私は、手先が不器用である。
昔からどうも、手先を使う作業が苦手であった。
今でこそまともに使えるが、子供の頃からある年齢に達するまで、箸が上手く使えなかった。
煮物などは挟まずに刺して、ご飯は挟むと言うより、むしろすくって喰っていた。
困ったのは魚である。
煮魚はまだしも、焼き魚は手に負えない。
父と弟は、非常に手先が器用で、魚を喰わせると『猫も跨ぐ』ほどであった。
弟は目玉まで綺麗に平らげる。
ところが私は?と言えば『猫、まっしぐら!』もいいトコで、皮はぐちゃぐちゃ、身はぼろぼろ…。
上手に食べようと、もがけば、もがく程に焼き魚は無惨な格好になって行く…。
終いには、疲れてしまい、嫌気がさして食べ残す。
『お父さんもトモちゃん(弟)も綺麗に食べるのに、なんでお兄ちゃんは、こんなに下手くそなのかしら?』
と、私の食い残した、既に魚とは思えない形に変貌を遂げたソレを、母が自分の腹に納め、私の栄養になるべきソレは、母の腹回りの脂肪となるのである。
私は、食卓に焼き魚が並ぶとウンザリする様になった。
特に干物は、すっかり身が骨にへっぱり着いているので、食べる前から敗北感で一杯になる。
私は段々、魚を敬遠する様になり、刺身や切り身しか食べなくなった。
不器用さが仇となり、魚嫌い寸前。
父や弟の器用さに劣等感を覚えた。
そんなある日、私はたまたま見たテレビで、作法の先生が焼き魚の上手な食べ方を教える…と言う番組に出くわした(番組内のコーナーの一つだったかも知れない)。
最初に、箸の正しい持ち方まで教えてくれており、正に私にうってつけの番組であった。
番組では秋刀魚を使っていたのだが、何とも美しく見事な食べ方であった。
父も弟も器用に食べるが、ここまで完璧な経過を経て完食する訳ではない。
私は『コレを習得しよう!』と意気込んだ。
既に母が家を出た後だったので、私は自分で秋刀魚を買いに行き、グリルで焼いた。
前回お話した様に、当時の私は料理音痴…
火加減?なんのこっちゃ?と言うわけで、魚を上手く焼ける道理もなく、グリルから取り出した秋刀魚は限り無く灰に近い、黒い物体と化していたが、私は全く構わなかった。
私は、作法の先生のやっていた通りに箸を持ち、秋刀魚(だったはずの物)をさばく練習を始めた。
私は不器用である。
一回で上手く行く訳がない。
私は来る日も来る日も、家で、外で、秋刀魚を食べ続けた。
プロフィールにある様に、私の長所も短所も『負けず嫌い』である。
打倒、焼き魚!
頭にはそれしか無かった。
今現在、私は焼き魚が大好きである。
行きつけの居酒屋などで、『こんなに魚を綺麗に食べる人を久しぶりに見たよ!』と店主に褒めて貰った事があり、非常に嬉しかった(笑)。
そろそろ、秋刀魚の美味しい季節がやって来る!
残念なのは…
家族バラバラになり、私が焼き魚を綺麗に食べる様を、父も母も弟も知らない事である。
今年の二月に他界した父には、もう自慢する事も出来ない。