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俳優キム・レウォン(32)が見せる二番目虚勢だ。
2003年夏を強打したMBCドラマ'屋根裏部屋猫'以後久しぶりに、
ふてぶてしいキム・レウォンに会った。
やはり憎らしくてできなかったがどうなったことかミプサンが違う。
"クソ~"小言一度に意地悪出た心が雪が解けるように無くなる。
気さくな微笑みを見ていようとすればキム・レウォンの表虚勢も、
誘ってみるに値する。
寒い冬、胸深くぬくみを吹き込むヒーリング映画'マイ リトル ヒーロー'
(キム・ソンフン監督、チョイスカット ピクチョス製作)。
キム・レウォンは上位1%を持つ三流音楽監督ユ・イルハンを演技した。
平坦な容貌を固く信じてブロードウェー入城を夢見るが思ったより、
たやすくいかない。
ところでホラとは違うようだ。
'スーパースターK'の毒舌家イ・スンチョルも、
"合格差し上げますね"
という程訓練の実力が相当する。
突然気がかりだ。
果たして朝鮮の王を捉えたことだろうか?
コンディション乱調で苦しがったキム・レウォン。
風邪疲労に歯痛までより増してみすぼらしい姿が話にならなかった。
映画広報のため続けて進行されたインタビューがぞっとするように、
苦しかったが最後まで最善を尽くそうとした。
気勢に取ってきつくなった目をこすりながら'リトル ヒーロー'の呼吸をならべた。
その時始めて顔に表情が明るくなる。
キム・レウォンに名薬はチ・テハンだった。
◆ 'マイ リトル ヒーロー'必ず見てほしいという話は…。
スクリーン復帰は久しぶりだ。
軍除隊後SBSドラマ'天日の約束'で派手なカムバックを知らせたが、
映画は2009年'仁寺洞(インサドン)スキャンダル'(パク・ヒゴン監督)が、
最後だった。
28才のキム・レウォンがいつのまにか32才になった。
せいぜい5年の歳月が流れたがなんだか感じ自体が変わった。
男の香りが濃かった。
キム・レウォンやはりそうなんだ。
20代と30代は確かに違うと。
40代が聞けば激しく怒る声か分からないけれど、
確かにもう少し成熟したという彼だ。
そうでなくても物静かなこの男、
より一層物静かになると身を置くところを分からない。
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'ひまわり'(06,カン・ソクポム監督)の'狂った犬'オ・テシクが20代の、
キム・レウォンだったら'マイ リトル ヒーロー'の少年、
30代のキム・レウォンと非常に似ていていた。
考えてみると、強靭で素敵なキャラクターが好きだったキム・レウォンだが、
30代になると力をちょっと抜きたかったのかも分からない。
キム・レウォンの人生はマラソンと同じだ。
序盤前だけ見て疾走したとすれば中盤である今ペースをよく維持すること。
そのためか確かに'興行'に対する欲自体がなかった。
ひとまず'マイ リトル ヒーロー'は自身の映画ではないというのが彼の考えだ。
この前SBS 'ヒルリンケムプ、うれしくないのか'(以下'ヒルリンケムプ')で、
見せてくれたセルフ石直球を加減なしで見せるキム・レウォンだ。
"私の派手な姿を見せる映画は違います。
それで'私の映画です。
必ず見て下さい'と言いたくないです。
そのまま自然の当然な道理に合うように観客の選択を見守りたいです。
私が欲張って変わるべきことはないです。"
◆演技は練習する瞬間滅びる。
子役俳優と演技をしてみたかったキム・レウォンはデビュー以来初めて、
子役らと呼吸を合わせた。
知るべき人は皆知るだろうが子役俳優と演技はそんなに容易でなかったこと。
それでもキム・レウォンは子供たちと撮影が楽しいだけしたという。
ところで気楽なだけしたキム・レウォンとチ・テハンの間もやはり序盤には、
屈曲があったという点。
彼は、
"子供たちが優しくて良く従ってきて気楽だったし難しくなかった。
ところで初めには合わない部分もあった。
(チ)テハンが同じ場合は初めてする演技と勉強を、
とてもたくさんしてきたのが問題であった。
出てきて気楽に話をするようにセリフを分けるべきなのに覚えた、
そのまま固いだけだった。
テハンと同じ思いをするのに多くの力を注いだ"
と話した。
引き続き彼は、
"テハンが多文化家庭だと見るとどうしてもそちら側で焦点が合わされるようだ。
そのままテハンと私の呼吸だけついてきてくれたら良いだろう。
多文化家庭を浮び上がろうとする映画ではない。
もちろん素材の一部分で使ったことは合うが私たちが話したいのは違う。
多文化家庭より一人の男が自身の夢を他の人のために犠牲にしたし、
それで大きい幸福を感じるということを分かってくれたら良いだろう。
多文化の話が全部ではない"
と説明した。
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一緒に本当に苦労は子役俳優と呼吸でないブロードウェー撮影だと、
付け加えた。
映画後半唯一漢方医エピソードが入れられた部分で、
実際の米国ロケ撮影に進行された。
"タイムスクエアの前で撮影しましたよ。
本当に大変でした。
ユ・イルハンが紙対韓を通じてヒーリングをする場面でしょう。
感情を没頭して演技をするべきなのに容易ではなかったんですよ。
その場面から出た人々は全部観光客です。
統制しないでそのままカメラを回したことでしょう。
学校映画部サークルで作る気持ちまで聞きましたよ。
環境的に大変だった状況であったのに思ったよりよく出てきて幸運です。"
◆私に対する偏見とデマ、良い作品で破りたい。
他の見方をすれば唯一漢菓キム・レウォンは本当に多く似ていた。
平坦に見える外見と違い精神的苦労も多かったし、
次第屈曲あるところを歩いてきたこと。
一言で内心を分からない人だった。
ところで'ヒルリンケムプ'を通じて隠された中の皮をむいて出した。
ある外皮むけたキム・レウォンは思ったより'石直球'であった。
彼は、
"事実'ヒルリンケムプ'出て行く前まで石直球という話が、
何の話かわからなかった。
人々が'石直球~石直球~'するのにその時までしても野球席直球だけ、
考えてみたところでその意味に対して関心を持たなかった"
としてホ当たりの容貌を誇示した。
直接的に話すという意の直球を経験した瞬間は'ヒルリンケムプ'であった。
我を忘れて石直球を飛ばすイ・ギョンギュ先輩のために当惑もしたが、
すぐ平正を取り戻したというキム・レウォンだ。
その上カリスマと見えたイ・ギョンギュ先輩は思ったより、
全く恐ろしくなくておもしろかったという後日談。
'石直球'キム・レウォンに去る2011年暴行論議に対して用心深く訊ねたかった。
当時彼は事件がどうなろうがかんばしくない仕事を作った自身の行動に、
謝ったし話せない試練を体験しなければならなかった。
まだ大衆の誤解は完全に解けない状況、デマで心痛をしただろう。
キム・レウォンはいくつかの冷たい視線も黙々と受け入れていた。
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"事実私が'こうだ、あのようだ'に出たくありません。
認める部分は認めて反省するのが私の真の姿でしょう。
もちろん私に対してまだ偏見と話にもならないデマを作る方たちもいるが、
気を遣わないようにします。
私でなければ違ったことで私を愛する人々もそのような私の姿に対して、
認められるからです。
このように話をしながらまた再び反省になりますね。
良い作品で良い姿を見せるのが私の道理だと考えます。
そうならばいつかは凝りが解けられるんです。"