30代以上韓国人が記憶する生涯初めてのコーヒー味というのは、

恐らく‘袋コーヒー’あるいは‘喫茶店コーヒー’の甘さであろう。

理想的な割合で混合したインスタントコーヒーと粉末クリーム、砂糖が表わした味だ。

幼い時期にはご両親目を避けてお客さんコーヒー杯に残ったコーヒーを、

ごくりと飲んで‘おとなだけ味わうことができるという禁断の味がこういうものだな’

吟味したところだ。

そうするうちに20代始めに‘ブラックコーヒー’に食欲を飼い慣らして、

‘これこそがおとなが飲む飲み物’と考えたところだ。

30代以下ならば初めてのデートや初恋の思い出が喫茶店やカフェでない、

‘コーヒー専門店’の‘原豆コーヒー’に溶け込んだかも知れない。

1990年代初期大学街を中心に雨後の筍を生じたコーヒー専門店は、

コーヒーが原豆を抜いて飲む透明でほのかな色の茶という事実を、

新しく悟ってくれた。

コーヒー種類はマキシムとマクスウェルでなく、

へーゼルナットとブルーマウンテンなどに分かれるという事実を知らせてくれたのも、

1990年代コーヒー専門店だった。

2000年代に入りコーヒーを囲んだ風景がもう一度変わった。

原豆コーヒーという話より‘エスプレッソ’、‘アメリカーノ’、‘カフェモカ’、‘カフェラテ’

