✴︎ ✴︎ 究極の安全保障を考える④ ✴︎ ✴︎
三島霊, 兄神, 弟神への鎮魂-

昭和神宮〜世界平和祭へ2

〜(社)日本安全保障•危機管理学会の機関紙夏号に上記タイトルでレポート掲載致しました。以下にご紹介致します〜



 しかしながら、富岡八幡宮では、まさにその"武運長久" の祈りを取り持つ立場にいた二人の宮司が突然に失われる結果がもたらされました。
 奇しくも、犠牲となられた姉弟の祖父であった故富岡盛彦氏は、かつて神社本庁の総長まで務められ、日本会議の前進である「日本を守る会」設立の折りには世話役を引き受け、その尽力によって実は神社本庁や伊勢神宮の関係者も、結果的に日本会議のメンバーになり、同組織に勢いがつくという経緯がありました。また、富岡八幡宮は戦時中の特攻を生み出した日本古来のミソギ教育、禊ぎ行の修練にも深い縁がありました。
 富岡八幡事件と、三島事件に共通する点は、日本古来の"武士の魂"ともされる"刀"が使われたことです。
 二つの事件は、今一度、古来の神道に伝わる神器の "剣"の真意を考えさせる意味がありそうです。本来、神器の"剣"とは、大宇宙の法を司り、それを護るものであって、必ず"諸刃の剣" とされ、身を護り人を斬る"片刃の刀"は、人間社会に"大道"が失われ、替わって "仁義の徳"が起った後に、広く流布するようになったものです。老子の言葉「道失われて仁義起こる」にいう如くです。
 その意味では、本来の神道の原義から見たなら、三島事件においても富岡八幡事件においても、本来の"道"が見失われ、"剣"本来の使われ方が誤って引き起こされたものと結論される他ないでしょう。



 一方でまた、八幡神が仏法守護の神でもあるなら、仏教予言にいうミロク世の「大同世界」へ導くなり補佐するなりの職掌にあったはずで、富岡八幡事件はこの末法の世において、人間社会、ことに平和確立への鍵を有する日本社会が、唯物論的な欧米社会の慣習やルールに倣い反対方向へ傾いた場合、やがて人類社会全体に恐ろしい結末が待ち受けていることを暗示する象徴的事件だったとも解釈され得るのではないか••?

 かつて二•二六事件の青年将校や特攻隊の御霊の因縁を受けて作品を発し続けた三島が、死後に自らも霊として降臨し訴えかけた予言は、よい意味で外れたものもあり、また成就せんとしているものもあるようです。
 昭和の時代、まだ早かったがゆえ、死して後、御霊(ゴリョウ)信仰の対象ともならざるを得なかった"夜叉神達"、 兄神、 弟神、そして三島霊。
 彼等が死を賭して戦わざるを得なかった相手とは結局一体何だったのか•••?
 
 かつての三島が、その作品を通して、正面から向き合った昭和天皇は、しかしながら、世俗の日本社会が "人間宣言"などと騒ぎ立てる以前から、同案文が盛り込まれた昭和21年の「年頭-国運振興の詔書」を御裁可される際に、何とお答えになられていたか?
 「私は自分が神だなどとは初めから思ってはいなかったし、かつて一度も思ったこともない。少なくも日本人以外には、そんな事を思う者は一人もあるまい。それを今更、こんなことを言う必要があるのだろうか」と、時の幣原首相にお漏らしになりつつ承認されたとのこと。
 神道の大祭司であられると共に、生物学者として客観的で冷徹な眼もお持ちになられた昭和天皇らしい逸話です。



