"日本に謝罪を受け取ることは政治家たちがする役割ではないでしょうか?

文化芸術家はかえって和解させる役割をするべきだと見ます。"

話題作'マイウェイ'(監督カン・チェギュ)の主人公チャン・ドンゴンが、

韓日両国の痛い過去を素材で扱った作品の主人公として現時点の、

韓日葛藤関係に対する考えを伝えた。

チャン・ドンゴンは15日午後ソウル、獎忠洞(チャンチュンドン)、

新羅ホテルで進行されたインタビューで映画の中の和解モードとは違い、

相変らず韓日両国間に微妙な葛藤関係が存在する状況に対して、

"もちろん私も韓国人なのでそれに対する明らかな考えがある。

韓国と日本の間に悲しい歴史が相変らず存在しているのに、

謝罪を受け取らなければならないのは明らかに政治家たちの役割だと見る。

エンターテイナーらや文化芸術家は戦いよりは義務や責任ではないが、

和解させる役割をしなければならなくするのではないかと思う"

と話した。

映画'マイウェイ'は2次世界大戦という巨大なうず巻きに投げられた韓国と日本の、

二人の青年が中国とソ連、ドイツを経てノルマンディに達する12,000Kmの、

終わらない戦争を体験して敵から友人に変貌していく過程を描いた作品。

映画は巨大な戦争のうず巻きの中で敵として関係を結ぶことになった韓日両国の、

青年が生と死を行き来する峠を体験して友情を成し遂げることになる人類愛を、

主題でしたが日帝強制占領期間に強制徴集された朝鮮兵士たちが、

日本軍によって自殺爆弾テロに動員されるなどの場面では韓日両国観客らに、

相反した反応を呼び起こすほどの場面が多数存在する。

特に日本最高のトップスターのオダギリジョーが劇序盤朝鮮人らを骨の中まで、

困らせる場面が何回も登場して日本観客の立場では、

不快に受け入れる余地が存在する。

"そのような面では韓国の観客に比べて日本の観客が柔軟なようです。

'2009ロースト メモリーズ'の時日本で封切りができなくなり得たが、

輸入会社側で全く問題がないといいましたよ。

'マイウェイ'も大きく障ってする地点はないと考えます。

劇序盤日本軍が悪行を犯したり支配者として加害をする部分が出てくるが、

それは日本人たちも歴史的に認める事実ですから。

理念やイデオロギーを強調した映画でなく人に対する話なので映画的におもしろく、

受け入れてくれることと見ます。"


映画'マイウェイ'はカン・チェギュ監督の前作'太極旗を翻して'以後7年ぶりに、

二人がまた意気投合した作品だ。

カン・チェギュ監督、チャン・ドンゴンは前に戦争映画はまたしないと公言したが、

300億という国内作品では驚異的な予算が投入された汎アジア プロジェクトの、

ために二人は疑わず間違いなくお互いの手を握った。

"カン監督がある日'ドンゴン、この作品出演しろ'とさっさと薦められなくて、

とても感動的なドキュメンタリーを見たとし'君も一度見るよ'として、

'ノルマンディのコリアン'というDVDをくれました。

その時まではカン監督が演出をするのか決定にならない状態でしたよ。

'監督がすれば私がしますね'と申し上げてしまったが後ほど本当に監督が、

演出を引き受けられたということにさっさと出演を決めましたよ。

'太極旗'以後戦争映画を再びできなくなり得たがシナリオもとても魅力的であったし、

何よりその人物で暮らしてみたい気がかりなことが大きかったです。"

