ニオ、ケンポー、ナップ、サンと生活して来た約30年、私は命懸けで暮らしてきた。
ニオのみとの暮らしが始まった時は気付かなかったが、彼女がケンポーとナップを産み、3匹との暮らしが始まった時、私に異変が起きた。
『呼吸が・・・苦しい・・・』
猫アレルギーだった。
しかも、かなり強度の。
当時、まだ20代。
猫アレルギーは、喘息と言う形で私に表れ、数え切れない回数、夜中に救急に駆け込み、点滴を受けた。
3匹でもそんな状態なのに、サンと出逢ってしまう。
飼い猫が4匹に増えて、夜中の救急に駆け込む回数が増え、遂には10日間の入院を強いられた。
命懸けの30年だった。
もう死ぬ・・・と思うくらい呼吸が苦しくなった事も数え切れない。
でも、それでも、彼等と出逢って、一緒に暮らせた事は、かけがえの無い時間だったよ。
入院を余儀無くされた時、苦しくて、しんどくて、仕事にも支障をきたしてしまっても、彼等と一緒に居たかった。
『それで私が死ぬなら、それでもいいや』
そう思って来た。
そのくらい愛せた。
それは、とても幸せな事だったと思うし、命を懸けた意味があったと思う。
こんな風に愛せた子達に出逢えた事は、命を懸ける意味があった・・・と思う。
しかし・・・だからこそ・・・
彼等を看取る度に、痛くて苦しく、喘息の苦しさの比ではなかった。
中でもサンは、私にとって『特別な子』だったから、とても悲しい別れ・・・
酸素吸入のマスクを付け、1回2時間の点滴を何度も繰り返し、三途の川が何度見えても、彼等と居たかった。
ホントに苦しかったから、ホントに愛せた。
ホントに愛せたから、ホントに悲しいし・・・
ホントに寂しい・・・
人はどれだけ涙を流せるのだろう?
私の涙は、まだ止まらない。
『こんなに泣いてはいけない!』
そう思うけど・・・
身体中が痛い。