「お客様?到着致しましたが……。」

 タクシードライバーの声で目が覚めた。
 
「ん?あ。ありがとうございます。」

 料金を支払い車から降りるとまだ少しだるさが残っていた。
 
「まーちゃん、おはよ!」
「ん?おはよ。随分早いな。」
「昨日はごめんなさい……。私どうかし……て……た。あ……。」
「どうした?」

 莉奈の笑顔が一瞬曇り俯いた。
 
「ん?ううん……。なんでもない……。」
「ん?な、なんだよ?」
「なんでもないよ……。」

 そのままその場を離れようとしたが手を取り引き止めた。
 
 「気になるだろ?なんだよ。」

 目を見ると涙が今にもこぼれ落ちそうだった。
 
「えっ、えっ?どうしたんだよ!」
「……首。どうしてこんなのつけてるの?」

 服に手をかけ首元を広げられた。
 
「あ……。これはその……。」
「そうだよね。彼女がいれば当然の事……だよね……。ちょっと椅子に座って……。」
 
 椅子に座らせられ化粧ポーチを出しファンデーションを首に塗り始めた。
 
「すごく目立つよ?人前に出るのに、こんなの……。つけちゃ……、ダメだよ……。」

 泣きながら首のキスマークを必死に消そうとしていた。

「こんなの嫌だよ……。」

 申し訳無い気持ちになりただ無言で泣いているのを見ていた。どちらかを選ぶ……事が出来なかった。
 
 数日後お菓子屋へ向かい近くまで行くと誰かが来ていた。
 
(もしかして……。)
「莉奈〜。腹が減ったんだけど何かない?軽〜いものでさぁ……?あ、ゴメン!お客さん来てたんだ。また。後でいいから用意しておいて〜。」
「あ、ごめんね。用意しておくね。」
 
(何しに来たんだ?しかもこんな時間に……。人のこと言えた口じゃないよな)
 
 自分の店に戻ると奈津子がいたことを忘れていた。
 
「まーくんお菓子は?」
「あー、忘れてた。」
「はぁ!?」
「悪い!後でもう一度行ってくるよ。」
「いいけどぉ。別に。晩御飯まで待ってるし。」
「いや、ちゃんと買ってくる!」
 
(様子が気になるからな……。)
 
「変なの。それより~。今日何を食べに行く〜?」
 
 どうでもいい話が始まりしばらくそれに付き合った。
 何を話しているのだろう……。気になる……。
 
「ねぇ……。最近のまーくん上の空だよね。私の話聞いてないでしょ?」
「ちゃんと聞いてるよ。」
「私の事ちゃんと見てる?」
「見てるに決まってるだろ?」
「それなら良いけど……。」
 
 少し時間をずらし莉奈の元へ向かうと男が帰っていくのが見えた。

「彼氏?」
「あ、うん。たった今別れちゃった。」
「え?別れたの?」
「うん。」
「どんな人だったの?」
「すごーく優しい人で私には勿体無いぐらいの優しい人だったよ。」
「ふ〜ん。俺より優しかった?」
「うん。」
「え?」
「あ。言っちゃった。」
 莉奈はスッキリした表情で笑っていた。

 俺は……。どちらにもどう話をすれればいいのかわからなかった。
 
「あ、まーちゃんこれさっき言ってたおやつね。それと、彼女待たせたままでしょ。ご飯食べにいくんでしょ?」
「あ……うん…。」
「ほら!行ってらっしゃい。」
 
 微笑んで見送られた。どうしてそんなに笑えるんだよ。
嫌じゃないのか?嫌だと言ってくれれば……。

奈津子の元へ行き食事を終わらせ家に送ろうと車を走らせていた。車中で話をしていると突然黙り込んだ。
 
「ねぇ、まーくん……。」
「ん?」
「あの子の事だけど……。」
「莉奈……?あ、あ~、あの子ね。あの子がどうしたんだよ」
「呼び捨てする程仲がいいんだね。」
「職場でも呼んでるから……。」
「ふーん。あの子嫌い。」
「お前ほとんど話した事ないだろ?それを嫌いとかなんだよそれ。」
「まーくんがいるから入社ったんでしょ。気分言い訳ないじゃない。それに同じ店舗って。いい気しないよ。」
「あれは店長から言って来てたからさぁ。」
「断ればいいじゃない。あの時、まーくん振ったって言ってたじゃない。それなのに……。」
「まぁ……。それもそうだけど……。俺は一緒に働いてくれてありがたいと思ってるけどな。」
 