チャン・ドンゴンが演技したキム・ジュンシクは第2のソン・キジョンを夢見る、

朝鮮のマラソンランナージュンシク役を担った。

ジュンシクは日帝の外圧によって日本軍で徴集されてノーモンある戦闘、

毒素戦闘、ノルマンディ戦闘など12,000kmの戦争旅程を体験しながらも、

マラソンに向かった一途のような夢を大事に保管したまま、平正を維持する人物だ。

幼い時期からマラソンという夢を共有して育つが悪縁でからまった、

長谷川辰雄(オダギリジョー)が戦争の中で極悪非道な戦争狂に変わって行くと、

すぐに憐憫を感じて温情を施す善人だ。

劇中ジュンシクが感情の変化なしで一途のような忍耐心と、

人類愛を広げるのに対して人物の性格が地味だという評が言論示唆を通じて、

映画に接した関係者たちの口で少しずつ流れ出ることに対して、

チャン・ドンゴンの立場は明らかだった。

"シナリオ草稿以前バージョンにはジュンシクがあたかもキム・イングォンと、

合わせておいたような人物でした。

ジュンシクが戦争の中で暴悪になりながら辰雄と似通っていく部分がありましたよ。

以後シナリオ バージョンでマラソンの話が加味されて'マイウェイ'という、

題名が決まりながらジュンシクは映画で中心を固く捉えなければならない、

キャラクターで固まったことでしょう。

俳優個人欲では見せることがさらに多ければ良いし変化する姿も、

演技したかったがジュンシクは周辺を変化させる人物という監督のお言葉に、

納得が行きました。

とても正しくて現実にないと思った人物だが価値ある役割でした。

どんな危機が迫っても一つ目標に向かっていく人物なのに監督が、

'マイウェイ'題名を定めたのもジュンシクのためといわれましたよ。"

映画'2009ロースト メモリズ'(2001)ですでに一度日本語のセリフで演技したし、

チェーン カイコー監督の'無極'(2005)では中国語演技をしたのに続き、

'ウォリオスウェイ'(2010)では英語演技を消化した。

特に'マイウェイ'では戦争派兵以前と朝鮮兵士の間のセリフを除いては、

大部分のセリフを日本語で消化しなければならなかった。

どこの誰より几帳面なカン・チェギュ監督の作品だったので日本語訓練を始め、

日本語のセリフ訓練が休む隙間なしで続いてオダギリジョーが舌を巻くほど、

完ぺきな日本語演技をやり遂げることができた。

"'ロースト メモリズ'の時とは次元が違ったその時代を生き延びた人物で、

日本の観客を念頭に置かなければならなかったので発音などにも、

神経を多く使わなければなりませんでした。

いくら完ぺきに覚えたといっても他の国の言語で演技するには、

限界があるので物足りなさもあります。

オダギリジョーとは撮影前の2週間の軍事訓練期間に初めて会って、

体で苦しめられて親しくなりましたよ。

閉鎖的であるようだし周辺と間違って似合いそうだという先入観がありましたよ。

私の立場ではわが家に来たお客さんのような感じがあって私が、

先に近付こうと努力したが共に体当たりして訓練を受けて見たら、

現場で会ったよりはるかにはやく親しくなることができました。"

ジュンシクが朝鮮最高のマラソンランナーと設定されただけ劇中チャン・ドンゴンの、

走る場面は忘れる頃には登場する。

序盤人力車屋で活動する場面からノーマン戦闘に派兵されて、

一夜中テント近隣を走る場面、ソ連軍の侵攻を日本軍に知らせるために、

飛行機に先立ちランニングをする場面とノルマンディ・ヘアンを長谷川辰雄と共に、

付けることは場面など到底推し量りにくいほどだ。

チャン・ドンゴンは駆け足場面のためにジュンシクの子役を担った俳優と、

共に専門マラソンランナーに集中訓練を受けることもした。

"走る場面中で最も大変だった場面は戦闘機に先立ち走る場面でした。

本当に力いっぱい走るのにもモニターを見ると全くはやく走るように見えません。

都心でもこうしたところは周辺背景が流れると速度が見えるのに、

原野の上ではいくらはやく走っても効果がなかったんですよ。

主要撮影地のセマングム底が砂地畑だと見るとさらにそうしましたし。

3~4日間朝から日が沈む時まで走りました。

結局失神直前まで行きましたよ。

撮影準備する時マラソンの視点を感じてみるために、

本当に死にそうな感じがする時まで走ってみたことがあります。

そうするうちに駆け足がなぜ中毒性があるのか分かりましたよ。"


