて縮小させる。

そのキャラクターの本性だけ残すことだ。

すると演技もはるかにたやすくなる。

本来複雑なのを単純に見せることは大変でも、

単純なのを複雑に表現することは容易だ。

例えば[ゆれる]の時は私はひたすらミノルが持っている悪意だけ考えた。

-フィルモグラフィーを見ればジャンルやキャラクターに対する偏見が、

全くないように見える。

作品を選ぶ特別な基準があるか?

ない。

できるだけ私に入ってきたことを断らなくしようとするほうだ。

-それでも断る作品はたいていどんな事なのか?

作品の内容と主題とは関係なく邪悪な気勢が感じられる映画は絶対しない。

反面連続殺人と同じ話を扱ってもきれいで透明な気勢の映画ならば無条件だ。

一種の直感なのによく合うほうだ。

私が断った映画は後ほど見ればスタッフと俳優までも、

悪い気勢の人々どうし集まっていたよ(笑)。

私が合ててみようか?

(キム・ユンソクがカバーを飾った[ムービーウィーク] 564号を示して)多分、

この俳優には絶対邪悪な作品が入らないだろう。

-キム・ユンソクに対して知っているか?

キム・ユンソクが出演した映画は見ることができなかったが[追撃者](2008)で、

ものすごい演技を見せたと理解している。

所で今見ると俳優キム・ユンソクとソン・ガンホが本当に非常に似ていた(笑)。

-ポン・ジュノ監督の[雪国列車]に出演提案を受けたが、

参加することができなかったと理解している。

[雪国列車]は純粋にスケジュールのために出演できなかった。

オムニバス映画[東京!](2008)の中で[揺れる東京]で共にした以後、

ポン・ジュノ監督の映画にもう一度出演したかったが惜しい心だ。




-シナリオでポン[雪国列車]の感じが気になる。

俳優としてあらゆる事を下ろさなければならないね。

したい程険しい撮影過程が予想される文だった。

反面の話はものすごかった。

私もやはりはやく映画で見たい。

-ほとんど休まないで作品活動に専念してきているが、原動力が何か?

作品に臨む心がけの外にはない。

私は健康のために運動もしないで、すごい食べ物を食べることもない。

事実体力管理は作品活動に入れば自然に解決されるようだ。

俳優として熱意だけあるならば問題になることでない。

◆名不虚伝の演技

圧倒的だった。
香川照之の演技が立派でなかったことはいつもない。
カーテンがない舞台で彼を直接向き合った感想は確かに違った。
その大きい舞台で彼は鳥肌が立つほど没頭していた。
自身が引き受けたキャラクター大村清彦の歴史が自身のことと、
驚くべきであるように似ていているためなのかも分からない。

日本の歌舞伎の名門の家柄で生まれた香川照之は家業を受け継がないで、
映画俳優の道を選んだ。
理由は有名歌舞伎俳優であるお父さん、
藤間紫と猿之助に対する憎しみのためだ。
お父さんは彼が生まれるやいなや彼と彼のお母さんのそばを離れた。

[ぼくに炎の戦車を]の大村という典型的な日本下層民出身で、
朝鮮で酒場を運営して朝鮮人の血を吸い込む冷血一だ。
日本の妻子を捨てて一人ぼっちで朝鮮にきたし、
現在の夫人(広末涼子)にも特別な愛情がない。
だが、彼の隠された理由がこのドラマの核心だ。
劇序盤にだけしても気難しいびっこに過ぎなかった大村清彦と言う、
香川照之の節制されて老練な演技を通して多層的なキャラクターに、
次第に変貌する。

いつのまにか観客の視線は大村の動きを忙しく追うことになって、
彼とともに痛烈に痛く感じることになる。
大村が自身を憎悪する息子の前で過ぎ去った過去を打ち明ける、
2幕後半部では完全に舞台と観客が渾然一体になったようだ。
涙鼻水まぜこぜになったまま震えている彼の顔を見る、
観客の心もまたしびれた。

香川照之はカーテンコールの瞬間まで片方の足を引きずる清彦で登場した。
顔には激昂した気勢がまだ冷めやらなくなっていた。
俳優の人生と舞台、そして観客が一つで重ねられて、
どんな神聖な儀式を行ったような顔だった。
彼は昨年、お父さんを許して45才の年齢に歌舞伎俳優としてデビューした。