 結局のところ、天皇を現御神 (アキツカミ)とする明治以降の国家体制とは、鎖国を解いて動乱に揺れる海外世界と否が応でも対峙せざるを得なくなった近代日本が、本来は天地自然の"祀り主"たる天皇をあえて政治的に"元首(=神)"として祭り上げた上で、時代の荒波をくぐり抜けることを成し得た特殊なものであって、避けては通れないそういう歴史的プロセスであったと解する他ないのではないかと思料される。
 しかるに、その目的とされた所は見事に立派に果たされていた••、というのも、明治維新時の国是であり大日本帝国憲法下で本格的に確立された"富国強兵"体制とは、本来、あくまで神武肇国の国是 "八紘為宇(恒久世界平和)"の延長線にあるものと見做され、天皇を"神" とするプロセスによって、世界に冠たる"強兵国家"をかくも短期間に築き上げ、結果、欧米列強によって数百年もの長きにわたり続けられてきたアジア・アフリカを初めとする世界の不条理な植民地支配の歴史に終止符を打つ結果が得られたからです。
 またこれにより、第一段の目的は達成されたことから、戦後は勅意の下に操舵を改めて "平和憲法" が制定され、まさに "八紘為宇"-恒久平和実現の人類後史へと向かうに際し、必須となる基礎条件が綺麗に整えられたものと考えられるからです。【現日本国憲法は通俗保守が唱えるような単なる"押付け憲法"にあらず、敢えてGHQの"押付け"の形をとり、松本国務相を長とする憲法問題調査委員会の作成した明治憲法と大差ない草案を却下し、平和を希求される昭和天皇の勅意を汲んで幣原首相が提起した原則→"マッカーサー三原則"に立脚した憲法草案を制定してもらったことから成り立つ】↓
https://www.facebook.com/share/p/A5TK7k5fkrYiCuPH/?mibextid=WC7FNe



 本来、日本の国是 "八紘為宇 (=あめのしたをおおいていえとなす)" とは、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、そして動植物や石ころまでが嬉しく生き生きと輝く世界、すなわち "恒久世界平和"を意味します。そもそもは、それが日本建国の目的だったのであり、どんな歴史の患難を経ようとも終局の天命でもあったということです。
 間違っても、欧米並みの唯物的な世俗常識に捉われ、ちっぽけな島国日本だけに固執する独善的な平和主義、すなわち西欧流の近代民主主義が知略に走って陥りがちな "国家エゴ"を意味するものではありません。
 それは、逆の視点から観たなら、諸外国には成し得ぬ、まさに神国日本に秘められた"一厘の神仕組み"と言って間違いないのではないか?
 今後の新世界においては、既に209ヵ国が署名した新しい時代の世界法である「GESARA法(世界経済安全保障改革法)」により、そもそも覇権的な旧来の観念でいう各国の軍事力は必要とされなくなります。
 ただし、世界の軍事を統括した世界警察的な治安維持の機能は大切になるでしょう。その御役は、既にトランプ改革派の米軍WH-ホワイトハットを主とする"アライアンス軍"が担い始めており、日本の自衛隊はその補佐を行うだけで充分でしょう。
 そして、それに並行して日本が行うべき大切なもう一つの御役は、世界諸国、諸民族の間の疑心暗鬼を解き、あらゆる戦没者の慰霊を行い、戦乱に明け暮れた人類の歴史にピリウドを打ち、恒久平和達成への礎を成すことに相異ありません。



 患難を伴う紆余曲折は経たものの、結果的にはいみじくも日本肇国の国是に従って、勅意の下、第9条を含む現平和憲法が制定された過去の経緯を振り返るなら、幾つもの顔をもち仮面(マスク)を使い分ける達人でもあった文豪-三島由紀夫、本名-平岡公威(ヒラオカキミタケ)氏はあの時代、敢えて勅意に反する行動をとって万民に示したことにより、聖徳太子の十七条憲法にいう「詔を承りては必ず慎め、慎まずんば自ずから敗れん」の定めを、正にその通りに演じて見せてくれたことになり、しかも尚、死後の霊界通信により日本の民に訴えかけた如く、敢えて行った果敢な行為を通じて、まさしく "死して護国の鬼神"となってその霊は生き続け、かつて日本武尊命が死期の歌に託して詠んだ望郷の"まほろば" への理想、換言するなら "ミロクの世"をこの現界に構築するという逆説的な目的をもまた、見事に果たさんとしているものと解釈されます。

 これらが広く日本の民に理解され、三島霊, 兄神, 弟神達への鎮魂が恙なく成され、昭和〜平成の永くなおざりにされた戦後総括への糸口が見えた時、初めて靖国問題の出口は扉を開き、世界恒久平和への"剣"本来の御祀りと共に、「大正•昭和神宮」の建立も成され得、世界の民衆や草木までが喜ぶ平安なる"ミロク世" が、この日本から発せられるに違いありません。