 奈津子は黙り込み気まずい雰囲気になっていた。
 
「それに……。さっき私ずっとまーくんとあの子の事見てたんだよ?何?あの感じ。彼女みたいじゃない。」
「え?ずっと見てたのか?」
「気になるから着いて行ったの。もうあの子の元には行かないで。」
 
車を公園の前に停め話をすることにした。

「お前らしくないな。」
「最近のまーくん様子がおかしいから…。」
 
その通りだった。ずっと莉奈ばかりを見てあいつのそばにいたいと思っていた。
 
「まーくん。行かないでよ……。まーくんが離れちゃったら私何するか分からないよ?」
 
奈津子を泣かしてしまった。2人への罪悪感で申し訳ない気持ちになっていた。ずるいかもしれないがどちらも離したくない……。奈津子を抱きしめ何度も行かないでと泣いていた。
 

セールの真っ只中に油断をし怪我をした。自分自身への罰だと思ったが、かなりの出血を動揺が隠せなかった。梨奈はその怪我に慄くこともなく淡々と病院へ導いてくれた。不安で仕方ない自分に手を繋ぎ、慰め癒してくれていた。
 
「もう大丈夫だからね?ちゃん治療してもらおうね?」
 
 天使の様に微笑み手は血まみになり靴にも血が付着していたが気にする様子もなく手を繋いでくれていた。
 処置室に呼ばれた時も『大丈夫だよ。ここで待ってるから。』声には出さなかったが笑顔で見送ってくれていた。

治療が終わり処置室から出ると笑顔で待ってくれていた。

  こんなに安心できたことは今までになかった。

 会計を終わらせ病院を出ようとした時に梨奈は立ち止まり処置室を見ていた。背筋が伸び堂々とした姿で処置室から出てきて何やら揉めている様だった。
 
「かーくん明日は中止をした方がいいよ!そんな体では無茶だよ。」
「大丈夫だから!明日もステージ立たなきゃみんな待ってるだろ!無理してでもステージ出なきゃスターじゃないだろ!」
「いや、でも今日の明日では先が持たないですよ!」
 
なんの事なのかさっぱり分からなかった。
 
「まーちゃん、ちょっとだけ待ってね。」
「どうしたの?」
「ちょっと、腹たって来た。だから行ってくる」
 
 何言ってるんだ?他人事だぞ?何を首突っ込みに行ってるんだ?追いかけて近くへ行くと真ん中にいる男性を怒っていた。知らない相手に揉め事はごめんだ。男を相手取ってもしかしてアイツ失礼なこと言ってる?
 
 「莉奈?どうした?」
 
男性は怒っているのか悔しそうな顔をしていた。
 
「あのっ!体大切にしてくださいね。」
「お前、何言ってんの?本当にすいません。訳のわからない事言ってしまって……。莉奈、帰るぞ。」
「ずっと応援していますからね!私、あなたのファンなんでよ!頑張ってください!」
 
 莉奈の腕を引っ張り病院を出て事情を聞き、相手は誰なのか尋ねると『Jewelry』と言うアイドルの『星川和海』だと言っていた。ずっと彼のファンをしていたが解散をしてからは何をしていたのか分からなかったらしい。
 芸能人を生で見たのは初めてだったが体調が悪くてもあんなにも堂々としているのを見ると住む世界の違う人間はすごいなと感心をした。自分も何事にも自信のある人間になりたいと思い始めていた。