同じ単語をはるかにしばしば聞いた。

米国、シアトルで始まった多国籍コーヒー専門店ブランドはコーヒーが、

ティーテーブルの前に優雅に座ってどことなく奥ゆかしい湯飲み茶碗を、

支えることにのせてしまう飲み物でなく、‘テークアウト’の紙コップに入れて、

道路で楽しむ飲むという新しい文化を全世界に伝播した。

人々は‘スモール’、‘トール’、‘レギュラー’、‘ラージ’、‘グランデ’等の表現を、

日常的に使ったし、食堂で売るラーメン一杯より2~3倍高い価格のために、

‘味噌女’論議を産むこともした。




朝鮮最初のコーヒー愛好家。

何年か前からは加圧抽出方式のエスプレッソの代わりに、

ハンド ドリップコーヒーがまた流行し始めた。

去る30年余りの間コーヒーが作り出す風景と文化的意味は、

本当にたくさん変わった。

それでは100年余り前、朝鮮にコーヒーが初めて入ってきた時は、

どうだったのだろうか。

映画‘カビ’は朝鮮最初の‘コーヒー愛好家’で知らされた高宗(コジョン)を、

歴史と虚構の間の開かれた想像力空間に呼び出した。

実際文献で確認された史実はこうだ。

高宗(コジョン)が明成(ミョンソン)王后殺害事件以後日本と親日派から、

身辺の威嚇を感じてロシア公使館に避けて身を守ったが(1896年俄館播遷)、

そちらで初めてコーヒーに接した。

1年間コーヒーを飲んでコーヒー愛好家になった高宗(コジョン)は、

徳寿宮(トクスグン)に帰ってきた後にもその味を忘れることができなくて、

‘情官憲’を作って茶菓とともにコーヒーを楽しんだ。

また、俄館播遷を主導したロシア高次ペベルの処刑のドイツ系女性、

アントニエトゥ・チョンタク(韓国名シュタク)が高宗(コジョン)から韓国式家屋一戸を、

貰ってホテルで運営したし、そちらにあったチョンドンクラブは、

韓国最初の喫茶店で記録された。

高宗はコーヒーのために毒殺される所だったと言う噂も記録に伝えられる。

俄館播遷当時ロシア通訳官で派閥勢力を享受したキム・ホンシクが、

高宗(コジョン)還宮後チルロパの没落と共に官職から追い出されると、

すぐに恨みを抱いて高宗(コジョン)が飲むコーヒーに毒を入れて、

他殺害しようとしたということだ。

このようないくつかの情報を土台に仮想の人物を加えて想像力を加えた小説が、

キム・タクァンの‘露西亜の雨’であり、これを映画化した作品が‘カビ’だ。

‘カビ’はコーヒーを音此限漢字語で、嘉俳とも書く。

コーヒーが伝来した草創期には西洋のスープという意で‘ヤンタングク’とも呼んだ。

高宗(コジョン)(パク・ヒスン)と共に映画の主人公になったイ・リッチ(チュ・ジンモ)と、

ターニャ(キム・ソヨン)は仮想の人物だ。

ターニャは朝鮮とロシアを行き来して活動した歴官の娘で、

列強が角逐を行って暗闘と陰謀が絶えない紛らわしい情勢の中で、

幼い時期お父さんを失った。


お父さんが寃罪をこうむって逆賊の濡れ衣を着せて死に追い込んだので、

そっくり大事に保管したターニャに祖国は何の意味がない。

イ・リッチはターニャのお父さんのお使いで薬湯器にコーヒーを、

沸かして捧げたりした。

“私の娘を守ってくれ”

という主人の遺言を聞いてターニャに一生愛を捧げることに決心する。

ロシアを飛び交って詐欺と窃盗、強盗などで生きていったイ・リッチとターニャに、

ある日日本を背負った朝鮮界日本人サダコ(ユジン)の魔手が伸びる。

サダコの陰謀でターニャとイ・リッチは朝鮮に入ってきて、

バリースターで偽装したターニャが持って生まれた美貌と、

堪能なロシア語のおかげでロシア高次、チルロ勢力の目に入って、

高宗(コジョン)のそばでコーヒーをおろす任務を引き受ける。

一方日本軍の制服を着たイ・リッチはターニャを秘密諜報網で利用して、

日本の対ロ(ロシア)情報活動と対朝鮮戦略の核心メンバーで活動する。

ターニャはロシアと日本の二重スパイになったわけだ。


“カビの苦味がかえって甘い”







ところがターニャは、

心境の変化を起こす。

コーヒーを下ろしてそばで見守った、

高宗(コジョン)の孤独と信念、

人間的風貌に陥ったのだ。

結局タニャとイ・リッチの関係が、

破局に突き進んで朝鮮と日本、

ロシアもやはり時々刻々と、

台風のうず巻きの中に突進する。

その中で高宗(コジョン)は、

‘帝国の野心’を表わして、

ターニャという朝鮮王を殺害する、

‘毒杯’にコーヒーを、

おろさなければならない運命に、

処する。

ターニャに対する愛が前夫人、

イ・リッチにコーヒーはきつい。

イ・リッチの純情と高宗(コジョン)に対する恋慕の情の間で揺れるターニャにコーヒーは麻薬よりきびしい覚醒と幻覚、

苦痛と喜びの飲み物だ。

高宗(コジョン)には孤独と自己恥辱感、恥の中でも絶えず‘帝国の夢’を、

見るようにする恥辱と野心の混合物がすぐにコーヒーだ。

高宗(コジョン)がターニャに話す。

“出るカビの苦味が良い。

王になってから何を食べても苦味が出た。

しかしガビの苦味はかえって甘く感じられるんだな。”

‘接続’、‘ファン・ジニ’を作ったチャン・ユンヒョン監督がターニャーのメロドラマに、

高宗(コジョン)に対する人間的憐憫と高宗(コジョン)の愛国・愛民主義的風貌を、

加えた。

ロシア公使館内コーヒー室や高宗(コジョン)の執務室、

原野を走る蒸気機関車など当時時代的風景を見せる空間と登場人物の性格を、

明澄に表わす華麗でどことなく奥ゆかしい衣装は大きい見どころだ。

アクションとロマンス、諜報スリラーをよく混ぜておいた演出の手並みや、

破格的でなくて親切なストーリー展開は長所だ。

ただし全体的に‘一発’が不足する方だ。

劇構成が十分に予想可能な点、エロチシズムと歴史に対する新しい解釈が、

欠乏した点が惜しい。

明らかなことは映画をみな見た後コーヒーが非常に飲みたくなるという点だ。