ハ・ジョンウがプロ野球マネジャーゲームが好きだという事実を、
彼が直接書いた本で読んで、<マネーボール>をおもしろく見たという、
所感を聞いて、それとなく笑ったことがある。
彼は周辺の人々にニックネームを付けて似合うヘアースタイルを、
選んでもらうのを楽しむ表情だ。
‘FCハ・ジョンウ’を結成して気の合う後輩らとサッカーを、
するかと思えば、今年みた映画中の最高の演技を選んで、
‘ハ・ジョンウ アワード’を授けてくれという記者の過ぎ行く冗談に、
真剣に目を輝かせて熱心に記憶をざっと見る。
自ら規則のシステムを発明して、ある空間を垣根打って、
好みに合うように整えて経営する作業ぐらいハ・ジョンウの興味を、
かきたてることはないように見える。
インタビューのために移ったハ・ジョンウの行き付けの酒屋も、
彼の‘領域’中一つであった。
四方の壁と文がハ・ジョンウが描いた壁画と直接撮った写真で、
覆いかぶさっていた。
奥の席に向かい合って座るとすぐに彼がこぢんまりした壁ランプを、
いじりまわした。
“昨日トッポッキを食べに来て帰って甘かったです。
このテーブルにしばしば座るのにいつも暗いと感じましたよ。
はるかにこぢんまりされました。”
彼が選んだメニューはマッコリ。
<素敵な一日>で彼が演技した失業者ビョンウンが、
スペイン、マドリードに、
“コリアン トラディショナル ハイクオリティーライス ワイン”
で伝播して大ヒットすると大声をぱんぱんと打った以後、
好んで飲むことになったといった。
-2009年<国家代表>に先立ち封切りしたキム・ヨンナム監督の、
韓国・日本合作映画<ボート>は<2番目の愛>に続き他の母国語を使う、
俳優と公演した場合ですが、この作品が残したことは何ですか。
=1度は日本映画製作システム経験、2度は妻夫木聡という俳優です。
日本映画界は時間約束に厳しくて製作部が非常に有能です。
反面さらに非常に悩んで作る環境は劣悪だという印象でした。
日本ではどんな演技が良い演技と評価されるのかもぼんやり感じました。
韓国より親切で劇的な演技を要求する、ふるまうようだったし、
俳優らをオブジェで使う傾向が強かったです。
リハーサルを10回ずつするのを見て私は拒否しました。
韓国映画とは違い俳優とスタッフのきずながあまりないのに私が韓国側スタッフと、
親しく過ごすことを見て目あたらしくも思ったのです。
聡氏は私を見に2泊3日ソウルに訪ねてきたりもしました。
根も葉もない話を交わして毎日楽しく酒を飲みましたよ (笑)。
韓国で映画を作りたいという言葉を何度もしました。
-<国家代表>に臨みながら大衆的認知度をアップするという、
明らかな目標を念頭に置いていたもので記憶します。
=用心深い部分だがシナリオを読んで空港場面で強く、
一度のかっとする事があったし、スキージャンプという新しい見どころがあったので、
興行になるという予想をしました。
本来私の好みもおもしろい映画を好んでいるよ。
演劇で演技を始めたが似た理由で演劇を観覧する時は、
少し退屈さを感じる時があります。
-演劇は物理的には俳優が目の前に存在するからさらに、
直接的な体験であってこそするのに実際には反対に感じられる時があります。
火が消えれば映画俳優と私の間には何もない一対一接触のようだが、
演劇はプロセニアム アーチが確かに客席と舞台を区分するからです。
俳優が観客を意識して観客の存在感が演技に含まれるという点も、
見る立場ではちょっと緊張になってよ。
=演技表現では本質的に差がないと見ます。
ただし俳優がポーズ(pause)を駆使する時とても個人的興味があらわれるから、
不便な瞬間があります。
1.5倍速にしても前月になると思うが演技者が感じて話して感じて話すテンポが、
気にかかる時があります。
しかし<依頼人>の法廷場面を撮って感じたようにその間私のからだが、
映画に最適化されたという不便な現実もあるでしょう。
-<国家代表>が明白な大衆映画なのでもう少し説明的な方式の、
演技をした面があるんですか。
=そうですね。
もう少し安全で気楽で親切に表現しましたよ。
TVドラマ演技スタイルに近かったということもできて。
-おっしゃった結末部場面、ご飯が帰国の道空港で記者とインタビューして、
目では生母を見る場面を見ながらドラマ的構図という印象を受けました。
その中にあるハ・ジョンウ氏がちょっと粗野だったんです。
そのシーンの演技を説明して下さい。
=イ・スンヨプ選手が北京オリンピック準決勝でツーラン ホームランを打って、
インタビューしたドキュメンタリーを見ました。
その間負担になった点をずっと話して突然胸が詰まって、
“ちょっと待って下さい”(イ・スンヨプ声模写)とアングルを避けて、
またインタビューを開始する姿がまるごと入れられました。
顔と目つきは見られないのに瞬間の震えがさっときましたよ。
<国家代表>の空港場面をそのように演技しようとしました。
