究極の安全保障を考える②
         -憲法改正と国防問題について-
               三島由紀夫の決起に想う        

 世界情勢が混沌として軍事的危険性も増している昨今、日本の自主独立を果たすには、戦後GHQの占領期間中に制定された骨抜きの"押付け憲法" を改正して、自衛隊を昇格させ、独立国家として当然持って然るべき国防軍を持つ必要がある。
 "台湾有事"が声高に叫ばれ、中国や北朝鮮の軍事的脅威の拡大している今、それは喫緊の国家的課題でもある。
 メディアを介したこのような論調が高まり、今や良識的な一般的日本人を代弁する声となっているかの感があります。

 1970年11月25日、東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地を占拠し、同様の趣旨から、憲法改正と国軍の再編を目指して立ち上がれと自衛隊員達に決起を促し、二階のバルコニーから檄を飛ばした一人の愛国者がありました。
 当時の日本の文壇を代表する一人でもあった三島由紀夫氏です。
 しかしながら、この身を挺した訴えが自衛隊員達に真剣に受け取られることはなく、それを見てとった三島は、総監室に立て籠り、楯の会の同志、森田必勝とともに壮絶な自決を遂げました。



 この事件は、当時、日米安保反対を叫ぶ左翼学生運動が燎原の火の勢いで広がっていた日本社会に大きなショックを与えました。
 外来の唯物的な思想、マルクス経済学や生物進化論等に影響され、日本國體の存立の真意が軽んじられる風潮にあった往時、三島は、文学者かつ武道家としての独自の観点から「文化防衛論」を世に問い掛けました。
 日本国民が最後に唯一の精神的中心帰一を成しうる枢軸の立場にあらせられる天皇、その天皇はまた、三島によって"菊と刀"を包括した日本文化全体の「時間的連続性と空間的連続性の座標軸」とも表現されました。
 それは、左翼イデオロギーの嵐が吹きまくった当時の日本においては、国と民族の"非分離の象徴"でもあらねばなりませんでした。
 同時に三島は、日本の自衛隊の在り方については、国連の治安維持軍へ供出すべき部隊と、日本国土の防衛に専念すべき国軍とを二分して世界情勢に対応すべきものとし、それが"菊と刀"の文化によって成り立つ日本の採りうる最善の施策であるともしました。




 さて、あれから既に半世紀以上の時を経た今、当時の三島が決起して訴え掛けた同じ趣旨の国防論が、日本の社会では幅を利かせています。
 というより、この50余年の長きに渡り、憲法改正と国軍保持は、それを結党の党是とする自民党の政治課題でもあったがゆえ、継続して取り組まれてきた事実があります。
 戦後日本の独立が承認されたサンフランシスコ講和条約の発効時からみたなら、既に71年という長い歳月が経過しています。
 では、それにも拘らず、なぜに我が日本においては憲法改正と国軍保持の理想が、愛国の志士達が思う通りに、簡単には具体化できず形にならないのか、一考してみたいと思います。

 1972年、三島および森田必勝の遺志を受け継ぐべく、思想団体「一水会」を立ち上げた鈴木邦男氏は、第二次安倍政権で集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、憲法改正への機運が大いに盛り上がりを見せていた2017年3月、『憲法が危ない!』という著作を上梓され、安易な改憲運動に警鐘を鳴らしました。
 この時期の改憲運動は、神道政治連盟や神社本庁の一部とも強固な連携態勢が結ばれ、保守陣営も自民党や後援組織の日本会議初め学者•評論家、言論界などの多くが賛意を示すなか、新右翼の代表格とも目されていた鈴木邦男氏は、なぜ敢えてそれに水を差すような言動を採られたのか?



           鈴木邦男



 鈴木氏が、楯の会の安倍勉氏などの論客とともに設立した「一水会」は、民族主義団体の範疇にありながらも、"新右翼"と呼ばれ、"思想団体"とも呼ばれます。それまでの"親米保守"を標榜してきた政権与党や、それに賛仰するする諸々の右派組織とは一線を画する哲学を有していたものと見られます。
 戦後このかた、日本では多くの保守系の政治団体や右派組織が、"反共"の立場から親米路線を採ってきたのに対し、「一水会」は、そのような現代日本の行き方を、米国の単なる"従属体制"に成り下がってしまったものと規定、戦前来の伝統的な思想的潮流を受け継ぎながら、日本の完全なる自主独立を勝ち取るには、「対米自立」、「日米安保破棄」、そして「戦後体制打破」を必要不可欠なものとして目標に掲げました。
 
