皆がそうすることではないがドラマに出演した俳優が人気と演技力を、
認められればたいていスクリーンに進出する。
演劇やミュージカル舞台も似た現象が多い。
私たちがスクリーンで見るトップスター中の大多数がそういうてつを踏んだ。
スクリーンか舞台かブラウン管かの軽重をつこうというのではない。
単に撮影条件、特にドラマと映画は製作環境自体に違いが大きい。
そのために俳優は映画を好むようになっていて、
一度スクリーンに足をふんだ俳優は舞台やブラウン管に戻ることが珍しかった。
だが、このような流れが最近逆行している。
スクリーンに籍を置いた演技者がブラウン管で放送3社を行き来して、
猛威を振るっている。
チャ・スンウォンがmbc <최고의 사랑>で大韓民国を甘くさせたし、
kbs-2tv <브레인>ではシン・ハギュンとチョン・ジニョンがはえ縄漁業をしている。
特にシン・ハギュンは‘ハギュン病’という話を作りながら、
kbs演技大賞候補に上がった。
sbsには現在の最高の話題作 <뿌리깊은 나무>で共に俳優ハン・ソッキュがいる。
ハン・ソッキュの最後の放送ドラマは1995年放送されたmbc <ホテル>のこれだけだ。
何と16年ぶりにブラウン管への外出だ。
彼の帰還がうれしいのはハン・ソッキュは名実共に、
最高の俳優の中の一人のためだ。
特に1990年代忠武路(チュンムロ)はハン・ソッキュが牛耳ったといっても、
過言ではなかった。
<銀杏のベッド>(1996)、<緑色の魚>、<ナンバー3>、<接続>(1997)、
<8月のクリスマス>、<シュリ>(1998)、<縁をコメソムディン>(1999)まで、
当代最高の映画の中にハン・ソッキュが存在した。
それにもかかわらず、この頃は彼の名声が少し見送ったという感じを消せなかった。
特に10代で20代始めの年齢帯はハン・ソッキュが、
<8月のクリスマス>で見せた弱々しい愛を、
<緑色の魚>で見せたばたやの姿を、
<シュリ>で演技したアクションを思い出させるには時期的に無理がある。
それだけハン・ソッキュが2000年度に入り込んで、
これという興行作がなかったことも事実だ。
2002年<二重スパイ>を始め<緋文字>(2004)、<殴打誘発者など>(2006)、
<白夜行>(2009)等ハン・ソッキュの出演作は作品性と彼の演技を別に置いても、
興行が低調だった。
多様なジャンルで着実に良い姿を見せたにもかかわらず物理的に向き合う、
観客の数が減るということは結局俳優の知名度の退色につながるはずだ。
そのような意味で<根強い木>はハン・ソッキュに正しくなされた、
ターニングポイントになっている。
演技が本来から検証されたハン・ソッキュだ。
それにもかかわらず、新しい‘世宗(セジョン)’の姿を描く事で不安なことはあった。
先立って話した製作環境が蹴られる。
映画版で16年を転がり落ちてきた俳優がドラマの劣悪な環境に、
よく適応できるかだった。
その上世宗(セジョン)の幼い時期を演技したソン・チュンギが優れた演技で、
視聴者たちの精神をぐいっと取り除いた。
ややもするとベテラン ハン・ソッキュの登場がドラマの流れを、
破ることにもなるという憂慮まで産んだ。
だが、それは取越苦労でありハン・ソッキュに対する失礼であった。
慈しみ深い顔、その上声優出身であることを立証するやわらかい声は、
私たちの想像中にあった世宗(セジョン)それ自体であった。
それでも枠にはまった世宗(セジョン)を演技したのでもない。
ハン・ソッキュの演技力は <根強い木>の企画段階から言及された、
新しいキャラクターの髪の毛の先端からつま先まで満たしてあまりあることだった。
<根強い木> 製作報告会当時ハン・ソッキュは、
“その間の人々が想像できなかった世宗大王(セジョンデワン)のイメージを、
作り出したくてこの作品を選択した。”
と明らかにしたことがある。
ハン・ソッキュは自身の風を演技で完ぺきに表現した。
<根強い木>で世宗(セジョン)は数多い姿を持っている。
本来分かっていた星群の姿は勿論で、民に対する恐怖を吐露する時見せた狂気、
息子を失った時の悲しみ、ミルボンと臣下らをもてあそぶ策略家的容貌、
そして“ウラ質”をずっと投げる気さくさまで普段私たちが、
分からなかった姿を持っている。
こういう多様な姿を視聴者たちがそっくり感じるにはハン・ソッキュの演技が、
大きい力を発揮したし視聴者は、
“やはりハン・ソッキュ。”
としながら彼の名前を刻んだ。
もう <根強い木>は大詰めの幕を下ろした。
すでにハン・ソッキュはsbs演技大賞候補でその名前が上がっては下りている。
果たして <根強い木>はハン・ソッキュ本人にどんな意味になったのだろうか?
インタビューを求めて所感を聞いてみることもできるがその心は已往の事は、
sbs演技大賞受賞者が残す所感で聞きたい。
果たして何の話をするのか?
世宗(セジョン)で見せた慈しみ深く笑うのか、
でなければ目が新しく洗うように負けるようにしっとりとするように、
目がしらを濡らすのか、楽しい想像の中にすでにその時期が待たれる。