‘マイウェイ’の一場面。

ノルマンディ上陸作戦当時連合軍に捕まった、

朝鮮人捕虜の写真

国内封切りに続き来る14日日本封切りを控えている国産大作映画、

‘マイウェイ’の素材になった写真一枚に対する、

気がかりな事が増幅されている。

2次世界大戦の転換点になったノルマンディ上陸作戦当時連合軍に、

発見されたドイツ軍招魂の時使う死者の衣服韓国人を入れた写真一枚から、

始まった映画の内容が果たしてどこまで実話なのか、

観客らの関心を集めていること。

映画は朝鮮人キム・ジュンシク(チャン・ドンゴン)と、

日本青年長谷川辰雄(オダギリジョー)が2次世界大戦の狂風の中で、

日本軍、ソ連軍、ドイツ軍三ヶ国の軍服を着替えて数奇な運命を、

分けることになるという内容を入れた。

映画開始前‘この話は実話を土台に脚色した’という案内文が登場するので、

観客は映画の中のジュンシクと辰雄のドラマチックな旅程が、

どこまで実話なのか気がかりなことを表わしている状況。


 



2次世界大戦当時ノルマンディ上陸作戦を中心に西ヨーロッパ戦線を扱った、

ハリウッド映画‘ライオン一等兵救うこと’の顧問であり、

やはり同じ素材を描いた‘バンド オブ ブラザーズ’の原作者の、

歴史学者スチーブン エムブロスの著書‘D-day’という本にはノルマンディの、

コリアンに対する写真と資料がのせられている。

その内容は次のようだ。

“この人は日本軍で徴集された。

1939年満州国頃紛争時ソ連軍に捕まって捕虜になって、

またドイツがソ連侵攻の時ドイツ軍捕虜になって大西洋防壁を建設するのに、

強制投入された。

そしてノルマンディ上陸作戦時また米軍の捕虜になった。

捕まった当時誰も彼が使う言語をわかることはできなかった。

彼は韓国人と明らかになったし米情報部に自身の数奇な運命に対して話した”

という文と共に1944年6月6日フランス、ノルマンディ、ユタ海岸で、

写された写真も載っている。

多様な歴史的資料らもこのような朝鮮出身兵士たちの、

数奇な理由を後押ししてくれる。

写真の中の人物を当時尋問した米国のロバート プルオ中尉は、

スチーブン エムブロスとのインタビューで、

“ノルマンディで発見された4名の朝鮮人は多分韓半島に帰っただろう。

そして1950年朝鮮戦争で米軍と共に戦ったり米軍に反対して、

戦った場合もあるだろう。

それが20世紀歴史の‘気まぐれ’と違うだろうか”という話を残すこともした。

オンラインでは彼の具体的な実名を取り上げ論じて

“米国に行った彼は現地女性と結婚して膝下に3人の子供を持って、

72才の年齢で死亡した”

という話も広がった。