チョン・ジヨン監督の[南営洞(ナミョンドン)1985]が、
17回釜山(プサン)国際映画祭で初めて顔見せした。
映画は故キム・グンテ前民主統合常任顧問が全身で編み出した、
胸が痛い暴力の時代を暴く。
実際をほうふつさせる程の顧問場面だけで話題になったことでないという話だ。 反応が尋常でない。
▲ キム・デスン監督
映画を見てチョン・ジヨン監督が非常に偉かったし、一方でうらやましかった。
チョン・ジヨン監督は自身の哲学と明確な目標を具体化して、
本当に実現に移した。
誰もができないことだ。
映画は演出がより一層円熟して、無駄が一つもない感じだ。
特別な技巧なしで淡泊にさせたが、努めない態度がかえって観客を泣かす。
キム・ジョンテ(パク・ウォンサン)が対共分室に縛られたまま、
海辺の歓迎を見て少しの間だけでも平凡な人生を夢見る、
短いファンタジー場面で私やはり感情が移入されてたくさん泣いた。
[南営洞(ナミョンドン)1985]の決定的ある部屋は私からだが満身瘡痍なって、
めちゃめちゃになっているが自身が密告した人々を心配している、
キム・ジョンテを見せる場面だ。
思いのままに痛く感じることもできない、自由でない時代に対する、
チョン・ジヨン監督の憐憫幼い視線が画面そのまま伝えられる感じだ。
▲ イ・ジュンイク監督
過ぎ去った時代とその傷を話す[南営洞(ナミョンドン)1985]は、
あたかも痛い傷であるほど避けずに正面から眺めろと話す映画だ。
政治的話題と関係がなく映画が持っている痛い時代に対する態度が良かった。
この映画を政治的道具で活用するのは正しくないと考える。
それだけ映画的にも十分に価値ある作品だ。
俳優の水準高い演技も映画に重さを加える。
パク・ウォンサンの切なる演技だけでなくミョン・ゲナム、イ・ギョンヨンの、
演技は普通の商業映画では簡単に接し難い良い演技であった。
俳優全員単純にキャラクターに接近することで終わらないで、
映画全体を考慮した演技をするようで感動が大きい。
キャラクターが俳優で見られなくて完全にその当事者と見える程立派だ。
▲ クォン・チルイン監督
過去をどのように見るかを問い、なのでその痛みをどのように克服して、
▲ チャン・リュル監督
良かった。
演出と美粧傾向は話と区分して説明することが無意味に感じられるほどだ。
ひとまず見る前には暗い設定と話のために不便だと思ったが、
取越苦労であった。
[南営洞(ナミョンドン)1985]はついに観客を、
わあわあ泣くようにさせる力がある。
劇場で声を出して泣く観客を久しぶりに見ることができた。
観客として劇場で感じる最高の価値が感動と笑いならば大きく泣くことは、
やはり彼と重さが似ているだろう。
1985年当時韓国にいなかった私としては事実直接的に、
経験してみることができない歴史の話だ。
だがよく分からない人も十分に疎通することができるはずだ。
拷問場面が映画のほとんど全部なのに劇場の外を出ながら、
暖かい映画という感じがして気持ちが妙だった。
▲ チョン・チャンイル釜山(プサン)国際映画祭プログラマー
[南営洞(ナミョンドン)1985]は残酷だ。
▲ ペク・ジョンヒョン記者
110分間捕縛された気持ちだった。
▲ ホ・ナムン客員記者
[南営洞(ナミョンドン)1985]は情緒的でも肉体的でも耐えるのが難しい映画だ。