1990年MBCドラマ'私たちの天国'でデビュー直後からトップスターに浮び上がった、

彼は続けて'最後の勝負'、'医家兄弟'などで注目をあびたし、

映画'事情考慮見る必要がない'(1999)で映画界でも徐々に認められた後、

'友人'(2001)で'ハンサムな'という修飾語を引き離した後真の俳優と認められた。

以後やさしいプロジェクトを選ぶこともするものの、

北朝鮮なまりで演技をするとか('台風')、芸術映画('海岸線')を選んで、

外国語演技をしなければならないなど絶え間ない挑戦を演技生活20年、

ずっと広げてきている。

"私にはまだ演技をもっと上手くやりたいというコンプレックスがあります。

'私はなぜ私の経歴に比べて演技をよくできないだろう'という考えます。

不足した部分を埋めたい欲があってそういうのを満たしてくれることが、

できるという考えに選んだ映画らもあります。

そのような考えであいにく大変な映画をたくさんしましたよ。

また、ある時は内意志があったというよりは、

私に置かれた道を踏んできた側面もあります。

誰かはこの道をきたくてもこれなかったはずなのに私は行って見たら、

この道があったし'一度行ってみよう'という心境で行ってみたでしょう。

この頃入る後悔は20年間活動したのに比べて作品数があまり少ないという事です。

これからはもう少し本質的な側面で作品を選びたいです。

心は引かれたが色々な理由で選ぶことが出来ない作品があるのに、

今はそうしなくしようと考えます。

私が面白がることができて引かれるならば選択したいです。

選択しなかった作品らによって後悔でない後の後悔する時があります。"

演技においては誰より真剣な悩みとのどの渇きでいっぱいだったが、

今まさに14ヶ月に入り込んだ息子ミンジュンが話が出てくると、

すぐに素早く上気した顔で自慢をならべる姿がトップスターチャン・ドンゴンも、

仕方ない'息子バカ'であることを立証させた。

以前にも海外撮影はたびたびあることだったが唯一コ・ソヨンと結婚以後、

何月ずつ地方撮影や海外撮影を繰り返さなければならない、

殺人的なスケジュールが楽しいだけではないようだった。

"一人で暮らす時は海外に6ヶ月ずつ出て行っていても、

全く家に行きたいという考えを聞かなかったです。

今は何日だけ出ていても息子が気になるからです。

今回も'マイウェイ'封切り後1月にまた中国に行って'危険な関係'を、

撮影しなければなりません。

もう子供がママとパパの存在に対して考える時なのに、

パパは時々家に来る存在と考えることになるかと思って心配です。

そしてまだ子供の顔を公開するつもりはありません。

自分で誰なのか悟ることになった時は考えが変わるかも知れないが、

今は用心深いです。"

演技者デビュー20年、一筋だけずっと眺めて唯一の道に人生をかけてきた彼だが、

もう少しずつ演技以外のものなどが見え始めるといった。

俳優で監督で専業をしたり俳優ながら製作者の道を歩いている、

クリント・イーストウッド、ブラッド・ピット、トム・クルーズなどハリウッド俳優が、

先んじた道に対して彼も少しずつ目が行くようだった。

"今までは私の人生で俳優の日以外のことに関心を持ったことが全くなかったです。

俳優がどんな役割を受け持って作品の提案を受けて、歳月の流れによってでも、

他の何によってでも演技をが出来ない時がくるという気がします。

その時になれば自然に映画を作りたくなりそうだよ。

それが演出か、製作でもあるでしょう。

それを実行に移す人もいて移せない人もいるだろうが、

多くの準備と勉強になっていてこそ晴れましたよ。

ホ・ジノ監督の映画に出演して対話をたくさんして見たら、

ぐんぐんこういう気がしますね。

現場編集も注視することになってカメラ レンズを、

あらかじめレンズを使うのかも関心が行きます。

こうしてみるならば演技でない他の分野でも活動できないでしょうか。"