感情があまりにも露骨だと見ると恥ずかしいそうで感情に絶対寄り添わないで、
ずっと目を隠して技術的にするつもりでした。
どのように各を回して動くのか綿々とみな計算しました。
なぜなら全て演技で感情は絶対信じないですね。
感情はきてくれればありがたいんですが、何で感情が来なければ来ないままに、
感情が来なくても表現するのが演技と考えます。
とにかくそれでお母さん役のイ・ヘスク先生、お父さん(キム・ヨンゴン俳優)は、
向い側のアングル撮影とリアクション、ロングショットをみな終えて、
先に行くようにしました。
それでロングショットでは私がずっと目を隠しています。
ところで俳優と残ってツーショットを撮るのにその日に限って神の贈り物を受けて、
シナリオ見る時きた感情がどしんと来てしまったのです。
神様、ありがとうございます。
現場が涙の海なりましたよ。
雰囲気を作るところに一見識があるキム・ヨンファ監督がモニターの前で、
涙声で話しながら(真似) 、
“オ、これちょっと見て。
兄は率直にOKだ。
さらに撮らないでもかまわなくて。
ところでどのように、ジョンウ、もう一度する?”
と言って (一座爆笑)。
私も何か行ってきたのでOKとボーナスもう一度!
叫んであるテークをさらに行きましたよ。
それでその日結局監督が帰宅した先輩らをまた呼んで横渓(フェンゲ)で、
全体会食を主催しました。
-会食を呼ぶ演技でしたね(笑)。
<国家代表>は同僚演技者らと学校映画課時期のように、
楽しんだ現場ではないか推察も行くんですが。
=主演俳優の責任感に対して悟ったともできます。
その責任感を必ず持たなければなければならないと思わないけれど、
リードする方式はみな違うからです。
私自身がそれでこそエネルギーを受けて責任感が良い方式で昇華される事もでき、
結果的に楽しくなり緩やかになった現場の雰囲気が私を助けることもできます。
一人で演技するということがそのように大変で退屈か分かりませんでした
-次の作品の<平行理論>にカメオ出演をしたし、
当時主演だったチ・ジニ俳優が今回の<ラブフィクション>で助け合いのように、
友情出演しました。
<うちの学校のET>、<私たちの生涯最高の瞬間>、<愛する、愛しない>等、
ハ・ジョンウ氏はこまかい作品スケジュール中にも友情出演が多いが、
交渉に応じる基準が何ですか。
<황해>ウイ エンディング クレジット。“映画を終えて一番ぴりっとした瞬間でした。 写すかですべてのやりがいを得ました。” |
=率直に申し上げれば今としてはもう一度悩む問題でもあります。
だが純粋な心の交流で共同作業した人と人の間の関係が大変重要だと、
考えるからそれによって私が‘消耗’なる事はないとみます。
消えるのでなく貴重な何が残るんです。
<平行理論>は参加する私も個人的名分があれば良いと考えて長いかつらを使って、
新しい容貌を試みてみたが終えて監督に科したと謝罪申し上げました。
-そして2010年12月末に<黄海>が封切りしましたよ。
演技をしていれば動物のイメージからキャラクター表現のヒントを得る場合が、
あるというお言葉をオ・ダルス俳優がしたことがあります。
<黄海>冒頭の“皆兵が回った”というナレーションのためなのか、
キム・クナムにはずっと病気にかかった犬の姿が重なりました。
=そのとおりですよ。
クナムがその晴れました。
このようにひかれてあんなに蹴られる町内雑種の犬の姿。
実際に開市場に行ってみたりもしたが何地獄のような風景でした。
-<黄海>の1、2部はクナムが一人で、
対策なしにそれこそ地面にからだをぶつけている場面が大多数です。
ソウル、ノンヒョンドンを尋ねて、訪ねてきたこの男には武器もなくて、
対策もなくてセリフもいりません。
それでも彼が今何を深く考えているのか瞬間毎明確になります。
個人的にはクナム一人でいる大きな課題が映画的に最も興味深いと、
考えました。
俳優にはどうだったのですか。
=一人で演技するということがそのように大変で退屈か分かりませんでした。
一人で演技するとテークをたくさん行くことはできなかったんですよ。
受け入れるところがないから骨を削る、私の肉を切り取って、
テークを繰り返す気がしました。
他の変数がないからテークを行けばますますより一層作為的な演技になると、
感じて大変でした。
-そして見ればハ・ジョンウ氏が挙げる映画の中で好む場面は、
本人の映画や他人の映画や概してツーショットですね。
=それで一人で演技をして見たらカメラ監督が見えてスタッフが見え始めました。
相手の俳優がいないから前でスタッフが動くのが視野に入ってきました。
それである時点以後ではお願いいたしてスタッフが私の前では氷でした。
ところで発見した事が一つあります。
カットをしてモニターしに行くのにあちらで駆け付けるAカメラ監督の感情が、
俳優のそれなのです。
私が上手にしたか?