 その鈴木氏から見れば、現代日本の保守の動きは、一見、建前的には半世紀前の三島の理想「戦後体制打破」を実現させる方向へ動いているようでありながら、その実態は「対米自立」を成就させるものにあらず、実のところ益々米国の一部の権力層に隷属させる罠に陥っているように見えてしまったのではないか?
 その義憤が、鈴木氏に敢えてペンを取らせ、世の一般保守の潮流に対峙する『憲法が危ない!』を書かしめたようにも思われます。
 というのは、"台湾有事"を云々し、中国や北朝鮮の脅威を訴える現代日本の保守陣営は、その寄って立つ情報ソースを悉く西側メディアに依存した状況下にあり、戦前までとは異なり、独自の情報網を諸外国に張り巡らせ、それによって日本の外交戦略や軍事作戦を展開できるような状態にはそもそも最初から置かれてないからです。
 日本が打ち出すべき政策の基盤ともなる情報が、仮にもし元々欧米戦略の掌にあって、その政治的思惑によって自由に操作され、時に脚色されているなら、日本の政治家が打ち出し、メディアが世論形成に与る対外政策の殆どが、徒労となり虚しい空論といって過言ではなくなるでしょう。

 その西側戦略たるものが、日本にとっても世界にとっても良い結末をもたらし世界の幸福に寄与するものであるならば、日本もそれを理解のうえ敢えて相乗りする方針も選択肢となりましょう。
 しかし、もしそれが真逆で、日本の未来を潰し、東アジアや世界の不幸をもたらしうるものだったなら、軽々な相乗りを避けるべきは当然のこと、場合によっては、それ自体からの防御を考えなければならなくなるでしょう。
 現在、日々のTV•新聞等の報道で我々が目にするニュースは、戦後、GHQによって新たな報道体制の基盤が構築されて以来、一貫して米帝戦略の掌にあるのは紛れもないな事実であり、現代世界においては「情報は核兵器以上の武器である」ともされる所以です。
 一例として、CIAの従属機関として国内最大手の広告会社「電通」があり、そのテコ入れで二大通信社「共同通信」および「時事通信」が設立され、NHKや民放局、大手新聞社は、米三大ネットワーク、すなわちNBC、CBS、ABC、およびAP、ブルームバーグ等、ユダヤ系メディア業界からの受け売りが当たり前となり、英国のロイターやBBC、フランスAFPも同様な色付きの状況にある。
 しかも、それらによる情報統制を含む西側戦略というものが、決して世界のバラ色の未来に寄与するものではなさそうだという認識は、ここ数年来、世界規模で急速に民衆の間に拡大してきたと言えるでしょう。 

 その米帝戦略の日本担当は、「ジャパン•ハンドラーズ」と呼ばれることもよく知られますが、代表的指導者の一人であるジョセフ•ナイ氏によると、近未来のアジア戦略は以下のように規定されています。


             ジョセフ•ナイ


           『対日超党派報告書-ジョセフ•ナイ』
              Bipartisan report concerning Japan 

 この米国政府の戦略文書は、かつてCIAが関与する米国大統領直結の諮問機関NIC-国家情報会議の議長で、東アジア担当者であり (クリントン政権)、後に安全保障担当の国防次官補であったジョセフ•ナイが、米国上院•下院の200名以上の国会議員を集め作成した、対日本への戦略会議の報告書である 
 ナイは現在、米国の政治家養成スクール、高級官僚養成スクールであるハーバード大学ケネディ行政大学院の院長であり、そこから輩出された無数の政治家•行政マンの司令塔となっている人物である。この人物が、事実上、米国の政策を起草している。その内容は以下の通り。

1、東シナ海、日本海近辺には、未開発の石油•天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。米国は何としても、その東シナ海のエネルギー資源を入手しなければならない。

2、そのチャンスは、台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。当初、米軍は台湾側に立ち中国と戦闘を開始する。日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。中国軍は、米•日軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を "本土攻撃"するであろう。本土を攻撃された日本人は、逆上し本格的な日中戦争が開始される。

3、米軍は、戦争が進行するに従い、徐々に戦争から手を引き、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心となるように誘導する。

4、日中戦争が激化したところで、米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO (平和維持活動)を米軍が中心となって行う。

5、東シナ海と日本海での軍事的•政治的主導権を米国が入手することで、この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発の優位権を入手することが出来る。

6、この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で "軍事活動"が出来るような状況を形成しておくことが必要である。

 以上のように、米国は日本海の "パレスチナ化"計画を策定しており、米国は日本を使い捨てにする計画である。そして、この計画の下に自衛隊の海外活動が "自由化"され始めている。
 この利権のために、日本軍と中国軍に「殺し合いを行わせる」、これが米国政権中枢の戦略文書に明確に書かれている。
 
