ダニエルのショーに出るまでは、石に齧りついてでもニューヨークに居続ける!
そんな思いから一転。
齧りついていた石が、フッと消えてしまった様な気分…。
生活は日常に戻ったが、私の気持ちは、何やら釈然としなかった。
母がニューヨークに滞在している間はまだ良かった。
ニューヨークの街をあちこち連れ歩き、案内して回った。
やる事があれば、気も紛れた。
しかし、滞在期間を消化し母が帰国すると、私は再び憂鬱とも言える心地に陥った。
ウィークデーはスカラーとして、スタジオの掃除をしながらレッスンに勤しみ、ウィークエンドはシャザームで働く。
日本から知人が来れば、色々と世話をやき、必要とあらばジョディーとシェアしているアパートに滞在させる。
新しいディスコがオープンした…と言えば友人達と繰り出した。
ジョディーが催すホームパーティー、誰それがニューヨークでの生活を終えて母国に帰る…と言えば送別会…etc.
イベント事は毎日の様にあり、気を紛らわすかの様にはしゃいでは居たが、しかし…
私の頭の中にはいつも、『帰国』の二文字が貼り付いており、私はまるで、その二文字を見ない様に、見ない様にしていた。
私は…
日本に帰りたくなかった。
このままニューヨークに居たい!と思っていたのである。
自分がそう思っている事にハッキリ気付いたのは、ある友人の送別会に行った時の事であった。
その日の主役、日本に帰る友人が一言…
「KAZUMI-BOYは?いつ日本に帰って来るの?」
と私に尋ねた。
「え…?」
不意を突かれた事と、自分で考えない様に、考えない様にしている部分にダイレクトに触れられた事で、私は狼狽えてしまった。
私がモジモジと、答えにつまっていると、横にいたアレックスが私に抱き付き、言った。
「ええーKAZUMIも帰るの?日本に?ダメよぉ~!KAZUMIはずっと此処に居るのよ!」
アレックスはしこたまカクテルを呷り、相当酔っていた。
彼女はイタリアからの留学生である。
日頃から非常に明るく、能天気ですらあったが、私達は仲が良かった。
「そうだよ!KAZUMIはこのままニューヨークに居ればいい!」
別の誰かが言った。
スカラー仲間のリサが言った。
「KAZUMIは、この短期間にすっかりニューヨーカーになっちゃって、日本から来たんだって事を忘れちゃうくらいだもん。ニューヨークと肌が合ってるのよ。」
外人勢はこぞって私のニューヨーク残留を訴えた。
日本に帰る友人が、再び口を挟む。
「でも、KAZUMI-BOY…ビザ切れてるんでしょ?」
私は黙って頷いた。
「KAZUMI!グリーンカード取りなよ!」
と、誰かが声高に言った。
「グリーンカード…」
グリーンカードとは、アメリカ合衆国における外国人の永住権、その証明書の事である。
「でも…グリーンカードって、そう簡単に取れないんでしょ?」
友人が返す。
「アメリカ人と結婚すりゃいい!」
「なんか無責任な発言だなぁ(笑)!」
皆、口々にグリーンカード取得のノウハウや、知り合いがグリーンカード取得の為に奔走した苦労話などを語り出した。
「ダメよぉ~!KAZUMI-BOYはアタシと結婚すんだからぁ~!」
泥酔寸前のアレックスが私の頬にキスを繰り返す。
彼女は私に抱き付いたままである。
「アレックス、キミと結婚したってグリーンカードは取れないよ(笑)!」
誰かが笑う。
「KAZUMI-BOYはアタシと結婚してイタリアに来るのよぉ~!」
「KAZUMIはニューヨークに居たいんだぞ(笑)!」
と、誰かが言った…。
その時、私はハッとした。
『そうなんだ…俺…ニューヨークに居たいんだ。』
自分で、それを口にした事が無かった。
他人に言われて初めて気付く。
ニューヨークに来た事と、ニューヨーク居る事が昨日までは表裏一体だった。
しかし今は…。
ニューヨークに来た目的を達成した今は…。
目的は達成したけど…
でも…
それでもニューヨークに居たい。
ニューヨークに住みたい。
そう思っているのだ。
目的を達成したからには日本に帰るべきだ…と、何処かで決めつけていた自分が居た。
しかし…
では…
日本に帰って…
どうするのだ?
日本に帰って…
何をする?
ダンス?
俺…
ダンサーになりたかったんだっけ?
いや…
そんな事、一度も思って来なかった。
じゃあ?
日本に帰ってどうするんだ?
送別会のざわめきの中、私は一人、悶々とし始めたのだった…。
そして、私の頭の中に一つの言葉がクルクルと回り始める。
『グリーンカード…。』