 
 手の傷が少し良くなり忘年会が開催され、莉奈も参加をする事になった。2人のことは隠していたはずだった。
 席は少し離れた所で、お互いが見える位置に座っていた。

 少し目を離している間に、席を外しいなくなっていた。
 
「あれ?由美さん、莉奈は?」
「体が暑いから外で涼んでタバコ吸ってくるって出ていったよ?」
「そうですか……。」
 
 そのうちに帰って来るだろうと思い様子を見ていた。けれど10分20分経っても戻って来なかった。
 少し様子を見に行ってみよう。トイレついでに喫煙所を覗いてみると5~6人でつるんで話をしていた。

(あー。いつもの集団か。)

 特に気にせずトイレに行き戻ってきてよく見ると、足の間から白い足がバタバタ動いているのがみえた。
 まさかと、思い覗き見をすると莉奈の顔がチラッとみえた。
 
(嘘だろ……!)
「ちょっと!何してんですか?マジでやばいっすよ!お前たちここ開けろよ!どけって!」

 莉奈は意識が朦朧とし虚ろになり始めその姿を見て俺は焦りを隠しきれなかった。どうして一緒にいてあげなかったんだろうと後悔ばかりしていた。
 
 莉奈は意識を取り戻すと怯え始め震え始めると抱きしめ落ち着かせ、何度も謝られたがこっちが謝らなければいけない立場だ。落ち着いた莉奈を席に戻したが、先輩や後輩たちにひとこと言っておかなければならない。

「もうアイツにこんなことしないでくださいね。」

 平野さんに問いかけられた。
 
「なんであの子に手をつけたんだ?お前には鴫野が丁度いいんじゃないのか?あの時、鴫野悲しんでいたんだぞ。」
「それとこれとは別です。」
「お前……、鴫野と別れてないんだろ?二股か?」
「そんなんじゃないです!」
「莉奈ちゃんかわいいから、言い寄って来られ堪らないよな。でもな、鴫野は気がついてるぞ?お前達のこと。」
「えっ……。」
「莉奈ちゃんを許せないって。」
「莉奈は何もしてない!」
「でも、彼女いる事は知っているよな?普通ならこんな事はしないはずだろ?莉奈ちゃんは好きな人に彼女がいただけだと言っていたし、お前と付き合ってるわけでもないって聞いたぞ?付き合っていなくてもそういう関係はありってことだよな?」

 莉奈とは付き合ってはいない。俺が手を出した。

「お前、どっちも手放したくないんだろ?」
「……。」
「まぁ……。時間の問題だけどな。莉奈ちゃんはそのうち俺の物になる。」
「なんでだよ!」
「そのうち分かるさ。邪魔が入った事だし、そろそろ席に戻るか。お前ら、後であのホテルまで取りにこい。」
「わかりました!」

 莉奈を囲っていた奴らも席へ戻って行った。

「平野さん後で話させてもらっていいですか?」
「手短にたのむな。俺たち忙しいんだ。」

 肩を叩き、横を通って座席へ戻って行った。
 
 忘年会も終わり、由美先輩に莉奈を連れて先に帰ってほしいと伝えた。

「莉奈。由美さんと一緒に先に帰れ。」
「でも……。」
「良いから帰れ。由美さんお願いします。」
「莉奈ちゃん、帰ろう!何か用があるんでしょ。」

 何度も振り返りながら店をでた。
 しばらくすると平野さん、奈津子と後輩たちがぞろぞろとやって来る。
 
「まーくん、今日平野さんと話終わったら一緒に……。」
「行かない。帰れ。」
「なんか、すごくムカつく言い方だね。」
「帰れよ。お前には関係ないんだから。」
「関係ないってなによ!」
「ほーら!喧嘩しない!」
 
 平野さんが止めに入った。
 
「曽我〜。お前もう少し優しくしたらどうだ?奈津子も先に行って。話終わったら行くから」

(奈津子の事を呼び捨てしたか?まぁ、良いか。)
 
「平野さん!だって、まーくんが……。」
「話あるって言われているんだから先に行ってろって。」
「はーい」

 奈津子は怒りながら後輩達と店を後にした。

「それで?話ってなんだ?」
「莉奈には手を出さないで欲しいんです。」
「はぁ?」
「手を?出すなって?お前俺に手を出すなって?笑える!お前が言うのか?」

 呆れるような笑い方をされた。

「仕方ないな。きっとさっき言ったことが知りたいだろうから教えてやるよ。これは極秘事項で部長から口止めされてるんだけどな。」

(なんだろう。口止めされる程の秘密ごとか?会社がらみなのか?)