 
 さて、一見この文面は巷でよく散見される陰謀論的な内容でもあり、その信憑性が問われます。
 しかし、本来は機密扱いのものであろう、その英語原文が、以前ハーバード大学のサイトに開示されているのを目にした人々は複数おり (現在は削除)、簡単に"陰謀論"として切って捨てていい事案とも思われません。
 かつて米大統領のF•ルーズベルトが吐露したという名言で、「世界の政治的事件は偶然に起こることは決してない。そうなるように前もって仕組まれてそうなると、 私はあなたに賭けてもいい」という言葉もあるのです。
 現実問題、米国の対日戦略指針ともされる「アーミテージ•ナイ•レポート」は、2001年以降、毎年、日米両政府間で交わされる「年次改革要望書」の中でも、米国から日本のトップ官僚へ向けられる要望書の原案的な位置にあるものと見られ、前記の「対日超党派報告書」は、アメリカ•サイドから見た同レポートの、外交辞令を省いた、隠れた真の目的が記されたものと推察することも可です。
 当該文書は、ナイ氏がケネディ大学院々長の現職にあった2004年7月までに作成されたものと見られ、その暴露は、2006年1月から既に行われてきましたが、その後の日本の対外政策の歩みを見るなら、2011年3月に起きた東日本大震災から間もなく、政権が民主党から自民党に戻って以来、まさにアップテンポでその指針通りに進んできているのを否定できないでしょう。
 2014年 集団的自衛権の行使容認を閣議決定
 2017年 共謀罪 (組織的犯罪処罰法)が成立
 2018年 自民党「憲法9条の2」の改正素案提示
 2022年 敵地攻撃能力保有の閣議決定
 2022年 防衛費をGDP2%枠へ-5年間で43兆

 こうして、着々と日本の近隣諸国に対する臨戦体制は整えられつつある訳ですが、日本の安全保障は、日米安保条約を堅持し、米国の"核の傘"を信奉し、ひたすら米国の後に付いて行きさえすればよい式の従来の与党政策が、一皮めくるなら、如何に世界情勢から乖離し、実のところ "亡国の道"へと直結した井戸の中のカワズ状態のものであるかは、もはや明らかではなかろうか。
 自衛隊がどう使われ、どう貢献できるかは、全ては時の"政策"次第です。
 技官として、専門職としての自衛官は、あくまで "政策"として決定された指針に従って行動するほかはありません。
 如何に、時の "政策"が重要であるか、全てはそこに掛かってくるからです。

 ここで今一度、往時の三島の遺志を受け継いだ一水会の指針を見るなら、対米従属型の巷の"自称保守"や右翼団体とは一線を画した本質を突いていたことに気付かされます。
 我々は、刻々と変遷する時代の流れや地球全般の情勢をよく弁えながら事に当たる必要があるのであって、責任が重ければ重いほど、あらゆる情報の収集およびその冷静なる精査分析により、世界情勢を客観視したうえで行動していかねばならないでしょう。
 もし、半世紀前の国防論が、そのまま変わらないというなら、それはその間、意識構造や政策展開において何ら進歩がなかったということを意味し、何の改善策も打たれてこなかったに等しいことになります。
 そもそも、三島の決起行動は、あの時代であったからこそ大きな意味を持つのであり、今の日本に、もし三島由紀夫の魂が降臨したなら、果たしてあの時と全く同じことを言うでしょうか?

 三島由紀夫の行動原理を最も知悉する立場にいた一人、先の鈴木邦男氏は言います。
 「自由のない自主憲法より自由のある"押付け憲法"の方がまだいい。従って、私は憲法改正に反対する。憲法はそもそも権力者を縛るためのものだが、それと同時に、国の夢や理想を諸外国に向けて宣言するものでもある。今度の憲法には、"世界から核兵器をなくす"という理想を盛り込んだらどうか?」 
 三島は、戦後日本がアメリカの属国化、傭兵化への道筋をたどり、"文化的植民地"と化してゆく時代風潮を憂いて嘆き、純正なヤマト魂の喚起を叫んで決起したのであり、昨今の"3だけ主義" でただ米国の顔色を窺うような政治•経済界や、権力者だけに都合のよい憲法改正論、そしてそれにおもねるマスコミや大衆の有り様を見たなら、激怒して再び別の意味で決起するのではないでしょうか?
 鈴木氏は、国民の意識やモラルが劣化している今日、もし日本に相応しい憲法を作るなら、充分な時間をとって検討すべきことであり、"これはこの国の基本だから変えない" という条項を再確認した上でやるべきで、戦争しないことを定めた第9条や、女性の権利を盛り込んだ第24条などは、"国是"として再認識されるべきだ、と説いています。
 
