▲ 2000年以後症候群を追い立てたメロー映画10

空の下新しいことがない世の中で症候群を呼び起こすメロー映画を、

作るということはなかなか難しいことでない。

メロー映画ぐらい慣習がかたく固まっているジャンルもないためだ。

しかし古くて、古い慣習の整数を完全に新しく呼び覚ましたり、

その慣習をひっくり返す何か見せればそれは新しいアイコンになって、

重ね重ね途方もない影響を及ぼす。

私たちはそれを‘症候群’と呼ぶ。

2000年以後発表された韓国メロー映画の中で新しいアイコンで登板した場面、

あるいはセリフ十個を選んだ。

去る10年間韓国メロー映画はこのように新しくなった。

◇1位[春の日は過ぎ行く] “どのように愛が変わるの?”

2001 ¦監督ホ・ジノ¦出演イ・ヨンエ、ユ・ジテ

“どのように愛が変わるから。”
このセリフには大変に離別を宣言する、
年齢幼い青年の痛みがそっくり溶けている。

<봄날은 간다>は愛の痛みと成長に対してホ・ジノ監督が細かく描いた水彩画だ。
妻の死(ユ・ジテ)は恩讐(イ・ヨンエ)より年齢が幼いが、録音する技術が優れて、
人生に対する姿勢にも余裕がある。
だから一度痛みを経験した恩讐だが、妻の死の荒っぽさと暖かさが良くて、
先に誘惑する。
以後愛のときめきの中に幸せな時間だけ存在するならばどれくらい良いだろうか?
しかし人生は決してそうではない。

離婚を経験した恩讐は熱情的に近づく幼い妻の死が負担になる。
彼がキムチ漬けることができるかと、結婚しようという言葉をいう時、
恩讐は時間を設けようと話すが、妻の死はその心を理解できない。
恩讐が違う男に会う時、妻の死は酒に酔って恩讐の部屋で泣く。
次の日、仕損じたことオムニャは妻の死に恩讐は別れようと冷静に話す。

ためらった妻の死は
“私が上手にするから”と答えてまた恩讐の苛酷な話に、
“君は私を、愛するの?”として初めて‘君’と話す。
彼ももう決心が定まったのだ。
そしてその有名なセリフ、“どのように愛が変わるの?”と話す。
格好良く女を置くのではなく何度もぶらさがってやっと離別を宣言する、
彼女の前から涙まで見せた後に離別を凝視する、
年齢幼い青年の痛みがそっくり溶けている。

事実 <봄날은 간다>で傷つける恋愛で絶対的に不利な存在であった。
相手の女性が年上で、妻の死は小心なほどだ。
それでも離別に対して彼が直接的に言及したという点で新選することがなくはない。
メローの典型で男が離別に処した時、胸の内を直接的に表わさないのに、
傷つける自身の心を表現したのだ。
たとえ‘クール’することはできなかったが。

<春の日は過ぎ行く>もこの場面をそのまま借用した、
<グァンシクが弟>(2005)でポン・テギュも、
“どのように愛が変わるの?”といって、
“愛ではないから変わるだろう”という逆攻勢にあったまま、
黙殺無返答で背を向けなければならなかったし、
彼女を忘れることができなくて酒に酔って生きていく。
弟だけそんなことでなく兄グァンシク(キム・ジュヒョク)は、
もっと深刻なキャラクターであった。

愛もまともに告白できない小心な男。
もうこういう男たちの辛い恋がスクリーンの中に溶け込む時代になった。
愛する恋人を簡単に置くことができなくて、
やっと傷を凝視する男性たちの悲しい愛話だ。

◇2位[バンジージャンプする]駅の再会場面

2001 ¦キム・デスン監督¦出演イ・ビョンホン、イ・ウンジュ、ヨ・ヒョンス

<バンジージャンプする>のクライマックスは縁と運命をテーマで、
メロージャンルで観客の情緒を最大限引き上げる方法を取る。

結局インウ(イ・ビョンホン)は職場と家庭を離れる。
彼は社会と断絶した存在になって世の中を飛び交う。
そして彼が到着したところは17年前の駅だ。
彼は訓練所に離れる直前であったし、テヒ(イ・ウンジュ)を待つ。
少し遅くとも待ってくれとお願いしたテヒはこなかったし、
その日以後17年が過ぎた今、インウはまたテヒを待っている。

あそこでテヒが、いや‘ヒョンビン(ヨ・ヒョンス)になったテヒ’が駆け付ける。
ヒョンビンは今や分かった。
自身がなぜそのライターを持つことになったか、
自身の携帯電話着信音がなぜショスタコーヴィチのワルツで、
自身がなぜさじの支えを気になると思うかを。
そこまで悟れなかった縁の記憶をついに思い出させたヒョンビンは、
駅に走って行って、そちらで17年前のテヒも走って行く。
彼らはあたかも誰がはやく到着するのか競争するようだ。