押す事に及ぼさなかったか?
よく捉えたか?
フォーカスが出て行かなかったか?
ハンドヘルドを捉えた撮影技師の心も俳優のそれと似ているという事実を、
<黄海>を撮る時初めて分かりました。
-俳優のショットのサイズと動きを事前に認識すると明確にカメラは、
俳優の影響を受けるが、逆にカメラも俳優の影響を受けることができるか、
気になったが実際にそうですね。
=A、B、Cカメラまであった<黄海>の撮影は非常に大変な場合でしたよ。
300mm望遠レンズも使ってみて装備的に試みが多くて序盤に試行錯誤も、
多かったんです。
-<黄海>はクナム一人で導くアクションでない部分でもアングルが多様で、
細かく破って付けたロングテイクと同じ印象を受けました。
本来映画が時間を粉々に付けることではあるが<黄海>ではその極端を、
体験したということができますね。
ハ・ジョンウ氏が‘後遺症’を言及した作品は<黄海>が、
初めてだったようなのですが。
=ずっと11ヶ月を撮ったからです。
私が大変だった点は作品内的な問題でなくとても永くした人物に、
縛られていたという点でした。
ナ・ホンジン監督は追われる渦中にも俳優が話せば、
あらゆる事を止まって聞いてくださいます。
そのような配布があります。
それで自発的にエネルギーを私にします。
何かフェイクを使って俳優から無理に演技を引き出そうとする面がなくて良いです。
ただし私は退屈なことを一番嫌うが、同じひげと頭、同じ顔で1年を送ったので、
どれくらい他のものをしたかったと思った事です。
好奇心もこれ以上生まれなくて演技が習慣になったことと同じで(笑)。
映画でなく私の生活が退屈になったし、その反動で昨年に三作品を相次いで、
撮ることができたかもしれないです。
-<黄海>序盤に面街がクナムを示して、
“性質汚いがチンピラではなくていつも合って通うのに哀れに見えはしなくて”
と要約します。
それほどキャラクターを整理するセリフは演技にどんな影響を与えるんですか?
<ラブフィクション>にもそのような大きな課題があって。
=想像に役に立つ情報で参考事項であるだけそこに閉じ込められはしません。
-去るインタビューでクランクインの後数ヶ月がすぎて延辺に行った時、
すでにここで撮ったとすればはるかにクナムをよく表現できたようで、
惜しかったといいましたが。
=<黄海>はノンヒョンドン事件と最後の脱走までをみなとって釜山(プサン)で、
船上アクションとコンテナ アクションを撮影した後クナムが泣きながら、
山の中をさ迷う場面を聞慶(ムンギョン)で撮りました。
それから民宿で行ってそちらで進行される前半、後半場面を追い立てて、
撮影しました。
そこまでほとんど一人で機能的な演技をしたわけです。
12月16日にクランクインしたがキム・ユンソク兄は2月9日が、
初めての撮影だったからだよ。
だが、演技で時間的な順序の入り乱れるということ、
ジャンプはそんなに関係しません。
意識はしないとします。
どうせ<追撃者>も警察署から解放されてタバコを吸う場面が、
初めてのシーンであったし<犯罪との戦争>はヒョンベが賭博場に入る、
モンタージュ場面と理髪店で髭そりしてタバコを吸うシーンが初めての撮影でした。
<国家代表>はソン・ドンイル先輩と乗合車に乗って行く場面が、
初めての撮影であったし…。
(わだかまりなしに出演作らの初めての撮影シーンを羅列する。)