 我が国において、憲法改正と国軍保持の理想が簡単には具体化しないもう一つの事由は、一般的に "押し付け"とされてきた現行憲法の平和理念というものが、そもそもは巷で喧伝されてきたようにGHQが占領体制下で日本を"骨抜き"にする攻略や陰謀等で想起されたものにあらず、純粋に平和を願われる昭和天皇の勅意を汲んだ時の総理 幣原喜重郎の進言により、マッカーサー元帥の絶大なる賛意•協力を得て制定されたものであったという「マッカーサー三原則」成立に関わる真相が隠されてきたことにあるでしょう。
 同三原則は、現行憲法のたたき台となったものであり、①天皇制護持、②戦争放棄、③封建制廃止が謳われており、それは、大観すれば「祭り主天皇を中心に和をもって尊しと成す」我が国古来の伝統に基づいたものと観られ、戦後日本の役割はむしろ、基本線としては世界の軍事緊張を解き、戦争の廃絶を具現化させることにあったものと考えられます。


             昭和天皇



            幣原喜重郎

 更には、危急の事態で必要あるなら自衛隊を昇格した "国防軍"を保持するのも一考の余地ありであるが、その最高司令官となるのが、現段階の与党改憲案では「内閣総理大臣」と規定されていること。
 日本は建国このかた、全ての対外戦争は、常に天皇を柱とする「皇軍」として戦ってきたのであり、そこにはアジアにおける不当な列強支配や植民地政策の撤廃、人種差別の廃止等の大義名分が伴っていました。
 三島由紀夫の提起した"国軍"というのも、天皇を常に主軸とした発想にこそあれ、よもや世俗の "対米自立"さえままならない総理大臣を最高司令官とする"日本軍"とは、予測もできなかったのではないか?
 そもそも内閣総理大臣を最高権威とする国軍に、今現在あるいは近未来において、往時のような大義名分が見出されるのか?
 憲法の平和理念が勅意であるなら、戦後保守によって成されてきた凡百の防衛論を蝉脱する他ない結論に導かれるのであり、それは謀略に満ちた世界諸国の指導者の霊的覚醒を促す、道義国家として立ちゆくべき日本の指針が昭和天皇によって既に示されていたことに帰着するのではないか?
 今一度、我々は権謀術数渦巻く欧米メディアの単なる受け売りではない大局的視点から、国際情勢と現在の日本が置かれた立場を俯瞰し、省察を加えてみるべきでしょう。
(これらの問題については諸々の検証が既に成されており、詳細は『天皇の真実-ここに日本の使命がある』河内正臣著、または拙著『憲法の神髄と日本の未来』を参照されたい。)

 世界は今、ウクライナ、そしてイスラエルと、最終戦争の段階に来ているようですが、これは先の "ジャパン•ハンドラーズ"を含む米帝戦略の指導層である陰の世界権力、いわゆるDS-ディープ•ステイトの終焉を意味する最終戦争に他ならず、その後の世界は、彼等の政策目標としてきた"グレイト•リセット"が失敗に帰し、それに対峙して戦ってきた米軍WH-ホワイト•ハットが主体となって、世界規模の新政策NESARA/GESARA (国家経済安全保障改革法/世界経済安全保障改革法)が発動されることが確定的になっています。
 そして、そのGESARA法においては、16項-従来の覇権的な米帝政府による軍事行動の廃止、17項-世界における恒久平和の確立、20項-全ての核兵器の廃絶、等々が謳われており、世界は今、まさに新しい時代の夜明けを迎える黎明期にあるのです。

 政体として、"民主主義国家"というものが「国軍」を保持すべきは、マキアベリの論理に見るまでもなく長きに渡って世界の常識であり、その意味では、"世界の常識は日本の非常識" を戦後憲法下の日本は地でいっていることになるでしょう。
 しかしまた、その西欧的論理を凌駕する唯一無比なる "國體"を悠久にわたって護持してきたのも我々の日本であり、その意味で、"世界の非常識である日本の常識"とその理想とが、今後の新世界に敷衍され、ナイ氏の教唆するような謀略の歴史に終止符が打たれることに人類社会の望まれるべき未来は掛かっており、水面下で既にそれは、機密の特殊軍事作戦であるDS掃討プランに従事してきた米軍WHによって成し遂げられつつあるということです。