かれこれ9年程前、私は過労から酷く体調を崩し、入院を余儀無くされた。
衰弱し切った身体は、免疫力が低下し、体力は老人並みに落ちた。
風邪からの肺炎も酷く、入院しても尚、治療はなかなか光明を得なかった。
弱り切った私の肉体は、ありとあらゆる治療薬を拒否し続けたのである。
下痢、嘔吐、蕁麻疹、呼吸困難、高熱・・・等々、あれもダメ、これもダメ、と治療薬を変える度に様々な副作用と拒否反応が出た。
飲み薬、点滴、注射、吸入薬、全ての薬を拒否し続ける私は、衰弱する一方だったのである。
苦しさから、夜もろくに眠れない日々も続き、兎に角、先ず体力を取り戻す為の治療に撤するしかなかった。
これは、そんな私が、漸く窮地を逃れ、退院を間近に控えた時の出来事である。
《ごめんなさい》
私が入っていたのは二人部屋だったが、先に入っていた男性が退院した後、私が退院するまで、誰も入院患者が入って来なかったので、実質、個室同様だった。
どうにか体力を取り戻し、薬に対する拒否反応から脱し、肉体的には『健康』を取り戻しつつあり、退院する日の提案を主治医から切り出されていた。
しかし・・・
病の闇から脱したにも関わらず、私は不眠に悩まされていた。
はじめは誘眠剤を処方されたが、何の効き目もなく、一睡も出来ない日々が続き、処方が睡眠薬に切り替わる。
「これは多分、効果がありますよ。」
・・・と看護師が就寝前に持って来る睡眠薬・・・
残念ながら、私には『多分以下』、全くの効果を見せる物ではなかった。
誤解の無い様に言っておくが、精神的なストレスもなかった。
私は日中、これまでの生活と仕事に復帰すべく、病室でストレッチとエクササイズ、筋トレに勤しみ、夜は、病院食の完食を控えるまでに回復していたのである。
「全然効かない・・・。もっと強い薬・・・一番強い薬を下さい。」
眉をひそめる看護師に、私は懇願した。
一睡も出来ない日々が、五日続き、私の身体を今一度検査する事になる。
昼間、ほんの小一時間ウトウトするだけで、まともな昼寝とも言えなかった。にも関わらず、夜になると完全に目が冴えてしまう。
血液検査、骨密度、MRI、脳波・・・etc.
退院間近であるにも関わらず、私は検査浸けの毎日だった。
眠りたいのに眠れない・・・
「やっぱり効きませんか・・・」
夜中、見回りに来る看護師が、本を読む私に声を掛ける。
「うん。全く眠くならない。薬を飲んでから暫く横になってたんだけど・・・ドンドン目が冴えちゃって・・・」
看護師は『そうですか・・・明日また、主治医の先生に相談しますね。』と言い、懐中電灯の明かりを点けて部屋を出て行こうとした。
そして、部屋を出かけた瞬間『あ・・・』と声を漏らした。
「何?」
私が訝しく思い、尋ねる。
「・・・いえ・・・明日・・・先生に相談しますから・・・」
看護師はそそくさと部屋を出て行った。
・・・と・・・その時・・・
私の手から、読んでいた文庫本が落ちる・・・。
両手が硬直しているのが解った。
看護師を呼び止め様として、声が出ない事に気づく・・・
金縛りであった。
私は狼狽えた。
目覚めた状態での金縛りは久しぶりだった。
いや・・・金縛り自体が久しぶりだった。
著名な霊能者に気を塞いで貰って以来である。
霊的現象から解放されたと・・・そう思っていた。
リクライニングするベッドの背を上げ、本を読んでいた私の身体は、完全に硬直していた。
体毛がざわつくのが感じられた。
『これ・・・ヤバい奴じゃん!』
私は必死に声を出そうともがいた。
ベッドをぐるりと取り囲むカーテンが、不自然になびいたのが見えた。
病室の扉は開け放たれており、ベッドのカーテンも、扉側が半分開いている。
今さっき、看護師が出て行った廊下が見える。
看護師が出て行ってから、誰も入って来てはいない。
隣のベッドと仕切る為にそちら側のカーテンを引いていた。
不自然になびいているのは、其処である。
本を読む為に点けていた枕元のライトに照らされたカーテンは、確かに動いている。
病室の窓は閉じてある。風ではない。
私は病室にある窓側と廊下側の二つのベッドの内、廊下側に寝ていた。
先に退院した男性が窓側のベッドを使っていたので、男性が退院した後も、そのまま廊下側のベッドを使っていたのである。
声が聞こえた・・・様な気がした・・・
か細く・・・囁く様な声が・・・
何故か・・・私の頭の中に聞こえた・・・気がした・・・。
「ここ・・・の・・・」
『ここの・・・!?』
「ここ・・・私の・・・」
私は総毛立つ。
「わぁ!!!!」
声が出た。思いっきり叫んだつもりだったが、耳に届いた私の声は、大したものではなく、息の混じったやっと出た声であった。
それでも金縛りは解けた。
私は即座にカーテンを捲った。
何もない・・・。
ベッドから降り、ベッドの下を覗く。
誰も居ない・・・。
「あの声・・・なんだ?」
頭の中に聞こえた声は性別が判らない程に小さなものだった。
この夜から・・・
私は毎晩、金縛りにあう事になってしまうのだった・・・
続く・・・