誰がリュ・スンボム(33)に悪童のイメージを付与したのだろうか。

彼は鋭敏なアーティスト、狂的なDJ、やむを得ずおとなになったピーターパン、

女優を照れる残ろうだった。

無理に大衆に親切なために努力しなくてもなじむように感じられる、

知恵があるリュ・スンボムは、

“それでも映画俳優の幻想(illusion)を維持したい”

と話した。

リュ・スンボムと女性監督の映画作業は‘ワイキキ ブラザーズ’

(監督イム・スンレ)以後‘容疑者X’(監督パン・ウンジン)が初めてだ。

そうです。

二回の作業を通じて女性映画関係者が私に感じるイメージが、

大衆的視線とかなり異なるということを感じた。

どのように違っているか。

女たちは繊細だ。

そのような見解で私を観察する。

私は主に外向的なキャラクターを演技したが、

かばいたい保護本能を起こすという話を聞いた。

幼かった時から俳優で仕事をするからであるようだ。

外部の人が話す私は‘飼い慣らされなかった野生’これだ。

男女を離れて飼い慣らしたい気がするのではないだろうか(笑)。

放生を願うものなのか、

でなければ拘束されるように願うということなのか(笑)。

私はいつも紛らわしい。

自ら私に対して定義し難い。

鋭敏で自分の葛藤が多い性格だ。

ある友人は‘君はエゴイストに近い’と評価を下した。

出た自己検閲を激しくして均衡を失って崩れたりもする。

今はそれがすぐに私だと認めてしまった状況だ。

確実に否定したくもない。

現実と妥協したものか。

どのように現実と妥協できないことがあるか。

悲しいことだが対抗して結局私が負けるということを知る。

私たちの社会はすべての個性を100%尊重する所でない。

おとなになったという言い訳で私の個性を押さなければならない雰囲気だ。

私はロックスターの魂を指向した人だ。(笑)

慣習、抑圧を殴って壊すべきなのに未来を考えることになって容器を失う。

結局妥協点を探すことになる。

‘容疑者X’は天才の男が高等学校数学先生で生きていくことか。

劇中彼が黒板に書いている数学公式は現実との妥協のように見えた。

ところでその場面で私が衝撃を受けたことは他の地点だ。

私が黒板に使ったその数学公式を現在の高校生が、

実際に習っている事にびっくりした。

高校生がこういうのをするという話なの?(笑)

だがリュ・スンボムはその数式を本当に愛するように見えた。

彼に興奮症があるならばかえって愛する女(イ・ヨウォン)のようだった。

事実出た女優興奮症がある。

‘あの人は女優’で認知する瞬間私は自然でない。

それでも数ある中でよく合う人がいるのだがイ・ヨウォンがそうした。

イ・ヨウォンは同い年で性格も気さくで率直で相手を気楽にさせる。

女優でなく同僚という感じを受けた。

作業中の時では鋭敏になるのにイ・ヨウォンと呼吸を合わせる時は、

とても気楽だった。


女優コン・ヒョジンと永らく芸能界代表恋人だったリュ・スンボムが、

‘女優興奮症’だなんて驚くべきだ。

このように本人の私生活に対する大衆的関心に対してはどう思うか。

別に関心がない。

率直に誰か私に関心を持つことが不便だ。

映画俳優というのは若干の幻想がなければならないのに私生活、

個人史などに対するショービジネスが芸能人の義務中一部門で、

成っていくことが残念だ。

ところが大衆は私に対して何と話すのかは関係ないと考える。

リュ・スンボムが映画俳優に対して持っている幻想は何か.

最近知人と登山に行ったが登山客中1人が私を、

‘映画俳優リュ・スンボム’だと話したよ。

わけもなく満たされた。

演技者、タレントのほか映画俳優という声を聞くのが夢だった。

過去映画俳優は映画館に行ってスクリーンに通じて会う存在で、

これが私が持っている映画俳優のイメージであった。

だが大衆媒体が活性化しながら一種の神秘感が消えるようだ。

残念なことだと考える。

それで芸能プログラムでリュ・スンボムに会うのが難しいことであろうか。

分野が違うと考える。

芸能のための才能が私にはない。

芸能で飛んでいった放送人が映画撮影現場にカメオでくれば、

実力発揮が正しく知るようになるようだ。

グラウンドが違うものだ。

芸能をファンサービスだと考える人もいるが、

サッカー選手がファンたちのために野球場でバットを振り回すことが、

果たして正しくなされたファンサービスであろうか。

ファンたちが映画俳優に望むサービスは良い演技だ。

俳優には自分だけの領域が明確にある。

私が芸能プログラムに現れれば私も大変で共にする人々も不便に思う。

TVの中の私の姿にうれしがる視聴者もいないようだ。(笑)

それならリュ・スンボムのティジェイン(DJing)は。

私も他の人々も楽しむことができるティジェイン、

いや私が広げる自然なファンサービスではないだろうか。

DJになった私は無我の状況だ。

映画現場で出る絶えず計算して自ら統制する。

だがクラブのドアを開けて入る瞬間、私は武装解除だ。

ティジェインは私自身にあたえる贈り物でありカタルシスだ。

フランス、パリのあるクラブでリュ・スンボムのティジェイン現場に接したが、

観客全員うれしがったよ。

撮影がない時、パリにしばしば行く。

ティジェインを共にするチームもある。

私自身のための贈り物中のまた一つは旅行だ。

私の職業の良い点は時間をあけて時間を計画的に使えるという点だ。

私の友人はほとんどの会社員なのに時間がなくて旅行も行けないといったよ。

仕事をする程楽しむ時間もなくてはならないのに残念だ。

それで私の職業に感謝することになる(笑)。

リュ・スンボムの次期作は兄であるリュ・スンワン監督が、

メガホンを取る‘ベルリン’になるか。

そうだ。

ハン・ソッキュ、ハ・ジョンウ、チョン・ジヒョンなどと共に呼吸を合わせる。

リュ・スンワン監督と共同作業をすれば兄としてギャランティーを、

さらに用意することはないか(笑)。

兄がそのようにすれば良いが出演料の部分は事実兄の領域でない。

それでも弟にそのようにしてあげたい心はあるんじゃないだろうか(笑)。