40代初めという年齢が信じられないほどどんな‘かすかさ’を持った西島秀俊。

彼は真剣だった。

謙そんとは違った領域の問題だ。

これは情熱だ。

この態度は仮装されたのも、熟練したのでもなかった。

それで少なくなく慌てたし、それだけ新鮮だった。

既に永い前から俳優であったこの男は相変らず‘俳優’を夢見ている。


-<カット>の監督とは何年か前の東京フィルメックス映画祭で初めて会った。

彼が映画を撮ろうといった時どんな気持ちだったか?

絶対いたずらや冗談ではなかった。

彼は本当に真剣な顔で、

“君は出てきて映画を撮る運命だ。

私は人を見れば臭いで知ることが出来る。

私たちは似た魂を持っている”

と話した。

-運命という単語まで出てきた。

率直にその時あなたはどう思ったか?

私はすでに監督の作品だけでなく彼の性格や人間性にも魅了されていた。

私も彼との縁を感知した。

この監督と共に作品をすることになるようだ。

それも魂を呼び込む作品を。

何度か見ても真っ青にならない映画だ。

-あなたは今まで節制された内密な演技をしてきた。
おおむねあなたの演技には一貫性があった。
だが、時には外的な変化が演技にかなり大きい影響を与えたりもする。
<カット>であなたの顔は暴力で次第にゆがむが、
そこでとても新しいエネルギーを感じた。

今回は演技パターンが完全に違った。
私は今までこのように演技してきた。
撮影現場には撮影チーム、照明チーム、俳優チームなど、
多様なスタッフがいる。
そこで映画は生まれる。
私もスタッフ中のひとりだけのことだ。
私は今まで準備してきた何かカメラの前で表現する方式でなく、
現場の空気に反応する形で演技してきた。
だが <カット> 現場では違った。
監督が話した。
“今度は君が提示してみて。
誰よりもこの映画に及ぼして人生を捧げてみて。
そして全てのものを捧げるというのが果たしてどんなものなのかを、
他の俳優らとスタッフに見せて。”
私は満身瘡痍になるべく合いながらもかえって殴る人々を圧倒しなければ、
ならなかった。
その程度のエネルギーがなかったら不可能だった映画だ。
監督は“あの子が及ぼしたことと違うの?”という声を聞いても良いから、
私に現場を掌握しろといった。

-それで結果的に自分の演技に満足するか?

非常に満足する。
こういう方式も良いことを知ることになった。
もちろん接近方式は作品により変わるべきだが。
もし機会がまたくるならばこのようにまたしてみたい。

-ある作品を撮る時俳優に最も大きい負担を与える場面がある。
今度は‘100度の殴打’場面が峠だったと思うのにどうだったか?

そのシークエンスは三日程度撮った。
率直にその時若干及ぼしていたのでどんな意が分からない、
充満することも感じた。
成就感とは違う。
‘こういうことでは本当に起きられないこととは違うの?’
したい危機の瞬間もあった。
髪の毛の先端からつま先まで緊張を解くことができないほど非常に大変だった。
毎日‘今日が無事に写った’と望んだ。

-<カット>は一時映画に及ぼした人ならば誰でも共感するほどの映画だ。
特に映画序盤部に修二が無声映画をねじって、
“風の音を一緒に感じてみなさい”
と話す場面が好きだ。
映画ファンとしてあなたはどんな場面が最も記憶に残るか?

全部良いがその中でも修二が自身のからだに映画の画面を照らして、
治癒を受けるような場面だ。
私は映写機から出るその光が良い。
可能な劇場で映画を見ようとする理由でもある。
誰でも大変な時劇場に隠れたかったことがあるのではないか?
そちらで映画を見ることだけでも治癒を受ける気持ちである時がある。

-<カット>では100編の映画リストが登場する。
あなたのリストとは大いに違っているか?



修二が‘こうした事は絶対映画でないのさ!’と考える映画の中に、

私が好む映画も多い。

私は好む作品の範囲がとても広いから。

B級ムービーも好む。

映画の中のリストはあくまでも修二のことだ。

監督が自身のこととも違うと話したよ。

-その中イ・チャンドン監督の <박하사탕>(1999)もあったのに。

私も好な作品だ。

ソル・キョングと必ず一緒に演技してみたい。

-その理由が何か?

今回徹底的に没頭して修二というキャラクターを作ったが、

ソル・キョングも多分そのようなスタイルの俳優であるようだ。

ジャンルに関係なく、一度一緒に演技してみたい。

-ひょっとして自分の顔がとてもハンサムで演技に邪魔になると、

考えたことはないか?(笑)

ウン? 私がハンサムだった?

私はそのように考えてみたことが一度もないが?

ある(どんな)人は <カット>ウを見て痩せたのが役割によく合ったといった。

だが、反対の役割ならば今すぐにでも肥らせることができる。

優しい役を担って良いイメージを積む時もあるが、悪役もいくらでもしたい。

俳優は外見にしばられてはいけないと考える。

実際に私はハンサムなこともなかったし!