「2年後の春には俺と百貨店のリニューアルオープンで一緒に働く事になっている。今、店舗を改装しているのはお前も知っているよな?かなり前からの決定事項だからな。」
「決定事項?」

 (どういうことだ?)
 
「お前の店で働き始めた時部長ともう1人来たのは知っているか?」
「もう1人?」
「百貨店の取締役だ。結構前から目をつけていたらしい。お菓子屋でバイトしていたんだろ?取締役がたまたまお菓子屋に行った時に、気軽に話しかけてくれてかなり気に入ったらしくてな、お菓子屋で働かせるのは勿体ないって思ったんだろうな。同じ建物内でお前のいる店舗がある事に気がついて、百貨店部の厚木さんに話が行ったんだよ。なんとかして、取締役に部長は好かれたかったんだろうな。その話を武内さんにした時に、
『もしかしたら、お前に惚れてるから来るんじゃないか?』っていう話になったんだろうな。部長が聞いてこれは好都合って思ったんだろう。とりあえず、お前の店で研修をさせて慣れた頃に百貨店勤務に戻すってことだ。履歴書も百貨店側に出されている。」

(どういうことなのかわからない。莉奈は元から百貨店勤務だった?)
 
「武内さん俺の店舗に連れてきてただろ?あれも俺に顔見せで来てたんだ。まさかなぁ。あの子だったなんてな。俺たちは運命だな。」

(全くいみが分からない。)
 
「それから~。お前にも転勤が決まっているんだ。戻れるのはまだいつかはわからないけどな。もしあの子が一緒に行きたがっても部長が許すわけないよな?百貨店の売り場の顔になるんだからな。」
 
(俺も転勤?しかも未定!?)
 
「お前が転勤した後、俺が面倒見てやるよ。お前の代わりに可愛がってやるからな。」
 
 平野さんは不吉な笑みを浮かべていた。莉奈は絶対平野さんには任せたくない!
 
「あんたには絶対触れさせない!」
「ま、時間の問題だよな〜。あの子から寄って来るかもしれないからなぁ。」

 腹が立ち平野さんの胸ぐらを掴み殴ってしまった。
 周りの人達が止めにかかった。

「痛てーなー。お前の様な中途半端なやつには誰も守れねぇんだよ!」

 その通りだ。中途半端で今の俺では守りたくても守れない。口先だけだ。悔しくて外へ出た。
 
 店の外に出ると心配そうに莉奈が待っていた。
 
「まーちゃん!」
 
手を掴み逃げるようにその場を去った。
 
「まーちゃん!ねぇ!どうしたの?」
 
 問いかけてきたが何も言えなかった。行く宛てもなくただ歩き回り終電もなくなり、莉奈も疲れ始め適当なホテルに入り抱いた。
 
「まーちゃん、どうしたの?何があったの?」
「ん?あ……。ごめん。」
「教えて?何があったの?」
「なんでもないよ。」
「莉奈、ごめんな……。」
 
 俺は何も出来ない自分が莉奈を苦しめるかもしれない。今の俺では幸せに出来ない。今だけしか幸せを与えられない。自分が未熟すぎるばかりに傷付けるかもしれない。莉奈は何も聞かず優しく抱きしめてくれた。あんな事を聞かされたがまた違う展開があるかもしれない。まだ、先の事はわからない。今は、隣で笑っていさせて上げたい。

けれど…。この先どうしたらいい…。