インウはベンチに座っている。
人生の最後の希望をかけた人のように見える。
この時、遠くからヒョン・ビンが見える。
近づく。
汽車のガラス窓に映った二人。
テヒとインウが立っている。
“来たな。”インウの話にテヒが静かに答える。
“ごめんね、とても遅れて…。”

事実 <バンジージャンプする>の色々なアイテムはすでに存在したものなどだ。
転生のモチーフは<銀杏のベッド>(1996)のメローファンタジーで来たもので、
交錯した時間帯の縁は <十月子>(2000)が含んでいた。
この映画の1980年代場面はペ・チャンホ監督の <うれしい私たち若い日>(1987)に、
対するオマージュのように見える。
他の見方をすれば韓国メロー映画歴史で <バンジージャンプする>
の発散よりは、
収斂の映画だ。

それでもこの映画が新しく感じられるならば、
それは(粗雑にまきこまれたクィオ論争のためでなく)この映画が絶頂まで、
駆け上がる方式の緊迫するということのためだ。
コ・ウン作家がシナリオ作業をしながら、
“感情が固め打ちして心臓がドキドキしてどのように使ったかもしれないほど”
だったとするこの部分は、過去韓国メロドラマでは見られない速度感であったし、
以後メローはもちろん他のジャンルでもたびたび借用するスタイルになった。

二つの時間帯あるいは二つの空間あるいは二つのキャラクターを巧妙に、
交差させて、その過程で隠された真実があらわれる <バンジージャンプする>の、
クライマックスは縁と運命をテーマでするメロージャンルで観客の情緒を、
最大限引き上げる方法を取る。
それは不可能に見える愛を可能にさせるメロー特有の方法論になったし、
特にささいなモチーフが回想シーンと続くこの映画の話の流れは最近までも、
韓国のメローが愛用する構造になった。

◇3位[君は私の運命]面会場面

2005 ¦監督パク・ジンピョ¦出演ファン・ジョンミン、チョン・ドヨン

ガラスの壁一つを間に置いて泣き叫ぶ二人の男女。
彼らを見ながら私たちも、火のようで純粋に愛することができるかも、
知れないという幻想に陥った。

‘純情の時代は終わった’で考える頃、 <君は僕の運命>が封切りした。
メロー映画の代価のホ・ジノ監督も <8月のクリスマス>(1998)に現れた、
切ない愛を終わらせて、 <春の日は過ぎ行く>(2001)で、
“どのように愛が変わるの?”
と話題を投げる時であった。
映画の中ですべての純愛好きが退屈だったし、
ハッピーエンドはやぼったく見えた時であった。
その時ぐらい <君は僕の運命>は封切りした。

エイズにかかった女に向かって盲目的な愛を送る田舎未婚の男性の愛の物語。
リスニングだけでも食傷ぎみに感じられた。
いや、こういう愛が現実的に可能なのか?
ところが実話であった。
映画が人気を得た後で‘<君は僕の運命>は実際主人公が離婚’という報道の為に、
気が抜けたりしたが、 <君は僕の運命>が封切りする時だけでもエイズ感染者と、
農村未婚の男性の愛の物語は利己的な愛になじんだ現代人の胸に、
警鐘を鳴らした。

特にエイズにかかったまま売春をして監獄に閉じ込められたチョン・ドヨンと、
彼女に向かって消えるとは思わない純情を燃やすファン・ジョンミンの、
すさまじい面会場面が圧巻だった。
ガラスの壁一つを間に置いて“ごめんね”と“大丈夫だ?”を泣き叫ぶ二人の男女。
さらにソクチュンは換気を引き離して彼女の手を握りしめる。

刑務官の強圧的な抑圧に捕えられながらもお互いの手を離すまいと努める、
二人を見ながら私たちは今一度悟った。
‘純粋な愛を見ることは幸せなことだな。’
そして私たちも今一度ソクチュン(ファン・ジョンミン)と彼女(チョン・ドヨン)のように、
火のようで純粋な愛することができるかも知れないという幻想に陥った。

もちろん <君は僕の運命> 以後にも純愛好きを描いた映画は多い。
初恋を再確認するようにする <グァンシクが弟グァンス>(2005)、
切なる愛を描いた <私の愛私の側に>(2009)、
菽麦未婚の男性の愛検索過程を描いた <私の結婚遠征期>(2005)、
バカと美女の愛の物語 <パボ>(2008)等は純粋未婚の男性と、
美女の美しい愛の物語という点で脈絡を共にする。

だが <君は僕の運命>はこの断然先んじる理由は、
この映画が愛に対して心より話しているためだ。
映画はソクチュンの愛をかけらも疑わない。
無謀な程一片丹心のその純情。
<君は僕の運命>は私たちの時代の‘愛’に対して考え直すようにする。
現代人の洗練された愛を話すメロー映画に劣らず <君は僕の運命>と同じ、
‘純愛好き’が必要なことはすぐにこのためであろう。

この映画が死んでも良い愛、どんな過ちも容赦できる愛を死力を尽くして、
話しながらこの時代の‘純情’を復活させたとしても言い過ぎではないから。